第6話 嫌だ
ずいぶん古めかしいこの校舎において、便所掃除は、あらゆる掃除場所の追随を許さぬほど不人気だった。それだから余計に汚くなるという悪循環すらも抱えているのだが、少なくとも気に入らないやつに押しつけるための「汚仕事」としていくらかの需要はある。
女子グループは蛇のようにするすると近寄り、ひとりの少女を取り囲んだ。音もなく、感情もなく、当然のこととして悠紀は獲物であった。
「お前が全部やれよ」
「嫌だ」
魔が差した。
そうとしか考えられなかった。悠紀にとっても、蛇にとっても。
今朝の苛烈ないじめによってたがが外れていたのかもしれない。もちろんどうなるかは想像がついていた。しかし悠紀の尊厳というものが、堅く閉ざされていたはずの心の隙間から芽生えて、理不尽な命令に従うことを拒んでしまった。
女子たちは激昂して、生意気な少女を容赦なく蹴り飛ばした。悠紀はうずくまった。柔らかいサッカーボールが複数人の足元を転がっていく。胸を蹴りぬかれて息ができなくなり、顔を踏みつぶされて視界は濁った。
やがて誰かが両手を伸ばして悠紀の長髪を鷲掴みにした。歩くことさえできなくなった悠紀をそのままトイレまで引きずっていく。
「死ねよ」
そこには水を湛える洗面台があった。そして抵抗する力はなかった。
水面がぐいと近づいて鼻先に触れ、ばしゃりと一気に押し込まれた。真冬の水道水が腫れあがった頬を突き刺す。歯を打ち鳴らしても、足をばたつかせても、クラスメイトの冷酷な怒りは収まらないらしい。
罵声が遠のいていく。心音だけが轟々とうなる。
がぼっ……と吐き出された空気が顔面を這いあがった。血走った瞳は不定形な泡の一端を映して、せわしなく震え、まもなく閉じた。
悠紀の意識が戻ったのは2週間後だった。
この事件がマスコミに報じられて以来、学校の教師陣は教育委員会によって刷新され、校内の規律は一気に厳格化した。児童らのいじめ体質自体に大きな変化はなかったが、少なくとも教師の前で堂々といじめる者はいなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます