第5話 あんな奴のことが好きなのか?
悠紀が登校すると下駄箱から上靴が消えているのは日常だった。大抵は近くのゴミ箱に突っ込んであったり、校庭のビオトープに浮かんでいたりする。
その冬の日も上靴はなかった。悠紀は重いランドセルを背負ったまま――ひとたび所持品をどこかに置くと今度はそれを消されてしまうからだ――いたるところを探して回った。師走の風が吹きすさび、通学で凍えきった身体をさらに震わせる。手の甲には冷たい雫がぽつりと落ちた。
この日に限っては朝礼開始の時間ぎりぎりになっても見つけきれず、すでに人の気配がない階段を昇って教室へ向かった。
「おい渡辺が来たぞー!」
「このクラスから追放するって決めたんだから入ってくんなよ」
廊下の角を曲がった瞬間、白っぽい塊が飛んできて悠紀の目尻をかすめた。反射的に顔をあげると、目深にかかっていた前髪がふわりと浮いて視界が広がる。そこには嘲笑を浮かべるクラスメイトたちの姿があった。
二十余人の敵意がイワシのように集まって巨大な魚影をつくっている。あの群れからあぶれた者が悠紀のような標的にされてしまうだろうことは、火を見るよりも明らかだった。
「なぁはやく投げろよ」
「もしかしてあんな奴のことが好きなのか?」
「……」
気の弱そうな男子はうつむいたままなにかを握りしめていたが、周囲に促されて大きく振りかぶった。白っぽい塊は見事な放物線を描き、したたかに悠紀の額を直撃する。ぼてっと床に落ちたものは探していた上靴だった。ついさっき背後に転がっていったのがもう片方らしい。
少女は無表情を張り付けたままそれを履いた。まるで血の通っていない足の指先に、直前まで上靴を握っていた気弱な男子のぬるい温度がまとわりついた。
悠紀は身震いをひとつすると巨怪魚の巣くう教室へ歩き出す。クラスメイトたちは侵入を阻止すべく蹴ったり箒で叩いたりするが、手で触ろうとする者はいなかった。どうやら汚物扱いされていて、直接悠紀に触れるとバイ菌が移ってしまうようである。そのおかげで無理矢理にでも前へ進もうとすれば自然と道ができた。
そうしてチャイムと同時に自席へたどり着くと、ウィンドブレーカーを脱いで腰を下ろす。そのとき服の袖から覗いた腕は痣だらけで真っ青だった。
朝礼前に教科書やノートを机に収めてランドセルを棚に入れておく必要があったが、当然それも間に合わなかった。
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