8.名残惜しいことなんてないでしょ

 コンサートの開場まで少し時間が余ったから、腹ごなしというほどでもないけどヴェルニー公園まで歩いた。

 ヴェルニーというのは日本の近代化を支援した人物の名前で、公園の名前はそれに由来するらしい。無数のバラが植えられた、フランスの庭園を模した公園だ。花を見るにはまるで時期を外してしまっているけど、種類を揃えているようだから探せば咲いているものもあるかもしれない。満開の時期に来ていれば、きっとロマンチックな近世ヨーロッパに迷いこんだ気分になっていたと思う。


「ここはイルミネーションないんだね」


 この時期の街中の公園といえば、広場や遊歩道沿いの木々が幾万のLEDを実らせているものと思っていた。ここに灯っているのはガス灯を模した電灯だけだ。


「いいじゃない、ここはこれで」

「……確かに。そうかも」


 ここにはすでにあるべき姿が完成されている。それをあえて装飾して崩してしまうことはないかもしれないな。 


「ここ軍艦の慰霊碑とかあるから、やると怒る層もいるだろうし」

「あ、そういうこと……」


 確かに戦死者の霊を慰める場のすぐそばで木々が灯りで飾り立てられているというのはちぐはぐで不謹慎な感じもする。


 ふっと息を吐くと、口元から白が伸びて消える。

 この公園は海沿いにあって、庭園の逆側に目を向けると軍港めぐりでも見た横須賀港が広がっている。冬の長い夜に溶け込んで潜水艦はよく見えず、米軍施設は明かりだけが浮かんでいる。けど、いずもの佇む様だけはここからも確かに見えた。ここにしかないはずの夜景が、不思議と目に馴染む。市街地のすぐそばなのに、静かな夜だ。

 ……なんかエモいこと言いたいな。


「夜の港ってなにか物語が始まりそうな雰囲気だよね」


 おかしいぞ、全然エモくない。


「貨物港なら怪しい取引の現場を目撃するか廃倉庫で敵と対決するかって感じだけど、軍港ならスパイものかしら」

「いずもとかロナルド・レーガンとかの中に侵入する展開」

「それで最終的には爆沈するのよ」

「容赦ないなあ」


 そんなとりとめのない会話をしながら歩いていると、公園の端までたどりついた。

 そこでは灰色に塗装された長く大きな鋼塊が夜の空をにらんでいる。旧海軍が保有していた戦艦「陸奥むつ」の主砲の砲身だ。陸奥は姉妹艦の長門ながとと並んで当時の海軍を象徴する艦だったそうだけど、大戦中に爆発事故を起こして沈んでしまったらしい。その残骸をサルベージしたものが、この砲身。つまりレプリカじゃなくて実物ということ。


「41センチ砲だって。三笠と11センチも違うよ」

「さとでも飛ばせそうね」

「ははは、腿のあたりで詰まる自信があるね」


 悲しいこと言わせないで。


 主砲のすぐそばにはヴェルニー記念館という施設があった。公園の雰囲気に合わせた西洋風のかわいい建物で、ヴェルニー氏の功績を紹介しているらしい。すでに閉館時間を過ぎていたから、観覧することはできなかった。


 寒風が頬を撫ぜる。冷たくて、とても快適とはいいがたいのに、ずっとここで過ごしていても構わないとすら思えるのはなぜだろう。旅に出ればいつもそうだ。


「もう時間だわ。開場してる」


 えるが言った。

 私は答える。


「もうちょっとだけここにいない? ちょっと、名残惜しいからさ」


 それをえるはふっと笑い飛ばした。


「名残惜しいことなんてないでしょ。きっとまた来るんだから」

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