第10話「突然の追走者」
ユーティス村から、直線距離にして30km。
今、イオタは愛車CR-Zでゆっくりと街道を走っていた。
ウィンカーを出して、荷馬車を追い越してゆく。
隣では、少し退屈そうに
「意外ね、イオタ」
「なにがです?」
「すっごい安全運転。なんだか心地よくて、少し眠くなってくるわ」
「そりゃどうも」
カレラが同乗すると言い出した、そのことのほうがイオタには意外だと思う。
以前に
だが、今のカレラは少しルーズなワンピース姿で隣にいる。
リラックスしているのか、とても表情が柔らかい。
その、あくびをこらえる濡れた視線に、イオタはどきりとした。
だが、そんな二人の間に後ろから身を乗り出してくる人物がいた。
「眠いなら場所、代わりましょうか! 後ろで横になったらどうかなあ、カレラさん」
リトナはフラットな目で、じっとりカレラを見やる。
少し不機嫌なのには訳がある。
CR-Zの
だが、今日はカレラがいる。
しかも、彼女のたっての願いで特等席を明け渡してしまったのだ。
「ふふ、ごめんねリトナ。もう少し、隣でイオタの運転を見たいの」
「あっ、そーですか!」
「それに、この手の
「別にいいですけどぉ……確かに狭いですけど。でもカレラさん、ちっちゃいから大丈夫だと思うなあ」
ビキッ! と音がしたような気がして、カレラが
この二人の奇妙なやり取りは、朝からずっと続いている。
不思議だと思う半面、イオタはなんだか面白くて心が温まった。
外を見やれば、左右の畑で今日も農夫達が汗を流している。遠く山脈は雲を
昼前の穏やかな時間、快晴に恵まれ空も高かった。
「っと、
飼い主に誘導され、羊の群れが道を横断している。
メェメェと鳴く声が、右から左にへと絶え間ない。CR-Zを停車させたイオタは、ギアをニュートラルに入れて
のんびりと羊を眺めていると、数えてもいないのにイオタを眠気が襲う。
だが、隣のカレラはどこか愉快そうに目を細めていた。
「普段はカッ飛ばさないタイプかしら?」
「ええ、まあ。カレラさんと同じですよ。バトル以外で、無理にスピードを出す必要はないですし。時間にも余裕があって、急ぎでもない。そういう時は、全ての道で
「奇遇ね、私も同じよ。それに……普通に運転してても、見れば
カレラの目的は、イオタの運転技術を真横で見ることだ。
そして、十分に納得と満足が得られたらしい。
村を出発してからずっと、イオタはありもしない制限速度を守るように走った。
「なにがわかるんです?」
「まず、操作がなめらかね。シフトアップ、シフトダウン、ハンドリング、加速と減速……淀みなく流れるようだわ」
「特に意識したことはないですけど」
「なら、身体で覚えた技術なのかしら。イオタ、運転はどこで?」
女の子の、それもすこぶる綺麗な娘に興味を持たれるのは嫌じゃない。
背後から突き刺さるような視線を感じるが、悪くない気分だ。
イオタは自分でも思い出すように記憶を掘り出し、一つしかない心当たりを語った。
「俺がいた時代は、
「夢みたいな時代ね。私ならきっと、毎日道を見てても飽きないと思うわ」
「で、その……ゲーム、って言ったらわかりますかね? 自動車のゲームがあるんです」
「あら、私もゲームは好きよ? カードかしら、それともボード? 身体を動かす類のものもあるわね」
「いえ、そういうやつじゃなくて……テレビゲームっていう、んー……絵の中の自動車を操作する遊びです。絵が動くんですよ、俺の時代は」
「まあ……凄いじゃない。それで運転技術を?」
「まあ、
イオタの家には、今乗ってるものと同じCR-Zがあった。母はいつも、もっと広くて荷物の積める車がいいのに、と笑っていた。CR-Zは忙しく働く父にとって、大切な車だった。マイカーである以上に趣味だったのだ。
イオタはずっと、後部座席から楽しそうな両親を見ていた。
二人はイオタに愛情を注いでくれたし、特に父は自動車のことを熱心に教えてくれたのだ。それが今、遥か遠い未来の地で、龍となって吼え荒ぶ自動車に乗っている。
なにか不思議な
