第7話「地の底へと走れ、今」
高い天井の光は、全て
ヘッドライトを乱反射する光景は、まるでディスコのミラーボール。踊る男女の代わりに、そこかしこに
しかし、天然のダンジョンはイオタのCR-Zを、右に左にと揺さぶり続けていた。
「後ろは……引き離したな。ほんのちょっとだけ」
ちらりとイオタは、バックミラーに視線を走らせる。
後半は登りになって、4WD駆動のカローラが有利だ。
カローラと言えばファミリーカーの代名詞だが、背後で吠え
どうしても背後を気にしてしまう。
ラリーのワンシーンのように、パワースライドで滑る車体が遠ざかってゆく。
やや集中力が乱れかけたが、カーナビに映る
「マスター、今は運転に集中を……私も、持てる力の全てを絞り出します」
「ん、無茶はしないで、ルシファー。それに、パワーは十分出てる。これ以上は、タイヤが路面に力を伝えられないよ。このままでいいんだ、これがいい」
「はい、マスター」
どこか
彼女はこのCR-Zの
彼女がCR-Zに宿った、それは偶然ではない。
ルシファーは、今のイオタと同じ境遇を永遠に生きる存在なのだった。
「ルシファー、あの人の……ザベッジさんの
「ええ。ベルゼバブは、魔界に君臨する強力な魔王です」
「コンパクトながら高剛性のボディに、最新の4WDシステムとベルゼバブ……どう? 勝てそう?」
「あら、マスターは勝てる戦いでしか、走らないのですか?」
時々、ルシファーは姉のような顔を見せる。
今も、少し驚いたような顔をして
この異世界とも言える
同じ境遇の転移者は皆、勇者として今も魔王と戦っている。
そんな中、イオタは元の時代に帰るための儀式、その触媒の探索に日々を費やしていた。彼を跳ね飛ばしたトラックが見つかれば、その一部でも手に入れば、転移の儀式は飛躍的に成功率が跳ね上がるのだ。
「……ねえ、ルシファー」
「ふふ、不安になるといつもおしゃべりですね、マスター」
「駄目かい?」
「いいえ。嫌でもないですし……なんでしょうか」
ほぼノーブレーキで、イオタは連なる高速コーナーを処理してゆく。
一見してツイスティックに見えても、彼とルシファーにとっては直線に等しい。
タックイン、というテクニックだ。
もともと、FF駆動であるCR-Zはフロント部分が重い。全体的に軽量なライトウェイトスポーツカーだが、その駆動部の全てがフロントに集中しているのだ。前輪で走って車体を
僅かな減速でも、前に大きな荷重移動が発生するのだ。
そして、前輪は上から押されて
この原理を使ってのグリップ走行、それがタックインである。
「ルシファーは、さ……帰りたいかい? 天国に」
「そう、ですね……
「神様はおいといて、ルシファーがさ」
「……天国は、それはもう素晴らしい場所なんです」
彼女が追い出された楽園、天上の楽土のことを色々と。
そこには、生前の偉業や功徳、清く正しい生き方を貫いた人間達が招かれているのだ。音楽家が時代を超えて共作を
だが、ルシファーはその全てを自分で捨てた。
天国に住まう天使の、実に三分の一もの人数を率いて反乱を起こしたのだ。
その理由はまだ、彼女は話してくれない。
結果的には敗北し、彼女は黒い
「私はでも、マスターと一緒に今はいたいです。そして、マスターはまだ天国に召されるべきではありませんわ」
「そりゃどうも」
「天国は……選ばれし者達の楽園。ですが、私はむしろ……選ばれなかった者達をこそ、救済したかったのです」
「俺はまあ、最初は地獄に落とされた気分だったよ。この時代はあまりにも、ワイルドで大雑把で、そしてエネルギッシュであれと迫ってくる。都会っ子には辛いかな」
そう、二人は共に帰れぬ身……
街道にはモンスターも出るし、天候や災害で路面も荒れている。
それでも、
