第9話「朝から仰天!アッー!」

 月明かりがあんなに眩しいなんて、初めて知った。

 仄暗ほのぐらい光が明滅する、銀水晶ノ交易洞ギンズイショウノコウエキドウを飛び出た時……待っていたのは、チェッカーフラッグよりも熱狂的な声だった。

 言葉にならない叫び、感動と興奮を歌い上げる声。

 その中をイオタは、生まれてはじめてのウイニングランで進んだ。

 それが昨夜のできことで、まるで夢のようだった。


「……まあ、夢かなと思ったけどね。でも、どうやら違うみたいだ」


 いつものベッドで目が覚めて、イオタは周囲を見渡す。

 間違いなく自室、居候いそうろうしているリットナー家の一室である。デルタとリトナの兄妹が住む、村の一軒家だ。ちょうど、イオタが開く再醒遺物リヴァイエの工房の隣にある。

 いつもと変わらぬ朝だが、まだ胸の奥になにかが熱く燻っていた。

 シャツの上から手で抑えて、静かに深呼吸。

 イオタは昨夜、初めてのバトルで勝利したのだ。


「今日はルシファーの調子も見てやらなきゃな。昨夜は帰ってくるなり寝ちゃったから」


 今でも少し、けだるい疲労感を感じる。

 極限の緊張状態が続いたからだ。

 だが、キッチンからかすかにたなびく朝食の匂いに、すぐに腹がグウと鳴る。

 すぐに着替えて、イオタは部屋を出た。

 小さな家で、どの部屋も中央のリビングとキッチンに繋がっている。顔を出すと、かまどと格闘しているリトナの背中が見えた。

 リトナは肩越しに振り返って、煙に少しき込みながら笑う。


「あっ、おはよ! 寝坊だぞ? イオタ」

「おはよう、リトナ。デルタの兄貴は?」

「ガレージだよ。朝からずっとグリフォンと一緒。酷く消耗してたけど、一晩寝たら少しよくなったみたい」

「そっか……よかった」


 龍走騎ドラグーンを走らせるための魔力源、縁陣エンジン……その複雑な術式を通して、魔獣や幻獣、悪魔などが召喚される。彼等は皆、内燃機関ガソリンエンジンという概念が存在しない時代に龍走騎ドラグーンを走らせてくれるのだ。

 いわば、龍の心臓であり頭脳だ。

 龍走騎ドラグーンが停止してる時は、縁陣エンジンの向こう側の世界へ彼等は戻る。

 だから、勿論もちろん魔法陣としての縁陣エンジンの手入れも大事だが、おおむね時間を置くことで召喚獣のたぐいは回復してくれる。それでも、ダメージによっては再起不能になることもあった。

 イオタはとりあえず、顔を洗おうと風呂場へ向かう。

 飲水や料理には井戸の水を使うが、洗濯や風呂に使う水道が近くの小川から引かれている。簡単な構造と植物を利用して濾過した、原始的なもので水しか出ないが。


「あとは、ランエボファイブの車体だよなあ。変なダメージがないか、あとでチェックしなきゃ。それにしても……ああいう相手は嫌だ――ッ!? はうう……」


 ガラガラと引き戸を開く。

 その瞬間、イオタは固まってしまった。

 眼の前に、生まれたての女神が立っていた。濡れた長髪は、まるで翡翠ひすいかエメラルド……酷く小さな肢体は、メリハリのある起伏を優美にかたどっていた。

 それは、ちょうど風呂から出てきたカレラだった。

 彼女もまた、驚きに目を見開き硬直している。


「や、やあ、おはよう。って、水で済ませたの? 寒くないかな」

「え、ええ! 少し身体を拭いただけよ」

「そう」

「うん」


 あまりに突然のことで、イオタは妙な会話で間をもたそうとしてしまった。勿論、本来は背を背けるとか、部屋から出ていくとかあるだろう。

 しかし、そうした普通の反応で接するには、カレラはあまりに美し過ぎた。

 カレラもまた、驚きのあまり自分を隠すのも忘れている。

 だが、ようやく彼女はなにかを思い出したように「あ!」と声を上げた。

 ホッとしたイオタは、ビンタならまだいいけどグーは嫌だなと思っていると……


「ちょ、ちょちょ、ちょっとお! カレラさんっ!」

「イオタ、流石さすがね! 昨夜のバトルは後ろから見させてもらったわ」

「その話ですか! ってか、まず先に言うことがあるでしょう!」

「ああ、そうね。昨日はごめんなさい。誘っておいて、結局やらなかったわね」

「言い方! 言い方が! ……誘ってみてるんです?」

「もち、私はいつでもOKよ。いつする? すぐにでもいいわ」


 無論、バトルの話である。

 それから彼女は、ザベッジの姑息こそくな戦いをメッタメタにブッタ切り、それに勝利したイオタを素直に褒め称える。それはとても嬉しいのだが、早く服を着てほしかった。

 そもそも、どうしてこのリットナー家にカレラがいるのだろうか?

