第2話「勇者を選ばなかった、勇気」

 ユーティス村は小さな集落だ。

 魔王の軍勢が戦列を並べる最前線とは、山を一つへだてて平和そのものだ。

 その小さな村に、若き再醒遺物リヴァイエ技師の工房があることは、あまり知られていない。村人と一部の常連客だけが、修理や発掘を頼むくらいだ。

 工房の主は、まだ十代の少年だ。

 そして、彼がこの世界の人間ではないことは、誰も知らない。


「なあ、聴いたかい? なんでも昨夜、また山の方で競争があったらしいのう」

「バトルって行ってくれよな……でも、よく知ってるな、爺さん! そうなんだよ、俺も見に行きたかったぜ!」


 注文の品を待つのは、老人と青年。どちらも、狭い工房のカウンター前で立ち話だ。

 その会話を聴きながら、イオタ・キサザキは今日も仕事をこなす。彼にとっては日頃見慣れたアレコレが、この時代では何千年もの年月を積もらせている。そうして眠った機能を復活させ、動力源を今のものに置き換えるのが彼の生業なりわいだ。

 今日は村長に頼まれたシェーバーと、兄貴分の友人が持ち込んだラジオだ。

 どちらも、遺跡の中から発掘された旧世紀の遺産、再醒遺物リヴァイエである。

 イオタは修復が完了したそれらを持って、客の前に歩み出る。


「村長さん、それとデルタの兄貴あにき。できたけど、試してみてくれるかな」


 まずは村長にシェイバーを渡す。

 勿論もちろん、この時代に電池は残っていないし、充電に使う電源すら存在しない。さらに言えば、長い年月の中であらゆる部品が劣化した化石のようなものだった。だが、この時代にはこの時代の文明があって、その理論と法則を移し替えるのがイオタの仕事である。

 村長はシェイバーを手に取り、細い目を見開いて笑った。


「おお、どれどれ……相変わらず丁寧ていねいな仕事じゃのう」


 村長の手に、無数の光が筋と走った。

 そして、その輝きに呼応するように、突然シェイバーが震え出す。深剃ふかぞ二枚刃にまいばがウリの高級品で、ヘッドも自在に動いて曲面にフィットする。

 今という時代、再醒遺物リヴァイエを動かすのはだ。

 魔法が当たり前となり、魔力の強さがそのまま社会的地位になる。ゆえに、製造不能な再醒遺物リヴァイエも魔力回路を組み込んでやることで、電力に代替するエネルギーを得ることができるのだ。

 つまり、修復されたシェーバーのエネルギー源は、村長の魔力である。


「ふむ、良さそうじゃのう。クリームはほれ、ばあさんがクムの実から作るやつがいいんじゃよ。まあ、イオタにはまだ早かろうて、ホッホッホ」

ひげの手入れは大事ですからね、村長」

「そうじゃぞ、紳士たるもの身だしなみはとても重要じゃ」


 そうして村長は、無精髭ぶしょうひげのデルタを見やって笑う。

 料金を銅貨どうかで払って、村長は帰っていった。

 その背を見送るデルタが、イオタを見下ろしてくる。


「よぉ、俺のはどうだ?」

「ああ、できたよ兄貴。でも、ラジオなんてどうするの? 放送は」

「あるんだな、これがな! 都会じゃ今、念波放送ねんぱほうそう流行りゅうこうでよ。お前さんが直したラジオなら、受信できっかもしれねえ」

「ま、試してみようか」


 スイッチを入れると、砂嵐すなあらしを連想させるノイズが響く。ダイヤルを回しても、その濃淡が変わるだけで、音も声も聴こえてこない。

 だが、デルタは根気よく探るように、チャンネルを合わせていった。

 そして突然、数千年前のラジオは喋り出す。


『はい、次のお便りです! リスナーネーム、最強勇者俺様さん。えーと……この時代に来てはや三年、そろそろ帰りたいんですがまだ無理です。あー、これって勇者さん達で流行はやってるアレじゃないですか? そう、ブレイバージョーク! で、なになに――』


 手紙を読み上げるDJの声が、心なしか笑っている。

 思わずイオタは表情を失ったが、ポンと頭を叩かれた。

 デルタは無言で、気にするなと笑う。


『えー、最近は発掘されたCD……ああ、あの円盤のことね。保存状態が奇跡的によいものを選んで、昔の音楽を聴いています。ふーむ、なるほど。それを今日はリクエストね? オッケー、勇者さん。王立放送局のストックにあるか、今探してもらって――』


 そう、一般人は信じてくれない。

 魔王と戦うために、この時代には多くの勇者が招かれている。それは、イオタ達がいた時代、

 イオタには、デルタ・リットナーという理解者がいる。

 この村では詮索せんさく無粋ぶすいとされたし、村人は皆人柄がよくて親切だ。

 だから、イオタは勇者として戦うことを強要されたことはない。


「よぉ、イオタ……例の龍走騎ドラグーン、見つかったか? なんつったかな」

「や、車種までは。ただ、隣町で修理を頼まれたトラックは違ったみたいだ」


 いわゆる異世界に見えるほど変貌してしまった、地球……イオタも、ここが故郷の日本なのかどうかさえわからない。ただ、日本語がほぼそのまま通じるのはありがたかった。

 自分の他にも、この時代へ転生させられた少年少女に何度も出会った。

 皆、戻るための方法を探す中で、王国に保護されて勇者になり、戦っている。

 イオタと同時期に来た者は、彼を除いで全て勇者になることを選んだ。


「なんか、イオタはトラックとかいう、あれだろ。荷運びによく使われてる龍走騎ドラグーンに」

「そう、道路でかれそうになって……そして、気付いたらこの時代に来ていた。王国の魔導師まどうしに言われたよ。こっち側に来た儀式で、あっちへ……つまり、過去へ戻れる可能性はあるって」