「ま、そんな訳で運転免許も持ってなかったし、本物の自動車も全然……あ、いや、えっと……ちょっとしか。父さんのCR-Zを、車庫から出し入れするくらい、それだけですよ」
「そう。でも、センスがあったみたいじゃない? それに、キミは速い。それは、私が入れ込む理由としては当然過ぎるほどだわ」
やはり、まだカレラはイオタとのバトルを切望しているようだ。
そして、不思議とイオタも彼女と走ってみたい。
過去から来たイオタは、ハイエルフの美少女
背後で悲鳴が叫ばれたのは、そんな時だった。
「イオタッ! カレラさんも! あれ!」
振り返れば、遠く後ろの方で異変が起きていた。
今まで走ってきた道の向こう……小さな林が森へと続く中から、巨大なモンスターが躍り出たのだ。それは、まるで戦車のように田畑を踏み荒らしてこっちへ向き直る。
ちょっとした
それは、見るも立派な牙の
「やだ、タイラントボア! 大きい……!」
「この辺じゃ珍しくないけど、あの大きさは」
「ね、ねえ! あのモンスター、すっごく怒ってない? 腹ペコなのかなあ」
呑気なことをリトナが呟くが、すぐにカレラはドアを空けて外に降り立つ。
彼女は、かざした手にバチバチと電撃を集め始めた。
だが、魔法を使うのを
逃げ惑う農夫を追い散らしながら、タイラントボアはこちらの方へと向き直った。
「っ、駄目ね! この距離じゃ、百姓達にも当たっちゃう」
すでにもう、羊の行進を眺めてる場合ではなかった。
歯噛みするカレラに、イオタも
「ルシファー、頼むっ! すぐに全速力だ」
「了解です、マスター。でも、どうやって……このままでは、田畑は勿論ですが、農民達も危険です」
「だね。ならさ! カレラさんっ、魔法であいつの注意を引けますか?」
すぐに
逃げ惑う羊を背に、彼女は空へ向けて強力な稲光を解き放つ。魔法で生み出された雷光が、空気を焦がして走った。
タイラントボアがこちらに気づく。
その巨体をかすめるようにして、カレラの魔法は空の向こうへと消えた。
だが、その電撃に込めたカレラの意思を、タイラントボアは危険と判断する。
後ろ足で何度も地面を蹴り上げながら、撃ち出された砲弾のようにタイラントボアが走り出した。ぐんぐん迫る形相は、憤怒に鼻息も荒い。
「カレラさん、乗ってっ! ベルト! リトナも!」
ルシファーの力を、ボンネットの下に強く感じた。
その時にはもう、イオタはアクセル全開で走り出していた。前輪がホイルスピンで吼えて、わずかに土埃を舞い上げる。
クロス気味のギアを効率よくシフトアップしあんがら、イオタは走り出した。
その背後に、今にも追突せんとする勢いでタイラントボアが近付く。
「回りの人から引き離すのはいいとして、カレラさんっ! なにか手があるんですか?」
「手はある、あるはずよ! なにか考えるから、今はこの子を走らせて!」
「ハイエルフなんですよね!? もっと強い魔法でドカーンと」
「バカッ! 街道が滅茶苦茶になっちゃう!」
隣に乗り込むカレラと叫び合う間、リトナはシートベルトをして身を縮こまらせていた。その後ろにはもう、追いつかん勢いで獣が唸っている。
バイゼルハイムの街までは、小さな丘があるだけ……そこには、巨大な渓谷を渡る鉄橋がかけられている。長い長い直線道路だが、現地の人間はダンジョン扱いしていた。何故なら、ゴブリンやコボルトの待ち伏せがあるからだ。
いくらか金品をばらまいて、その隙に逃げられたら幸運だ。
積荷の強奪は勿論、身ぐるみ剥がされて殺される者もあとをたたない。
「とりあえず、この先……『
「いいから前見て運転してっ! ……さーて、どうしたもんかな。街道を傷付けずに、やつだけを……そんな都合のいい魔法、あるかどうか」
デス・レースが始まった。
タイラントボアは気性が荒く、家畜や農作物を食い荒らす。あれだけの巨体ともなれば、牛一頭を平らげるという話も嘘とは思えない。
イオタは記憶の中にある猛獣に震えながら、必至でハンドルを握って走り出した。
カーナビの代わりに顔を映すルシファーも、心なしか今日は緊張しているように見えた。
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