#3.5 さとだけ - 叡電沿線北上記

1.河合神社

 出町柳でまちやなぎの駅前には、はらりはらりと細雪ささめゆきが舞っていた。

 高野川たかのがわを渡る自転車、信号を待つタクシー、行き交う人々。観光に来たという気持ちにはその土地の日常の風景を物語に変えてしまう魔力があるけど、古都京都においてそれはひときわ強い。パワースポットを結ぶと浮かび上がる五芒星、現代に受け継がれる陰陽の業、妖怪変化、百鬼夜行。そんな夢想、いや、妄想かな。


 ふいに風が吹くと、足先や指先にちくりと寒さを感じる。今日は痛いくらいに寒い。その痛みがじんと体の奥底に沁みていく。どうしてこんな日に出かけてしまったんだってちょっとの後悔を、白い息に変えて吐き出した。

 遠出をすればいつも傍らにいる“える”ことエルフィンストーン・玄乃くろのも今日はいない。今ごろは北海道の実家でお姉さんがたとまんがタイムきららみたいな充実した時間を過ごしているんだろうか。

 ふたりでなら鴨川デルタをぶらついてくだらない話に花を咲かせたりもしたんだろうけど、ひとりで歩いたって寂しくなるだけ。はなをすすりながら高野川を渡って、下鴨神社しもがもじんじゃに向かった。


          *


 ただすの森に南側から入ってすぐのところに、下鴨神社の摂社せっしゃのひとつである河合神社かわいじんじゃがある。神武天皇じんむてんのうの母親である玉依姫命たまよりひめのみことを祭神とする神社で、「女性守護 日本第一美麗神」というなんとも力強い文字が並んでいる看板があった。玉依姫は安産、育児、縁結びのほか、より美人になりたいという願いをかなえてくれる神様だそうだ。


 糺の森の一角を四角く囲んだ境内は小さな箱庭みたいだった。糺の森自体に外界と隔絶した雰囲気があるけど、さらに囲われた神域となるとその感覚は一層深まる。

 この神社には「鏡絵馬かがみえま」という独特の絵馬がある。手鏡を模した形の絵馬に描かれた顔を自分に見立てて、願いを込めてお化粧させて奉納するというもので、境内の一角には参拝客が願った無数の「理想の顔」がぶら下がっている。

 ひとの絵馬を覗き見るなんて行儀の悪いことやるべきじゃないってわかってはいるんだけど、好奇心がついつい目線をそちらへ動かしてしまう。メイクの上手い下手よりも画力が出るね……。

 私は描かなかった。人並みよりは絵が描けるつもりだし、もっと顔がよければと思わないこともないけど、それ以前に自分を描くという行為が苦手だった。その原因を辿れば、それは自分と向き合うってことのしんどさだ。十把一絡げにしてしまう言い方だけど、オタクはみんなそうだと思う。自撮りとか絶対しないでしょ?


 本殿の前には参拝の作法を記した木札が立っていた。いわく、「皇室の弥栄いやさかを祈りませう」。美人祈願を推す神社でこんなこと言われるとなんだかちぐはぐな気分。ちゃんと皇室の弥栄をお祈りした人、どのくらいいるのかな。

「みんな幸せでいられますように」って毒にも薬にもならないお願いをして、もう少し境内を見て回ろうと思ったら、傍らの立て看板が目に入った。「神さまはどこから拝んでもお見通しなのです」。

 ……私の不埒な考えも見透かされてた?

 ちょっと冷や汗が出た。でも、よくよく考えてみると神さまはどこにだっているわけで、だったら神社の境内でだけ取り繕ったって意味がない。家庭訪問のときの居間みたいにはいかないんだ。じゃあいいか。ってよくないよ。


 ちなみに、河合神社には玉依姫命だけでなく幾柱もの神さまが祀られている。

 たとえば、任部社とべしゃ。祭神の八咫烏命やたがらすのみことは玉依姫命の子である神武天皇が道に迷ったところを導いたことで有名だから、そのゆかりで祀られているのかも。サッカー協会のシンボルに用いられてからはサッカー必勝の守り神として崇敬を集めているらしく、いくつものサッカーボールが奉納されていた。

 それから、貴布禰神社きふねじんじゃ。祭神は高龗神たかおかのかみという水神なんだけど、それはやっぱり川が近いからなのかな。

 きふね、といえば鞍馬のほうにある貴船神社が有名だけど……いいな。行ってみようかな。京都は石を投げれば神社仏閣にあたるような場所だと思って(もちろん実際には投げないよ!)、今日は特に行先も決めていないのだ。


 ところで、この神社は随筆『方丈記』で有名な鴨長明かものちょうめいゆかりの神社でもある。境内の一角には晩年の長明が暮らした移動式住居「方丈庵」の復元レプリカが展示されていた。

 立て札に書かれた解説によれば、なんでも鴨長明は下鴨神社の禰宜ねぎの次男らしい。なるほど、「鴨」って「下鴨」の鴨と同じなんだ。

 それならどうして下鴨神社じゃなくて河合神社のほうに方丈庵を展示するんだろうと思って調べてみたら、長明は河合神社の禰宜になろうとして出世争いに負け、神職の道を閉ざされたらしい。イヤなゆかりだなあ……こりゃ無常観もつのるわけだ。


          *


 最後に御朱印をいただいて、糺の森の表参道に出た。止んでいた雪がまた降り始めて、朝の光を浴びてきらきら光っていた。

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