第4話「夜会は走るよ、彼方まで」

 イオタは、カレラからのバトルの申し出を断れなかった。

 逃げる理由も言い訳もあるし、逆に受けて立つメリットはない。

 だが、夜道でハンドルを握る今はわかる……

 この決断は自分の意思だと、そう言いきれる。


「ねね、イオタ。……イオタも、バトル、するんだ……意外だよぉ」


 何故なぜか今、隣のシートにはリトナが座っている。

 ついていくの一点張りで、イオタより先に龍走騎ドラグーンに飛び乗ったくらいだ。リトナは、イオタのCR-Zだけは怖がらない。乗ってて気持ちが悪くならないと言う。

 おかげでイオタはいつも、おせっかいで世話焼きな妹分の脚代わりだ。

 二人を乗せたCR-Zは、闇夜の街道をゆっくりと走る。

 先導するカレラのポルシェは、旧世紀最強のスーパーカーとは思えぬほど穏やかに走行していた。後ろには、デルタのランエボファイブがついてくる。


「意外、かな?」

「そ、意外だよ。……イオタ、喧嘩けんかとか嫌いじゃん」

「そうだな、でもバトルは喧嘩じゃない。それに、さ……ずっと思ってたんだ」


 そう、この時代に飛ばされてからずっと考えていた。

 ここははるかなる遠未来えんみらい、人類の叡智えいちと共に法律は消え去った。

 暴力こそが全てという、魔王の軍勢の驚異……そして、教会の教えを中心にした原始的な徳による法。その中には、イオタの時代にあった道路交通法どうこうほうなど存在しないのだ。

 だが、イオタがそうであるように、多くの龍操者ドラグランナーが独自のマナーを己に課す。

 道は人のもので、荷馬車も通る。

 いわば公道で、甦った旧世紀の龍走騎ドラグーンはちょっと借りるだけだ。


「俺がいた時代も、こうして車を走らせるのが好きな人達がいた。でも、誰もがサーキット、レース場に行ける訳じゃなくてね。……でも、道路には規則がある」

「それを破ると、どうなるの?」

「罰があるよ。免停めんてい、罰金、免許剥奪まで様々だし、刑務所にだって入る時もある」

「そうなんだ」


 リトナは腕組みをして、うーむと考え込んでしまった。

 そして、パッと表情を明るくする。


「イオタももしかして、そういうのやってたの? その、ルール違反の運転」

「いや? そもそも免許を持ってなかったからね。……でも、正直に言えば少し憧れてた」


 一般車が入り交じる公道での、非合法イリーガルなバトル。

 なにをどう言い訳しても、立派な法律違反で、インモラルな犯罪である。対向車を遮断してのバトルだって、どれだけ安全に気を使っても違法は違法だ。

 それなのに、自動車は時速100kmものスピードが出るようにできてる。

 そのポテンシャルを、いったい誰が解き放たずにいれるだろうか。

 バカだなと思うし、イオタもそのバカの一人だったのである。


「それにしても、カレラさんって運転上手だね……なんだろ、わたしにもわかるよ。とってもなめらかで、落ち着いてて。あんましビュンビュン飛ばさないんだね」

「上手い龍操者ドラグランナーはみんな、普段は穏やかだよ。道だって必要があればゆずるしさ」

「そーなんだぁ……ふふ、なんだかイオタ楽しそう」


 リトナが笑うと、つられてイオタも笑顔になった。

 その間もずっと、CR-Zは街道を西へと走る。

 今回のバトルは、公平を期すためにお互い初めて走るダンジョンが選ばれた。この先に、大河をくぐって渡るための洞窟『銀水晶ノ交易洞ギンズイショウノコウエキドウ』がある。勇者一行の中には馬車で多人数を引き連れる者達もいるため、洞窟の中は整備されて広いらしい。

 言うなれば、天然の地下道だ。


「でもさ、イオタ。危ない真似まね、しないでね……ってもう、手遅れっぽいけど」

「そうだなあ。ま、もともと勝負にならないんだし、胸を借りるつもりで」

「……やっぱ、胸……カレラさん、おっきーもんね……男ってやっぱ……」


 リトナは自分のつつましい胸に両手を当てた。

 そういう意味じゃないのだが、イオタは口を挟めなかった。

 不意に背後……後方、ランエボⅤのずっと後ろから光が近付いてくる。

 すぐに龍走騎ドラグーンのヘッドライトだと思った、次の瞬間だった。二、三度ライトがまたたいて、挑発するように後続の車が蛇行だこうする。それは龍操者ドラグランナーの一部で暗黙のルールとなっている、バトルをいどむ時のパッシングだ。

 だが、前のカレラはすぐにポルシェを減速させて路肩ろかたに寄せる。

 十分な車間距離があったので、イオタもそれにならった。

 自分が前を走っていても、道を譲るだろう……この手の龍操者ドラグランナーが紳士的な人物だった前例を、イオタはあまり知らない。


「あっ、お兄ちゃんがっ!」


 背後を振り向いていたリトナが、悲鳴をあげる。

 フル加速で追い抜いていく一台の龍走騎ドラグーンを、デルタのランエボⅤが追いかけ出した。彼の龍走騎ドラグーンに宿る縁陣エンジンには、とてもパワフルな幻獣が召喚されているのだ。