「ルシファー、君が来てくれて、このCR-Zに命が吹き込まれた……思い出の一台は今、俺の手でこうして走ってる」
「なら、負けるわけにはいきませんわ。そうでしょう? マスター」
「ああ」
まるで泳ぐように、イオタのドライビングでCR-Zが走る。
満天の星空にも似た頭上の銀水晶は、その光で色濃く影を闇に沈めていた。どのコーナーも気が抜けないが、ザベッジのギルドであるヘルクライヤーズが、行き来する馬車等を止めてくれている。
対向車はこない。
全開走行はさらに鋭く
だが、不意にアクシデントが二人を襲った。
「っ! マスター、前に!」
「チィ! こういうことっ、
急ハンドルを切って、
スピン一歩手前の危うい状態から、カウンターを当てて路肩を走り抜ける。
道の真中に、モンスターがいたのだ。
それも、子供を連れた獣人だった。僅かな一瞬で、粗末なボロ着と手にした
予定外の失速だったが、どうにか接触は避けられたようだ。
イオタはクラッチを踏みながら、高速でシフトダウン。
ギアを二速に落として再加速……その時、背後で悲鳴が響いた。
衝撃音と同時に、高笑いが響く。
「
すぐ背後に、ザベッジのカローラが追いついてきていた。
その差は、
そして、カローラのボンネットに仁王立ちで、黒い悪魔が笑っている。酷く
ベルゼバブの視線は、バックミラー越しにイオタを見詰めてくる。
呼吸が苦しくなって、思わずイオタは胸に手を当て自分を落ち着かせた。
「ベルゼバブ……マスター、このまま行ってください。私が少し話してみます。あのウェアウルフの親子は」
「あのカローラはラリーカーだ……当然、大自然の中を走る前提で設計されている。ダメージはむしろ……くっ、モンスターとはいえ、生き物を
CR-Zのボンネットにも、ルシファーがふわりと浮かび上がった。
右羽根だけの
ルシファーはゆっくりと、背後のカローラを振り返った。
「ベルゼバブ、いえ……地の神バール。ソロモン王が第一の悪魔として用いたあなたが、どうしてこのような暴挙を」
「おお! おお……その麗しき姿、まさしく我が愛しのルシファー。
「質問しているのは私です、バール。……やはり、あの時あなたを誘って巻き込んだこと、恨んでいるのでしょうね」
「いえいえ、ルシファー! 我が明けの明星、
駄目だ、会話が成立しない。
そして、イオタはさらに苦境に立たされる。
下りの前半部分が、もうすぐ終わる……ここからは、川底の中間地点を抜けて上りなのだ。それは僅かな勾配だが、確実にCR-Zに不利な状況である。
一般的にバトルは、下りのダウンヒルと上りのヒルクライムに分けられる。
ダウンヒルは、パワー差が出にくく、軽い
逆に、ヒルクライムはパワーとパワーの真っ向勝負なのである。
「ごめんなさい、マスター……言葉は通じるのですが、会話が成立しません。……彼は、私が主に背いて戦を起こした時、共に戦った土着の神です。それが今は、魔王に堕とされてしまった」
「神様と教会のやりそうなことさ。戦争に負けるって、そういうこと……勝者がその後を全て決めるからね」
「それより、上りが始まります。私は魔力の抽出を……限界まで力を振り絞ります!」
「いつも通りでいいよ、ルシファー! ここからが正念場だけど、さ」
そう、今にも横に並んできそうな勢いで、背後のカローラが右に左にと揺れている。その気配を背中で感じながら、はっきりとイオタは言葉を切った。
「正念場だからこそ、なんだろう……嬉しい、のかな。楽しみたいんだ、俺は変だな」
「いえ、マスター! おかしくはありません!」
イオタは笑っていた。その笑みは、苦境の中で浮かぶ、いわゆる「もう笑うしかないよね」という
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