第12話「闇が動き出す」
それは、あまりにも突然の
同時に、
そのことでずっと、バイゼルハイムの街についてもイオタは落ち着かなかった。
「ちょ、ちょっとイオタ! 前! 前見て、前っ!」
隣でカレラが叫んで、ふと意識が追想から巻き戻される。
今、整備された
突然の急停車だったので、クラッチを踏み忘れて
いわゆるエンストで、ゆっくりとボンネットの上にルシファーが現れた。
「マスター、大丈夫ですか? 前はよく見て運転しないと危ないですわ」
「あ、ああ、ゴメンよ。大丈夫……ちょっと考え事をしていた」
「……先程の、黒いGT-Rですね?」
「うん」
圧倒的な存在感、そして揺るがぬ強さと速さ。
一流
顔も知らず話したこともない、チャンプ。
今、イオタの心はその存在に
「ほらほら、イオタッ! 次で最後だから、気を抜かないでよねー?」
後ろでリトナが元気な声をあげた。
一連の走りの最中、彼女はずっと気絶していたのだ。
だが、急かされイオタは
修理した
気を取り直してハンドルを握り、街の郊外へと道を選ぶ。
「最後は……お得意様のバルナック男爵家か」
バルナック男爵家は、王家からこのバイゼルハイムの統治を任された貴族である。上流階級の人間は
次第に周囲の風景が、緑の度合いを増してゆく。
城壁に囲まれた中でも、小さいながら山があって
その奥に、広大な敷地を構えた男爵の屋敷があった。
途中、牛車や
一般的には
「多分、違うと思うけど……でも、気になるんだよなあ」
「イオタ? キミね、
「あ、いや、カレラさん。実は」
「なに? 今の
後ろのリトナが、かいつまんで説明してくれる。
イオタがトラックに
その頃にはもう、男爵の屋敷に到着していた。
背の高い門が開くと、真っ直ぐな道の向こうに豪邸が鎮座している。
いつもの場所にCR-Zを止めたイオタは、降りるや目を見張った。
「あっ……こ、この
「ん? あら、この
イオタとカレラは、一台の
ようやくリアシートから這い出てきたリトナだけが、不思議そうな顔をしている。
三人の前に、青い
その名を口にするだけで、イオタは興奮で身体が震えてくる。
「アンフィニRX-7! FDじゃないか……し、しかもこの
「あいつん家なんだ、ここ。へえ……
「やっぱり! デルタの兄貴が時々話してくれた、
だが、定期的に通って
セカンドカーというには、あまりにも特殊で、そして洗練された
ひと目でわかる……インチアップされたタイヤだけ見ても、取り付け角やホイールのドレスアップ、そしてスリックタイヤに近いスポーツタイプ。外観こそ派手なエアロパーツはないが、すぐに走りを極めた一台だと知れる。
無数に刻まれた細かな傷は、路面の小石や
それでいて綺麗にワックスがけされ、ボディは海のような光沢を放っている。
我を忘れてイオタが
「ボクの
振り向くとそこには、奇妙な少女が立っていた。
王都の
そう、
一人しか女性がいないから、彼女は紅一点なのである。
では、目の前の少女は誰なのだろうか?
その疑問に目を丸くしていると、悪戯っぽい笑みで彼女は握手を求めてくる。
「はじめまして。
やっとイオタは気付いた。
目の前の少女は、女装した男性である。
少女ではなく、少年なのだ。
思えば、心なしかやや骨太だし、中性的な顔立ちは男に見えなくもない。だが、元よりきらびやかな近衛の装束が、スカート姿もあいまって本当に女の子に見えた。
イオタの視線に嬉しそうにはにかんで、その場でディリータはくるりと回る。
「かわいいだろう? これは女性騎士用の制服なんだ。……父は、ボクの心の性別には否定的でね。家にいられなくて、王都に放り出されたんだ。今は訳あって
「な、なるほど……あ! そうでした、あの、バルナック男爵に注文のものを」
「ああ、それは多分ボクだね。えっと、すまほ? だっけ? 王都では
王国の首都ともなれば、かなり
携帯電話は魔力方式になって、高レベルの魔導師が使う念話を再現できるので人気なのだ。イオタはCR-Zに積まれた最後の納品物を取り出し、それをディリータに渡す。
彼女は……
「で、どう? カレラさ、最近は誰かとバトルした?」
「ん、まあ……この子とやろうと思ってるんだけど、タイミングがね」
「ああ、えっと……そうだ、イオタ君。いつも書類で見てるからね、名前だけは知ってるよ。そっちの
意外な言葉に、イオタはリトナと顔を見合わせた。
だが、そのことを聞いてたしかめようにも、今のディリータはスマートフォンに夢中だ。カメラをカレラに向けたりと、本当に
肩を
「ほら、なんかイオタが話を聞きたがってる。近衛騎士の仕事と片田舎の
「ああ、それね。……ずっと前から、王国全土の事件を追ってるんだ。ボクはその担当騎士なの。えっと、ごめんねリトナちゃん。思い出したくないだろうけど……君の御両親が亡くなった事故、あれは単発的なものではなかったんだ」
ビクリ! とリトナが身を震わせる。
そう、彼女の両親……リットナー夫妻は
そのことをディリータが話すと、カレラも「ふむ」と唸った。
「噂で聞いたことがあるわね。轢き逃げや事故を意図的に起こす、マナーの悪いギルドがあるって。目的は、言ってみれば暴走……無軌道に暴れる甘ったれた
「そう、それ。けど、なかなか足取りが掴めなくてね。さっきチャンプにも情報提供をと思って、一緒にお茶してたけど……残念ながら、目ぼしい情報はナシ」
あのチャンプが、ディリータとティータイムを? 彼は
ディリータはあっさりと、チャンプと自分とのことを話してくれる。
「あ、うん。ボク等はまあ……似た者同士、かな。あ、チャンプに女装の趣味はないよ? でも……彼、格好いいよね。ボク、振り向いてもらえないからヤキモキしちゃう」
「はいはい、
「うっ、カレラってば酷い。まあ、彼の方でも悪いギルドは気に入らないらしくて、追ってるんだ。なんか……そのギルド、チャンプの偽物が仕切ってるって話だし」
あの、
それは酷く
そんな中で、
その名を
イオタは黙ってはいられなかった。
先程、バトルですらない中で並んで走った。追い抜き、追い越してゆく漆黒のGT-R……その遠ざかるリアを追いかけただけで、イオタは胸が熱くなったのだ。
「……あの、ディリータさん」
「ん、ああ。ゴメンゴメン、代金だよね。これで足りるかな? 父と鉢合わせになる前に、王都へ退散しよう。サンキュね、イオタ」
「いえ。どうも……それと、よければもっと教えてくれませんか? その、チャンプの偽物達の話を」
一瞬、ディリータが真面目な顔になった。
その時、見目麗しい女装騎士の印象は払拭される。
まるで鋭い刃のような、
だが、彼はすぐに笑顔に戻ると、少しだけ情報を教えてくれた。
その話をイオタは、リトナの震える手を握ってやりながら聞くのだった。
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