7.移り気なお腹してんのね
どぶ板通りをぶらつきながら、早めの夕食をとる店を探すことにした。
ここは正式には
街灯のスピーカーからはジングル・ベルが流れていて、そのまま洋画のセットに使えそうなバーではサンタ帽を被った数人の男女が早くもグラスを交わしている。その一方で個人経営の服屋が近所の公立中の制服を売ったりなんかしていて、SFとファンタジーを交互に読んでいるようなちぐはぐさだ。
「なんかめっちゃスカジャン売ってない?」
「ここが発祥だからよ」
「ここって、どぶ板通りが?」
「そ。ほら、あそこ。スカジャン発祥の地ってプレートがあるじゃない」
えるは通りの
「私、スカジャンってずっと『スカしたジャンパー』の略だと思ってたんだよね。『横須賀のジャンパー』だったんだ」
「ドラゴンの刺繍があるから『スカイドラゴンジャンパー』って説もあるけどね」
「なんか着るのが恥ずかしくなってくる名前だね……」
*
夕食はネイビーバーガーの名店「TSUNAMI」で食べることにした。この店のネイビーバーガーは2009年の発売以来、およそ10年で60万個を売り上げたという。そんな宣伝ポスターが店先に掲示されていた。
店内はアメリカンバーを彷彿とさせる雰囲気で、すでに半分以上の席をお客さんが埋めていた。
私とえるはカウンター席に案内されて、ふたりで1冊のメニューを開く。
「第7艦隊バーガーだって」
「ひとりで食べてね」
「頼まないよ……」
メニューには日本のファストフード店にあるようなハンバーガーとは一味違う、見た目も値段もボリュームたっぷりのネイビーバーガーの数々が掲載されている。メジャーなプレーンバーガーやダブルチーズバーガーはもちろん、アボカドチーズバーガーやハワイアンBBQバーガーみたいな変わり種、遊び心を感じるオバマバーガーやトランプバーガーなんてのもあって目移りする。
中でもひときわ目立つのは第7艦隊バーガーで、その見た目はまさしく塔。実に4~5人前というボリュームは到底女子大生ふたりで食べられるような量じゃない。
私はジョージ・ワシントンバーガーを頼むことにした。ジョージ・ワシントンはロナルド・レーガンの前任の空母らしい。
「さと、さっきまでカレーのお腹って言ってたのに」
「ついさっきネイビーバーガーのお腹になったの」
「移り気なお腹してんのね」
そんなえるが頼んだのは、砕氷艦しらせカレー。この店はカレーのメニューも充実していて、海軍カレーのほかにも各護衛艦で食べられているオリジナルカレーを公認で売っている。えるが注文したしらせカレーは野菜カレーだった。
「ペンギン饅頭号カレーだね」
「野菜の貴重な南極に行くための船で出されるカレーが野菜カレーってのも気が利いてるわよね」
「そっか、極寒の世界だから植物の栽培ができないんだ」
「そ。最近は土壌を使わない屋内で作ったりしてるらしいけど」
そんな雑談をしているうちに、注文したメニューがやってきた。
ジョージ・ワシントンバーガーは写真の印象以上の大ボリュームだった。ハンバーガーといえば大抵は包装紙をもってかぶりついて食べるものだけど、これはお皿に乗ってやってきた。ナイフとフォークなしでは食べられない。
一方、野菜カレーはというと、ナスやレンコン、ジャガイモがたっぷりごろごろ転がっていて、こっちもこっちでなかなか贅沢な感じ。一緒についてくるサラダと牛乳は、実際の護衛艦で出されているセットらしい。
「なんだろう、健康への意識の差みたいなものを感じる……」
「一応軍隊食だもの。偏ったもの食べさせて体壊されちゃ困るでしょ」
ネイビーバーガーだって軍隊食だった気がするんだけど……。意外に栄養バランスを考えて作られてるのかな? なんてことを考えつつ、バーガーと悪戦苦闘。切り分けている間に崩れたりして、なかなか思うように食べられない。
黙々とお皿に向かっていたら、ふいにえるが「あーん」と言いながら一切れのお肉が乗ったスプーンを差し出してきた。
「え、なに?」
私の戸惑いの声を無視して、えるは「あーん」と繰り返す。気圧されて口をあけると、すかさずスプーンを押し込まれた。
「んぐもご」
口の中で赤身を繋げていた脂身がほどけて、お肉がバラバラにとけていく。絶妙にスパイスの効いたルウが、その旨味を引き出していた。しらせカレーにお肉は一切れしか入っていないみたいで、えるがもう一度「あーん」をしてくることはなかった。もしも私がしらせの乗組員なら、お肉は最後まで取っておいて食べたにちがいない。
「……ごちそうさま」
「どういたしまして」
えるは嫌いな具を押し付けたみたいだけど、こんなおいしいものが苦手だなんて本当にもったいないな。
健康的じゃない……なんてことを言ったけど、ジョージ・ワシントンバーガーが絶品なのは間違いない。ジューシーなパティとベーコン、半熟のサニーサイドアップ、とろけたチーズにシャキシャキのレタス、それに酸味がアクセントのトマト。味付けはシンプルにコショウだけで、セルフサービスのケチャップとマスタードをかけて自由に調整できる。
崩れやすくてうまく食べるのが難しいのはネックだけど、それ以上にボリュームゆえの満足感が大きい。
「ごちそうさまでした……しんどい」
食べ終えるころにはすっかり満腹だった。マクドナルドのセット感覚で適当なサイドメニューを選ぶなんて暴挙に出なかったのは賢明だった。
一方、えるはデザートにチェリーチーズケーキを注文していた。海軍カレーやネイビーバーガーに並ぶ横須賀の三大グルメのひとつで、シンプルさゆえの濃厚さが売り。
ひと口ちょうだい……とは、さすがに言えなかった。「あーん」されても食べなかったな。もちろんされなかったけど。
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