「俺の愛車じゃ駄目か?」

「兄貴のランエボ……ランサーエボリューションファイブじゃ、無理だよ。儀式の触媒として、同じものを用意しないと成功率が悪くなるって」

「何千年も前に、お前さんをねたトラックねえ……ま、地道に探せや」


 デルタは再びラジオと格闘を始めた。

 この男は村で唯一、仕事もせずにぶらぶらしている遊び人で、そのくせ、たった一人の妹を養っている。日頃からずっと、どうやって金を稼いでいるのか不思議なくらいだ。

 自慢の龍走騎ドラグーンだって、メンテナンスだけでかなりの金がかかる。

 にも関わらず、彼が働いているのをイオタは見たことがなかった。


「くっそ、チャンネルが……首都の方でよ、龍操者ドラグランナーの情報番組をやってんだよ。先週はゲスト、あの七聖輪セブンス紅一点こういってん、カレラちゃんだったんだってよ!」

「へえ、そうなんだ」

「お前、反応薄いなあ。どうだ? 今夜あたり、俺等も山に行ってみようぜ」

「そんなことを言ってると、またリトナに怒られるよ」


 リトナ・リットナーはデルタの妹である。

 歳はイオタの三つ下だから、十四歳だ。デルタと違って働き者で、一人でリットナー家の家事一切を取り仕切っている。居候いそうろうのイオタまで面倒を見てくれる、とてもありがたーい女の子なのだった。

 彼女は、酷く龍走騎ドラグーンを嫌っている。

 両親を交通事故……馬車に龍走騎ドラグーンが激突した事故で、失っているからだ。

 だが、デルタは全く気にした様子を見せない。


「人斬りを恨んで剣を恨まず、だ。そりゃ、龍走騎ドラグーンが悪いんじゃねえ……龍操者ドラグランナーが悪いんだな。うんうん」

「なかなかそうは割り切れないと思うけど」

「なぁに、リトナも大人になればわかってくれる。で、だ……今夜な、今夜!」

「ん、まあ……でもリトナが」


 イオタも、実は龍走騎ドラグーンを持っている。

 品物を離れた場所に配達したり、あとは村人に頼まれて遠出する時に使っていた。怪我人や急病人を町に運ぶこともあったし、昨夜もとうげの向こうへ武器を届けたばかりだ。

 あまり好きな仕事ではないが、重火器のたぐいを修復する仕事も軍から回ってくる。

 仕事を選んではいられないくらいには、龍走騎ドラグーンは金食い虫なのである。

 そう思っていると、店のドアが開いてベルがカラランと鳴る。


「ちょっと、お兄ちゃん! イオタを悪い道に誘わないでよねっ!」


 先程話題にのぼった、リトナが怒気を荒げて入ってきた。

 怒ってはいるのだが、毎度のことなので全然怖くない。

 だが、デルタは大げさにイオタの影に隠れた。


「やあ、おかえりリトナ。町からのバス、こんな時間にあったかなあ」

「丁度、八百屋やおやさんの馬車に便乗できたの。だから、おもわずお礼に沢山買っちゃった。今夜はね……野菜どっさり、特製スープだよっ!」

「それはいいね。で……そっちの人は?」


 リトナの隣に、小さな女の子が立っていた。

 そう、酷く小さい……そして、酷い童顔だ。イオタがいた時代なら、恐らく小学生くらいだろう。その癖、妙に露出の際どい服が内側から胸や尻に盛り上げられている。

 翡翠ひすいのような長髪をツインテールに結った、とても綺麗なだった。

 そして、彼女はあまり人里では見ない、エルフである。


「はじめまして、えっと……リトナ、どっちが話の彼かしら?」

「あ、えと、お兄ちゃんじゃない方。ちょ、ちょっと格好いい方っ! あ、ううん、全然素敵な方!」


 イオタはどこかで、酷く特徴的なエルフの少女を知っている気がした。

 まるでお姫様のような気品が漂うが、エルフの王族は森の奥から出てくることはないという。ハイエルフと呼ばれる高貴な血族は、あまり人間には接触してこないのだ。

 だが、目の前の少女は大きな瞳をわずかに細めて微笑ほほえむ。


「はじめまして、ええと、イオタ・キサザキ君よね? ……珍しい家名、もしかして、いわゆる勇者だったりするのかしら?」

「勇者には選ばれた程度、かな。王国の誘いは断ったんだ。ええと、もしかしてあなたは」

「あら、やっぱ気付く? まあ、そうよね……七聖輪セブンスの一人、カレラ・エリクセンよ」


 背中にしがみついていたデルタが「あ、ああーっ!」と飛び退いた。彼はカレラを指さしつつ、震えながら固まってしまった。

 何故なぜ七聖輪セブンスのカレラがこんな辺鄙へんぴ田舎いなかに?

 その理由はリトナが教えてくれる。


「なんかほら、イオタの龍走騎ドラグーンあるじゃん? あの、小さくて白い子。あれを探してたんだって。どーも、話を聞いたらイオタっぽいなと思って」

「そういうことよ、イオタ君。……少し二人で話せるかしら? できれば、店の裏のガレージでね」


 それが、二人の出会いだった。

 そして、退屈だが穏やかな日常の終わりをも連れてくる。

 膠着状態こうちゃくじょうたいのまま慢性化した戦争の片隅で……伝説が今、生まれようとしていた。

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