6.買ったら負けな気がしてくる

 横須賀市は軍港都市であると同時に、京浜工業地帯を支える工業都市でもある。それを証明するように、住友重工の巨大なガントリークレーンや日産自動車の窓のない工場が向こう岸に見える。

 ちなみに冬の澄んだ空気の中なら、条件がいい日にはスカイツリーや富士山も見えるらしい。

 その位置よりも少し横須賀港寄りの場所に、コンクリートブロックの群れがある。消磁所といって、艦船が地磁気の影響を受けて帯びた磁力を打ち消すための施設だという。なんでそんなことをする必要があるのかというと、海中の機雷(船に対する地雷みたいなもの)が磁気に反応して爆発するからだ。

 先の大戦でこれでもかとばら撒かれた機雷は、いまも日本近海に眠っているらしい。


「ばら撒いた国とばら撒かれた国がいまでは条約結んで寄り添ってるんだから、なんだか変な感じだね」

「利害のために昔のことは水に流したことにしてるんでしょ。国際関係も人間関係も」

「人間関係も含めちゃうか、君は……」


 船は長浦港ながうらこうへ入っていく。ここには自衛艦隊の司令部がおかれていて、大小さまざまな自衛隊の艦艇が停泊している。イージス艦みたいな花形の艦よりも、裏方で活躍するような特徴的な艦が多かった。

 たとえば、海洋観測艦「にちなん」と「しょうなん」。文字通り海の自然環境を調査してデータ化するための艦艇だ。「にちなん」は観測機器を扱うためなのか艦首の形が独特で、やけに印象に残った。

 それから、潜水艦救難母艦「ちよだ」。遭難した潜水艦の救助にあたる艦。最近代替わりしたらしく、退役して艦名と艦番号を塗りつぶした先代「ちよだ」がまだぴかぴかの次代「ちよだ」を眺めるようにして浮かんでいた。

 それに、掃海艇そうかいてい「えのしま」と「はつしま」。機雷を探し出して回収するための船艇で、磁気を帯びないように強化プラスチックで作られているらしい。この種類の船は昔は木造だったんだけど、最近は木造船を造れる会社が少なくなっちゃったみたい。

 海に溶け込むような色合いの自衛艦の数々に対して、浮かび上がるように目立つ船がある。真っ白な船体にブルーのラインは海上保安庁の巡視船。海保の沿岸警備隊もここに置かれているらしい。『海猿』の影響で有名になって、自衛隊が混同されることもあるんだとか。


          *


 長浦港から新井掘割あらいほりわりに向かう。幅50メートル程度の狭い水路は、横須賀港と長浦港とを結ぶショートカットルートだ。両岸が近いうえに急な斜面になっているから、なかなか圧迫感がある。

 ここは横須賀を軍港化するにあたって、両港を隔てる半島が邪魔だからという理由で建設された水路だ。内陸から切り離された半島は吾妻島あづましまと呼ばれていて、現在は米軍の施設になっている。関係者以外立ち入り禁止だから、市民でも島の存在を知らない人がいるという。


「これ、昔の人は人力で掘ったんだよね」

「重機なんてなかったものね」

「なんか途方もないなあ。重機を使っても何か月もかかるのに、人力なんて10年かけても終わらなそう」

「ピラミッドとか、今の技術を用いても5年はかかるみたいよ」

「うひゃあ、私らとっくに社会人になっちゃうよ」


 このあたりには解説する艦船がないからか、ガイドさんは横須賀名物海軍カレーの話を始めた。要約すると、こんな感じ。

 明治時代の日本では心不全や神経障害を引き起こす脚気かっけの流行が問題視されていました。その原因は偏った栄養バランスにあり、大日本帝国海軍ではその対策として肉と野菜をバランスよくとれて調理の簡単な料理を採用しました。それがカレーでした。

 ただ、普通のカレーでは揺れの多い艦内ではルウがこぼれてしまいます。そこで小麦粉を混ぜてとろみをつけ、こぼれないようにしました。これがいまの日本でよく食べられているカレーライスの原型となっているのです。

 ちなみに、カレーの調味料を醤油と砂糖に変えると肉じゃがになります。その手軽さから肉じゃがもまた軍隊食として普及しました。

 ところで、皆さんは今日お昼に何を食べましたか? こんなこと訊くと「三崎でマグロ食べました」とか「中華街で中華です」とか言われるんですね。でも横須賀に来たなら海軍カレーを食べないと。汐入ターミナルの売店では海軍カレーも多数取り揃えております。お夕飯に、お土産に、是非どうぞ。


「海軍カレーの由来を聞いていたと思ったらセールストークを聞いていた……」

「買ったら負けな気がしてくる」

「えるって威嚇されたら攻撃上がりそう」

「誰があまのじゃくよ」


 ガイドさんはこのあともたびたびセールストークを差しはさんできた。艦船の焼き印があるから今日見た艦のことを思い出しながら食べられるたまごせんべいとか、全長33.3センチの空母型の容器が艦船模型としても楽しめる空母チョコクランチとか。巧みな話術で流れるように紹介するものだからつい聞いてしまう。


 船は往路のルートを戻っていく。

 右手側、長浦港の方角に見えるのはイージス護衛艦「きりしま」。アメリカの艦と同じように八角形のレーダーが環境に張り付いている。

 ガイドさんが言うには、イージス艦は世界に100隻ほどが存在していて、そのうちの1割程度が横須賀に配備されているという。横須賀って世界的に見ても重要な軍港なのかもしれない。


 きりしまの先に、護衛艦の中でもひときわ大きな艦影がある。シンプルな直線と曲線の組み合わせで形作られたそれは、最新鋭のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」だ。全長は248メートルとロナルド・レーガンには及ばないけど、船との距離が近いこともあって迫力ではひけをとらない。その威容をなぞるようにじっくりと眺めることができる。


「イオンからも見えてたわね」

「そうだね……っていうか、一番目立つとこに停泊してない? 公園のすぐそばじゃん」

「広報のためだったりして」

「あー。大きくて目立つし、効果はありそう」


 軍港めぐりもこれでおしまいのようで、船は要塞みたいなイオンの建物に向かって航行していく。トリにいずもが来るようになっているあたり、コースの設定がよくできている……って、これは偶然かな。


          *


 海軍カレーはもちろん買った。えるも買っていた。


「セールストークに負けたね」

「おねーちゃんが買ってきてって言ってたの。どのみち買う予定だったから関係ないわよ」


 そう言い張るえるはツンとした顔でそっぽを向いた。

 本当かなあ?

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