 そのことを聞きつつ、詰め寄られるままに背に引き戸を背負う。

 目をそらしても、グイグイとカレラは瞳を輝かせて見上げてくるのだ。


「あのあと、イオタはギャラリーに取り囲まれてヒーロー状態だったもの。すぐにバトルできる雰囲気じゃなかったわ。だから、しばらくこのユーティス村にいようと思って」

「それで、リトナに?」

「そゆこと! しばらく厄介やっかいになるわ。同じ居候同士、よろしくね」

「それは、どうも……で、あの、カレラさん」

「なに? あなた、さっきから変よ?」

「カレラさんが言わないでくださいよ! 服っ、服! なにか着て……はだかなんですよ!」


 イオタの言葉に、ようやくカレラは自分を見渡し、真っ赤になった。

 そして、実り豊かな胸を両手でおおって、その場に屈み込む。

 きぬを裂くような女の悲鳴、という形容がピッタリの声が響き渡った。


「なっ、なによ! ちょっとイオタ、このエッチ! 早く出てきなさい? ばすわよ!」

「俺が悪いの!? だいたい、カレラさんが」

「うるさいっ、女の敵! ……うう、一族のおきてを知らないのかしら。最悪だわ……油断したぁ」

「一族の掟? ああ、ハイエルフの?」

「いいから出てって! さもないと――」


 なにやら彼女の周囲でプラズマがスパークした。

 魔法を使われてはたまらないと、慌ててイオタは部屋を出る。

 だが、網膜もうまくにはっきりと白い肌が焼き付いていた。まるで淡雪あわゆきのような、透き通る柔肌やわはだ……イオタが生まれ育った時代なら、ゲームやアニメの中にしかなかった光景だ。そして、二次元の平面に封じられた姿より、何倍も綺麗で輝いて見えた。

 どうにか開放されて胸を撫で下ろしていると……とがった声が突き刺さった。


「イオタ、ねえ……なにしてたの。悲鳴、聴こえたよ?」

「いや、顔を洗おうと思ったらカレラさんが、って、ほわわああああっ!」

「ラッキースケベ? ……やだもう、男の子って」


 そこには、フラットな表情を凍らせたリトナが立っていた。

 

 どうやら先程の悲鳴で、キッチンから駆けつけたらしい。

 目がわってる。

 いつものかわいらしい笑顔が嘘のようだ。

 慌ててイオタは、あらん限りの語彙ごいを総動員して弁明を始めた。


「違うんだ、裸を見ただけで! それから、今度やろうって! いつでもいいって、それまでこの家に世話になるって」

「……やる、の?」

「あ、うん……逃げられないし、それに……バトルしてみてわかった。俺は、運転が好きで、龍走騎ドラグーンが好きで……やっぱり、自分がどれくらい速いかを試したいんだ」

「あっ……バッ、ババ、バトルの話ね! そうよね、やるってバトルの話よね!」

「そう、だけど……あっ」


 つい先程のカレラと、同じことを言ってしまった。

 イオタやリトナのような年頃だと、やっぱり言葉に無意識に敏感になってしまう。

 あくまで話しているのは、バトルのことなのに。

 気まずい空気の中で沈黙してると、背後で引き戸が開いた。


「リトナ、着替えありがと。胸がキツいけど、それ以外はピッタリだわ」


 そこには、平凡なリトナの普段着にそでを通したカレラが立っていた。

 確かに彼女の言う通り、形良い胸の双丘そうきゅうが盛り上がって、内側からパツンパツンになってる。あさのシャツにカーゴパンツでも、カレラの美貌は全くかげることがなかった。


「あ、そっか……わたしの小さい頃の服じゃまずいかな? まってて、もっとルーズなのを探してくるから」

「え、ええ、お願いするわ。……小さい頃の……そ、そう、これ……子供の服なの……」


 リトナはパタパタと、キッチン経由で自分の部屋に戻っていった。

 そして、カレラは自分の格好を見下ろし、くるりと回ってみせる。

 やはり、うわさは本当だった。

 デルタ程じゃないが、七聖輪セブンスの話にはイオタも詳しい。魔王の軍勢に脅かされ、滅びつつあるこの世界では、娯楽らしい娯楽は少ない。だからこそ、若者達は龍走騎ドラグーンでのバトルに熱狂するのだ。

 七聖輪セブンスの紅一点、カレラ・エリクセンは……身長と童顔を気にしている。

 初めて会って、その意味をようやくイオタは理解したのだ。

 見目麗みめうるわしい美少女であると同時に、カレラは童女どうじょのように小さい。

 そうこうしていると、リトナが両手に服を抱えて戻ってくる。


「おまたせー、カレラさん。えっと、これなんかどうかな」

「あら! かわいいわね……でも、少し子供っぽくないかしら」

「むっ……ど、どーせわたしは子供っぽいですよ。でもほら、カレラさんは子供サイズが丁度いいんだし」

「……今、子供サイズって言った? なら、どうしてこんなに胸もお尻もキツのかしら」

「少しダイエットした方がいいかもですね、カレラさん?」

「私、太ってないわ!」


 とりあえず、蚊帳かやの外でイオタは溜息を一つ。

 朝から二人が元気なのはわかった、元気なのはいいことだ。

 だが、運ばれてきた服をカレラに物色させつつ、リトナが振り返る。


「そうそう、イオタ。今日は街に出るでしょ? ほら、納品の日!」

「あ、そうだっけか」

「……もぉ、なんでそう呑気のんきなのよ。でもっ、大きい仕事もいくつか片付くんでしょ? 今夜はカレラさんの歓迎会も兼ねて、御馳走ごちそうだよっ!」


 無邪気な笑顔を見せるリトナに、自然とイオタも笑みが零れた。

 一つのバトルが、彼の日常をわずかに変え、そして……新たな世界へと全てを塗り替えてゆくのだった。

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