 旧世紀を思い出すように、ターボのうなりを思わせる爆音でデルタが走り去る。

 もともとデルタは、気風きっぷがいいがお調子者である。

 そのことはイオタも知ってたが、なかなかに人たらしなところがあって憎めないのだ。だが、今は正直に心配ばかりがつのる。

 驚く妹のリトナを置き去りに、デルタのランエボⅤが、そのテールランプが小さくなって消えた。


「行っちゃった……もぉ、お兄ちゃんのバカッ!」

「追いかけなきゃ。どうやらカレラさんも同じ考えみたいだし」


 ポルシェが少し速度を上げる。

 月夜の晩、遠ざかる爆音が激しく絡み合って聴こえた。

 流石さすがのカレラも気にしたのか、先程の静かな走りが消えた。

 瞬間、イオタは目の前のポルシェに目を見開く。

 急加速でわずかに沈んだリア、そのタイヤから翼のように炎が広がった。宿ったフェニックスの魔力が漏れ出ているのだ。この時代では縁陣エンジンの魔力で動くのが、龍走騎ドラグーンである。強力な幻獣を宿せば、その力は魔法と同じだ。

 一瞬でポルシェは、低く腹に響く音を残して走り去る。

 本来はカーナビがあった場所に、妙齢の美女が映ったのは、そんな時だった。


「追いかけましょうか? マスター」

「ああ、デルタの兄貴が心配だ。いいかい? ルシファー」

「全てはマスターの望むままに」


 CR-Zの縁陣エンジンでもあるルシファーが、小さく微笑ほほえんだ。

 彼女が画面から消えると同時に、イオタはギアを一つ落としてアクセルを開く。

 右足と左足が忙しく動いて、一度離れたクラッチは再び触れ合い噛み合った。

 徐々に加速するが、どんどんポルシェは遠くなってゆく。


「流石はポルシェ911、最強と言われたGT2だけはある」

「ねえ、イオタ! 追いつけないよ? これって……」

「ま、直線勝負ならこんなものだよ」

「この子、何馬力くらい出てるの? 400? 500?」

「んー、ルシファーの全力全開で、250馬力くらいかな」

「えっ、たった250馬力!?」


 素人しろうとのリトナでも驚くだろう。

 無理からぬ話だが、FF構造のCR-Zでこれ以上の馬力は意味をなさない。もっと極端なチューニングで、ピークパワーを叩き出すことも可能だが……前輪のみで駆動するCR-Zは、そのパワーを地面に伝えることができないのだ。

 それに、ルシファーには彼女だけの事情がある。

 奇妙なえにしで相棒になってくれた堕天使だてんしに、イオタは無理をさせたくないのだ。


「カレラさんのポルシェ、あれは……音から察するに、600馬力はあるね」

「倍以上なの!? ……勝負になんないよぉ」

「ま、そこは今から行く洞窟次第だけど」


 どんどんポルシェが暗闇の中に遠ざかる。

 CR-Zとは対象的に、カレラのポルシェはRR……リアエンジン・リア駆動である。その操作性は、クイックな反応でとてもシビアだ。まして、フェニックスを宿した限界チューンならば、ピーキーさは見るだけでわかる。

 この暗い街道を、カレラはまるで手足のようにポルシェを操っていた。

 縁陣エンジン龍走騎ドラグーンの一番重い部分である。召喚される幻獣達の、その魔力が伝達時に質量を発生させるからだ。その重い縁陣エンジンが、車体のリアに載っている。加速時に荷重がリアにかかれば、後輪は縁陣エンジンの重さで大地を踏み締め、強く蹴り上げるのだ。


「さて、と。リトナ、ポルシェはさ……万能のスーパーカーじゃないんだ」

「と、いうと……」

「ベルト、してるよね? 身体を固定してて。……さて、行きますか」

「ひあっ! ちょ、ちょっとイオタァ! ポルシェの話はぁ!?」


 そう、ポルシェはRRというレイアウトを持つことで、最強の瞬発力と同時に……酷くナイーブで気の抜けない運転特性を持っている。

 それが今、目の前に広がる光景だ。

 長いストレートが終わり、ややRアールのキツいコーナーが現れた。

 ブレーキランプが何度も瞬いて、ポルシェが減速する。この瞬間、リアの荷重が抜けて、前のめりにフロントが沈み込む……タイヤが大地を蹴る力、トラクションが抜ける。この時のポルシェは、まるで綱渡りタイトロープだ。

 慣性に負けて、リアが滑り出す。

 少しでも気を抜けば、スピンだ。

 だが、カレラがそういう龍操者ドラグランナーではないと思うから……迷わずイオタは突っ込んだ。


「ふああああっ! ぶつかるっ!」

「ぶつからない! 俺も、カレラさんも!」


 横滑りするポルシェが、ぐんぐん近付いてくる。

 その横に、僅か数十センチの距離にイオタはCR-Zを寄せた。

 CR-Zの最大の武器、それは軽さとレスポンスだ。こうしている今も、イオタは右足でアクセルを踏みながら……同時に、せわしく緩急かんきゅうをつけて左足でブレーキを踏む。

 通常は、右足のヒール爪先トゥを使って同時に踏む、これがヒールアンドトゥだ。

 だが、イオタは躊躇ためらわずに左右の脚を使うのだ。


「……やっぱり七聖輪セブンスの走り方だな、カレラさん。全く動じてないよ」

「いいから! もぉ、イオタ! ぶつかるってば!」


 まるで手を取り合って踊るように、二台の龍走騎ドラグーンは互いを並べる。極端に軽いCR-Zは、ブレーキングをギリギリまで遅らせることができ、コーナーからの立ち上がりも鋭い。逆にポルシェは、繊細せんさいなペダルワークが要求されるのだ。

 イオタは見た……ウィンドウの向こうに、カレラが笑ってるのを。

 彼女は逆ハンドルにカウンターを当てながら、楽しそうに笑っていた。

 そして、イオタは同じ興奮からくる笑みを、自分も浮かべてることには気付かない。こうして二人は、目的地まで直線で離れては、カーブの度に寄り添いあった。

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