6.フシギダネコと名付けました - 伊豆シャボテン動物公園③

「見てほら、気持ちよさそうだよ」


 私の指さす先で、カピバラが石造りの湯船に浸かって目を細める。ハーブの湯には一面を埋め尽くすほどのカモミールが散らされていて、カピバラはそれをもさもさとんでいた。数十人の人々に見つめられていても慣れっこなのか、すっかりリラックスしきっているみたいだ。

 これは落葉の頃から桜の季節にかけてのシャボテン公園の風物詩、カピバラの露天風呂。

 このイベントはいまでは全国の動物園で見ることができるけれど、ここ、伊豆シャボテン動物公園がその元祖だ。今から30年以上も前の冬の日、清掃に使っていたお湯にカピバラたちが足やお尻をつけて気持ちよさそうにしている様子を見た飼育員さんが発案したという。

 カピバラのお尻のあたりで、ぼこりと泡が浮かんではじけた。解説を担う飼育員さんが、「いま、この子がおならをしましたね。見えましたか?」と言った。


「見えない……」


 エルフィンストーンさんは唸るような声を出した。露天風呂を囲む見学スペースは段差やスロープで後方からでも見やすくされているけれど、小学生と見まがう背丈ではそれも無意味なようだった。抱え上げてあげようかというアイデアが一瞬脳裏をよぎったけれど、そんなことをしても怒らせるだけかもしれない。そもそも、いくら身長が低くて体重も軽いとしたって、私の腕力で持ち上がるものだろうか。

 そんなことを思案していたら、エルフィンストーンさんの視線はカピバラとは全く別の方向を向いている。カピバラを見るのはあきらめたのかと思いきや、別のなにかを見つけたみたいだった。周囲の何人かが、同じ方向を指さしている。そのうちのひとりの声が私の耳にも届いた。


「クジャクだ。羽開いてる」


 つられて私も視線を向けると、たしかにそこには半円状に豪華絢爛な羽を広げて優雅に歩くクジャクの姿があった。

 シャボテン公園ではインドクジャクとリスザルを放し飼いにしていて、運が良ければこうして見かけることができる。それにしても、羽を広げる姿を見られるのは輪をかけて幸運じゃないかな。

 クジャクが羽を広げるのはメスへの求愛のためだというのは有名な話だけれど、秋から冬にかけては繁殖期じゃないからそもそも飾り羽(上尾筒じょうびとうといって、尾羽じゃない)は抜け落ちている。つまり、春から夏にかけてのオスだけが美しい羽根を見せてくれる。ようやく春めいてきたこの時期はいいタイミングだった。


「綺麗だね。素敵」

「トイレの上じゃなければね」

「それを言っちゃあおしまいだあ」


 そう、エルフィンストーンさんの言う通り、クジャクは公衆トイレの上に立って雅なエメラルドグリーンを誇示している。彼にとってはなんでもない、むしろちょうどいいお立ち台なんだろうし、見せたい相手であるメスのクジャク(ここにはいないけど)も気にしないだろう。でも、それを見せられる人間にとっては、ちょっと苦笑しちゃうような光景だった。


          *


 シャボテン公園というからには、もちろんシャボテンもといサボテンが多数展示されている。展示を行う温室へは地下通路でつながっていて、その入り口は西洋の幻獣グリフォンを思わせるデザインをしていた。いたるところに補修の跡があり、翼の下ではハトが憩う様子が見られるけれど、その佇まいはそれでもなお異彩を放っている。

 これは荒原竜といって、ウルトラ怪獣「原竜ヒドラ」のモデルにされたそうで、入り口のスロープにその旨が解説されていた。

 ちなみに、仮面ライダーではショッカーの秘密基地の入り口として使われていたんだとか。こんなに目立っちゃ秘密もなにもないじゃん、なんていうのは無粋というもの。

 伊豆、ここは特撮の聖地でもあるのだ。


 温室内部は南アメリカ、アフリカ、森林性シャボテン、マダガスカル、メキシコの各館に分かれていて、各地域のシャボテンをはじめとする多肉植物を展示している。

 ひと口にシャボテンといってもその姿かたちは多種多様。雪玉みたいにかわいらしいものから、都心の高層ビルみたいに見上げなければその全容を視界に収めきれない大きなものまである。


「このでっかいサボテン、夜な夜な歩き回ってそうよね」

「集団で旅人を追い回してそうだよね」

「ノクタス?」

「お、わかる?」


 シャボテンは基本的に和名で紹介されているんだけれど、これがまた面白い。大型宝剣オオガタホウケン恐怖閣キョウフカク金鯱キンシャチ初日ハツヒ……。観賞用に園芸で育てられることもあるだけあって、名前も格好良くしゃれている。

 月下美人ゲッカビジンもあった。これはサボテン科の多肉植物で、その名の通り夜に開花する。優美な白い花は受粉できなければ朝にはしぼんでしまうけれど、はかなさと美しさから園芸では人気の高い種類だ。私も高校時代に部活動で育てていて、愛着と懐かしさがある。


「開花に立ち会ったこともあるよ」

「へえ。綺麗だった?」

「うん。下校時刻もあるから、八分咲きくらいまでしかいられなかったけどね」


 いまも元気に咲いているだろうか。


 最後の温室はシャボテン狩り工房。

 シャボテン狩りとはシャボテンをはじめとする多肉植物と鉢植えを自由に選んでオリジナルの寄せ植えが作れるというもので、思い出作りにもお土産にもなる。

 工房内の石造りの花壇にはこれまでの温室で見てきた多種多様なシャボテンがずらりと並んでいて、カップルや親子連れがにぎやかに好きなシャボテンを選び取っている。

 わたしとエルフィンストーンさんは工房内をぐるりと一周して一通りのシャボテンを確認してから、それぞれシャボテン狩りにとりかかった。シャボテンの棘が刺さったりしないよう、箸で採ってカゴに入れる。

 優柔不断な私はこういうとき、なにかと迷ってしまいがちで時間がかかってしまう。一方エルフィンストーンさんは早々とイメージを固めていたのか、ほとんど迷うことなくシャボテン狩りを進めていた。

 シャボテン狩りを終えた後の植栽は、プロのスタッフさんがやってくれる。


「ずいぶんお気に入りになったね」

「べつに、そういうのじゃないけど」


 エルフィンストーンさんの選んだ鉢植えはカピバラの形をしていた。赤と黄色の緋牡丹ヒボタンとユーフォルビアを寄せ植えにしていて、ファンタジーな森の様相。

 緋牡丹は色とりどりで綺麗だけれど葉緑素を持たないから単独で生育することはできず、他のサボテンに接ぎ木しなければいけないという変わり種だ。


「そういうあなたは猫だけど、ずいぶんシンプルにしたのね」

「迷っちゃうからね。いっそシンプルにいこうと思って」


 私は猫の形をした鉢植えに、金鯱を一株だけ。金鯱は野生では絶滅が危惧されているけれど、園芸ではもっともメジャーな部類の玉サボテン。金色の棘が堂々と伸びる姿はなかなか格好いい。


「フシギダネコと名付けました」

「あ、そう……」


 お土産って、実用性のあるものや食べ物以外だとなにかと持て余しがちだけれど、シャボテンならただ飾るだけじゃなく育てる楽しみもあって面白いかも。

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