15.あなたってなんて名前だっけ - 伊豆高原ローズテラス
旅のしめくくりは、伊豆高原のおしゃれなカフェ。
色とりどりの草花に囲まれたテラス席で、生ハムバジルサンドと私はカフェラテ、エルフィンストーンさんはアッサムをいただく。
キノコ型の小屋が目印のローズテラスは、雑貨屋と地元作家のギャラリーが併設されたお店だ。特製のサンドイッチや薔薇のソフトクリームをはじめとするメニューは思わず目移りして、ここが雰囲気だけのお店ではないことを物語っている。
「なんか……気分が浮つくね。さっきまでいた場所が場所だったからかな」
まぼろし博覧会や怪しい少年少女博物館の空気とこのお店のそれとでは、根っこから違っているような気がしてしまう。ガロとハルタくらい違う。
「そう? どこにいたとかじゃなくて、こういう場所に慣れてないんじゃないの」
「え、遠回しのディスリスペクト?」
「場違いだって? それは被害妄想が過ぎるでしょう」
「ごめん、勝手に図星を突かれた気持ちになってた」
「まあ、似合わないのは確かかもね」
「おいこら」
エルフィンストーンさんはサンドイッチをひと口、小さくかじって食べた。
「……そういえば、あなたってなんて名前だっけ」
と、いきなり妙な質問をするもんだから、私は面食らって「え?」とだけ漏らして数秒フリーズ。健忘……? 一緒に旅しといて、名前を知らないってことはないでしょ。
「……
「フルネーム。字は?」
「
「なんでって、知らなかったから」
「え、でも、LINE……あっ」
アカウント名は『さと』だけなんだった。本名をそのまま使っちゃうのはまずいと思って……。
「いやいやでも、初めて会った飲み会のときに自己紹介したよね全員の。それ覚えてないの?」
「あんなのひとつも覚えてるわけないでしょ。むしろあなた覚えてるの?」
「覚え……て、ない……」
ただし、エルフィンストーンさん以外。エルフィンストーンさんのことだけはどうしても忘れられないくらい、強く印象に残っている。だって見た目が見た目だもん。この容貌を忘れられる人間は誰も彼もが美男美女の天上界の住人くらいだ。
「ま、いいわ。さとり、さとりね。覚えとく」
「ああ、うん。ありがとう」
ありがとう……なのか? よろしくかな。
それにしてもこの子、この2日間を名前も知らない相手と一緒に旅してたなんて、なんだか笑えてきちゃうな。普通は同道するひとの名前くらいは知ってるもんでしょ。物事の優先順位とか、思考の順序とか、人とは全然違うのかもしれない。
エルフィンストーンさんって、面白いね。
「エルしッ……」
噛んだ。
あまりに恥ずかしいので両手で顔を覆って隠す。叫びたいのは我慢する。
はあ、と呆れ100パーセントのため息が聞こえた。
「噛むくらいならその呼び方やめたら? 長いし」
「なんとお呼びすれば……?」
「……そうねえ」
エルフィンストーンさんは数秒の間をあけた。なんとなく私は居住まいを正してじっと待つ。
「じゃあ、『える』で」
「……チタンダエル?」
「古典部じゃなくて、あなたと同じように2文字とったの」
「ああ、なるほど」
える、える。口の中で繰り返してみる。馴染むまで、淀みなく発せるまで、幾度となく呼べたらいいな。
*
「ねえ」
帰りの電車を待つホームで、私は意を決して口を開いた。
えるは、返事をすることなくこちらに視線を向けた。
「……またさ、こうやって一緒に旅できるかな」
えるは視線を線路の向こうへと戻して、言った。
「さととなら、いいかもね」
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