3.なんか……機嫌悪い? - 赤城山②

 赤城山の最高峰、黒檜山くろびさんの麓に鎮座する赤城神社へは、バス乗り場から大沼おののほとりを歩いて向かうことになる。

 大沼は赤城山山頂最大のカルデラ湖で、冬季には湖面が氷結してスケートやワカサギ釣りができるようになるという。小規模ながら『御神渡おみわたり』が発生することもあるんだとか。

 もっとも、いまは紅葉の見ごろにすら少し早いくらいの時季だ。紅葉を始めたばかりの山並みは、薄曇りの天気も手伝ってかなんとなく寂しげな印象を受ける。吹きすさぶ寒風が早くも冬の訪れを予告しているかのようだった。

 氷結した湖面、積もる雪。冬にはまだ早いはずなんだけど、私の観た夢は冬のような光景だった。


「変な夢もあるものね」


 私がバスで見た夢を話すと、えるはそう言った。


「なにかの暗示だったりするのかな」

「なにかって、なに。天変地異の予兆?」

「そうは言わないけどさ。この先の出来事を指し示してるみたいな……夢占いみたいに」

「そんなの、話のネタ以上の意味はないでしょ。その手の占いはバーナム効果なんだし」

「現に話のネタにはなってるね」

「まあ、そうね」


 話しながら歩く私とえるの隣を、自動車やバイクが行き交っている。バスは空いていたけど、ここはドライブやツーリングに人気のスポットらしい。

 参拝を終えたらしい親子連れがすれ違っていく。小学生くらいの男の子が大沼を指さして「ぼくが落ちたら死んじゃう」なんて言って走り出す。

 それにつられてなんとなく、大沼を覗き込んでみる。コンクリートの歩道の1メートルほど下に、波が打ちつけている。湖面は黒々、だけど日光が反射してそこだけは白んでいる。泳ぎの経験はあるけど、この不気味な湖面に呑まれたらパニックで泳げる気がしない。

 私でも死ぬな。

 覗くのをやめると、えるはわたしとは逆に空を見ていた。その目を眇めた表情は、夢の中で見たあの忌々しげな空気を孕んでいる。


「……える?」


 声をかけるのに、少しためらいがあった。だからつい小声になる。

 えるは空を見るのをやめて、今度はうつむき気味の角度でふうと長く息を吐いた。


「いきましょ」


 なんだか、変な雰囲気。



          *



 赤城神社のシンボルといえば、大沼の湖畔と神社のある小鳥ヶ島ことりがしまとを渡す啄木鳥橋きつつきばし。鮮やかな朱に塗られた姿は四季折々の赤城の風景に彩りを添え、とても風雅な雰囲気を醸し出している。

 けども。


「……通れないね」


 いまは老朽化により通行禁止。橋と同じ色の、だけど馴染まないカラーコーンがバリケードを形成していた。

 観光ガイドやネットに掲載されている写真では美しかった啄木鳥橋も、実際に間近で見てみるとひどく傷んでいた。朱色は所々が剥げ落ちて木目が露わになっているし、欄干はささくれ立って、橋桁に至っては材木が折れてひしゃげている箇所がある始末。


「それでもシンボルはシンボルみたいね」


 えるは橋から離れて、無骨な一眼レフを構えている参拝客に視線を向ける。通行禁止は承知だけど、記念写真の一枚くらいは撮りたい……そんな人は少なくないみたいだ。

 私も撮りました。


 橋が使えない状態でどうやって境内へ向かうのかというと、迂回して駐車場を通り抜けるだけ。小鳥ヶ島は島といっても実際には半島で、啄木鳥橋はかぎ状に出っ張った部分の先端とその対岸とを渡しているのだ。

 この迂回路は裏口から入るような感じになるので、いまひとつ風情に欠ける気がする。


 行き交う車が多かっただけあって、駐車場もそれなりに混んでいる。マイカーで訪れる人のほうが多いから、路線バスはあまり力を入れていないのかも。

 参拝客はただ神社をお参りするだけではなくて、赤城の自然を堪能しているみたいだった。我が物顔で大沼を泳ぐコイを眺めていたり、柴犬を連れて散歩していたり。


「……絵を描いてる人が多いね」


 あたりを見回すと、十数人の男女がめいめい好きな場所に陣取ってスケッチブックを広げ、鉛筆や絵筆をのびのびと走らせている。


「そういうツアーなんじゃない」

「ツアー?」

「パックのやつ。旅行会社の。同好の士と写生ツアー行きませんか、みたいなの」

「ああ、なるほど。そういうのもあるんだ」

「さとも描いてみたら?」

「背景はなるべく素材で済ませたいんだよなあ……」


 絵を描く人は絵ならなんでも描けるかっていうとそんなことはない。私みたいに漫画ばっかり描いている奴はえてして背景を描くのが苦手、いやむしろ嫌いで、横着しがちである。

 ……とかいって、世の中には背景をめちゃくちゃ描き込む人もいるんだけど。



          *



 赤城神社といえば、東京は神楽坂にあるマンションを併設した赤城神社が有名だけど、それをはじめとする関東ひいては全国に広がる赤城神社の本宮が、ここ赤城山に鎮座する赤城神社だとされている。

 主祭神は赤城大明神。赤城の山と湖の神様だ。江戸時代には将軍家の信仰も篤かったそうで、東照大権現、つまりは徳川家康も一緒に祀られている。

 山と湖の神さまを信仰しているということで、ご神体は赤城山そのもの。つまり赤城神社はご神体の上にあり、参拝客はご神体の上でお参りするのだ。


 そんな赤城神社の拝殿は、啄木鳥橋と同じく美しい朱塗りが特徴。春の新緑、夏の青空、秋の紅葉、冬の白雪……と四季折々の色合いと相まって、それぞれ素敵な姿を見せてくれる。

 四季の風景は神社としても魅力的だと自認しているのか、赤城神社では季節限定のお守りやご朱印帳なんてものを頒布しているくらい。

 私は自分のご朱印帳を持っているから、限定モノだからってご朱印帳をいただこうとはしないんだけど……。


「……へへ、見てよこれ」


 参拝を終え、カバンより取り出したるはとっておきのマイご朱印帳。折本式のそれは、なんと表紙が木製なのだ。


「前使ってた諏訪大社のやつ、もう埋まったの?」

「うん。これはね、伊勢神宮のヒノキ材を使ってる限定ご朱印帳なんだよ。すごくいい匂いがするから、ほら、嗅いでみて」

「え、やだ。人前でご朱印帳の吸引なんかしないでよみっともない」

「吸引って……」

「ところで、ここのご朱印は書置きみたいだけど、それ出さなくてよかったんじゃない?」

「自慢したかったんだよお……せっかく新しいの買ったんだもん……」



          *



 無事にご朱印をいただいたあとは、遅めのランチにすることにした。

 神社から少し歩いたところに神社とは別の駐車場があり、その周りに土産物屋や宿が軒を連ねている。建屋はいずれも年季を感じさせる外観で、なんというか――


「なんか古臭い……」

「一刀両断するじゃん」


 まあでも、えるの評価は私も同意するところではある……。

 今どき人気の観光地って大抵インスタ映えするものだと思うんだけど、少なくともこの風景はインスタグラムの洒脱さというか、キラキラした雰囲気にはきっと適応できない。ツイッターでなら映えるかな?


 この評価が正鵠を射ているかはわからないけど、平成初期って感じ。スマートフォンはおろか携帯電話すらまだ普及していなくて、テレビは画質が粗くて色彩もいまひとつだし、前橋駅前には綺麗なロータリーなんてなくて、でもバスはまだまだ新しくて……ううん、私の想像力で描ける平成初期はここまでだ。

 ともかく、そんな時代に輝いていた、だけどいまでは少しうら寂しい……みたいな、そんな雰囲気を感じた。いや、悪口を言うつもりじゃなくて。お前に平成初期のなにがわかると言われると、ぐうの音も出ないんだけど。


 っていうか、私は別にこき下ろしたいわけじゃないんだ。そもそも、ここの雰囲気は私は結構好き。ただ、その感覚はきっと一般的な感性ではない。


「えるはこういうとこ好きじゃないの?」

「好きじゃない。嫌いでもないけど。ただ観光地なら相応の体裁は整えたほうがいいんじゃないって思うの」

「なるほど……。でも、こういうのが好きって人もいるんじゃないかな」

「それ言いだしたらなんでもアリでしょ」


 そんな話をしながら、休憩所の扉を開く。あんまり相応しい話題じゃないな。

 休憩所はフロアの半分を土産物屋、もう半分を食事処として営業していた。これがまた外観に違わない内装で、タイムスリップしたような気分にもなる。

 土産物屋にはお煎餅にお饅頭、チョコレート、ポピュラーなお土産の数々や特産品が並んでいて、その中に大きく居座る地元のゆるキャラ・ぐんまちゃんはどことなく異彩を放っていた。


「すごい、自販機だよこれ」


 食事処は食券式なんだけど、食券機は自動販売機を改造して作ったものらしい。本来なら飲料のパッケージが並んでいる場所にメニュー名が記入されていて、その下に値段の表記があった。


「自販機に一気に200円以上持っていかれるのって人生初かもしれない」

「そんなことに人生初ってつける奴初めて見た」

「だって初は初なんだもん」


 私とえるが注文したのは、ここのオリジナルメニューらしい赤城うどん。一見するとこれといって変わったところのないごく普通のうどんだけど、具の山菜やしいたけは赤城で採れたもの……かもしれない。

 シンプルというのは、余計な混ざりものがないということ。変に凝ったところがないぶん、純然たるうどんの味を楽しめる。とくに寒風に晒されたこの身には、このうどんの暖かさは沁みる。美味。

 ……なんだけど。


「もしかして口に合わない?」


 そんなことを訊いたのは、えるがいまひとつ浮かない表情をしていたから。

 機嫌のよさそうな顔をしていることのほうが少ないくらいの彼女だけど、その表情の機微を見抜ける程度には私は付き合いがある。


「まずくはないけど」


 えるは少し眉根を寄せる。

 今日はちょっと様子がおかしい。


「える、なんか……機嫌悪い?」

「べつに」


 視線を合わせてくれないのは、たぶん、図星だから。的外れなことを言えば、もっと多くの言葉と呆れた表情を返してくれるはずだ。

 私がなにかデリカシーのないことをしでかしたのなら、いますぐ謝るべきだ。だけど、なんとなくひっかかる。私が謝っても意味がない……むしろ、逆効果になるような。

 ……いまはつつかないほうがいいのかな。


 昼食を終えた私たちは、前橋駅に戻るバスに乗り込んだ。車内は行きよりも少し人が多くて、ふたりきりという感じはしなかった。

 駅に着くころにはすでに陽は沈みかかっていた。ここから先、電車とバスを乗り継いで草津温泉まで、およそ2時間の旅程。

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