第一章 「にじのものがたり ―安里さんと僕の放課後―」(3)

『ポニーテールと安里さん』



 その日も僕と安里さんは、書店の備え付けの長椅子に隣同士に座りながら、いつものように放課後のひとときを過ごしていた。


「――暑っちー……」


 日暮れ前の強烈な日差しが冷房のしっかり効いた店内に入り込み、僕らの肌をじりじり焼く。


 十月に入り、衣替えで中間服に変わったと同時に、急に三十度を超える真夏日の洗礼を受けることになった。

 残暑もとうに過ぎたというのに、熱気で制服のシャツは汗でぐっしょり。季節の変化も関係なく、いまだフル稼働中の空調の冷気も僕の身体までは届かず、濡れた服だけを冷やしていく。


「……」


 だが、そんな不快指数の高まる状況でも、安里さんの様子は変わらなかった。


 長い黒髪に隠れた顔を下に向け、買ったばかりのアニメ雑誌を膝の上に載せ、一心不乱にそれを読みふけっている。

 目も眩むような陽光も熱気も彼女には関係ないらしい。ひたすらに眼下の雑誌に目を落とし、そうして黙々と読み進めていたのだが――


「……あの、先輩?」

「ん? 何?」


 安里さんは本から顔を上げて、誌面を指さしながら僕に質問した。


「先輩、このアニメ好きですよね?」

「え? あ、ああ。うん」


 安里さんの綺麗な指が指し示したのは、アイドルを目指す十二人の少女たちの夢と希望と日常を描いた、熱いアニメ作品の特集記事だった。


 今年の春、大好評のうちに放送一期目を終え、来月には二期目の放送が予定されている作品である。僕自身、一日千秋の思いで新作の放送を待っているような状況だった。


 ちなみに僕の今年のお年玉は、この作品の円盤購入にすべて使われていたのだが、当然、安里さんには言っていない。


 だから、僕がその作品を好きなことを彼女に言い当てられて、僕は正直驚いていた。


「僕、安里さんにそれが好きだって言ったっけ?」

「いえ。直接は聞いてませんけど、以前、先輩がこの作品の設定資料集を買っていたところを見たことがあったので。そうじゃないかと思ってたんです」

「あー、そうだったのか」


 そういや春先にこの店で二千円を超える設定資料集を買ったのを思い出した。

 その場面を見ていたのなら彼女が知っているのも当然だろう。


「それで、先輩の推しキャラって誰ですか?」


 と、安里さんは膝の上に載せていたアニメ雑誌の特集ページを指さして見せる。

 そこには作品に登場する十二人のキャラクターが勢ぞろいした描き下ろし版権絵が載っていた。


「えっと、僕は――」


 迷うことなく、他の登場人物より頭ひとつほど背の高い、黒髪のキャラを指差す。


「このキャラかな……」


「かな」と語尾で濁して断言を避けることで多少の照れ隠しをしつつも、僕はハッキリと安里さんにそう伝えた。


 同類の彼女に対して「恥ずかしさ」は不要だ。


 なので、オープンなオタクでない僕にとって、普通なら「好き」だと公言するのに少し抵抗のある「美少女アニメ」のキャラであっても、安里さんには隠さず「好き」だと伝えることができるのだった。


 安里さんは僕の指し示したキャラをまじまじと見た。


「……なるほど」


 それは長い黒髪をポニーテールにした目元の涼しげな美少女だった。

 スタイルが凶悪なまでに良く、クールな言動でぶっきらぼうな印象を受けるが、実際は人見知りでうまく意思表示ができないだけの可愛いもの好きな乙女チックな性格な女の子という設定である。 

 年齢は十七歳の高校三年生。身長百七十センチ。スリーサイズは上から九十(Gカップ)、六十、八十一。


 アイドルを目指したのは、少しでも自分に自信を持ちたいと思って。


 歌うことが好きで、歌でなら自信を持てると思って、オーディションに参加し、アイドルとなった。

 好きなものは歌と猫。嫌いなものは人ごみと騒がしい人。


 ちなみに最近気づいたが、どことなくだけど隣に座っている安里さんに似ていなくもない。


「こういう見た目大人っぽいキャラも人気あるんですね。もっとロリっとした子に人気が集まるんだと思ってました」


 そう。僕の好きなこのキャラは登場人物十二人中、人気ランキング三位なのだ。


 一期目の水着回で見せた「黒ビキニ姿」が視聴者に強烈な印象を与え、一部の層に圧倒的な支持を得たのである。


「あの、それで、参考までに、なんですけど……その、男子的にはこのキャラの見た目が好きなんですか? それとも性格?」

「えーと、両方?」


 どちらかと言うと大人っぽい外見の女性が好きだし、この手の大人しい性格のキャラには弱かったりする。

 つまり、その両方が奇跡のように組み合わさったこういったキャラは、僕の好みにどストライクだったわけだ。


 あくまで「僕の好みのタイプ」なのだけれど。


「……なるほど。こういう感じがいいんですね……ということは、あの、髪は短いのより長い方がいいのでしょうか?」


 安里さんは胸元まである長い髪の毛先をいじりながら、真剣な表情で僕を見た。


「ああ、うん。そうかも」

「……そ、それでその、髪型はやっぱりポニーテールがいいのでしょうか?」

「あー、そうだね。言われてみれば。僕は好き……かな」


 そういえば、どんな作品でもポニーテールキャラを好きになっていたことをふと思い出した。


「そうなんですか……そっか――」


 安里さんはアニメ雑誌にじっと目を落としてしばらく押し黙った後、やにわに立ち上がった。


「す、すみません……ちょっと席を外します」

「え? どうかした?」

「あ、え、えっと――そ、そう! 暑いのでちょっと冷たいものを飲みすぎちゃって……」


 配慮の足りなさに自覚のある僕でもさすがにそこまで言われればわかる。

 安里さんはトイレに行こうとしていたのだ。

 なのに、気がつかずつい尋ね返してしまうとは……。自分のデリカシーのなさに辟易する。


「……あ、ああ、ごめん。いってらっしゃい」


 ともあれ、安里さんは気を悪くした風もなく、足早にトイレに向かった。


 ――数分後。


 安里さんが置いていったアニメ雑誌を読んでいると、どこか軽やかな足音が近づいてくるのに気づいた。


 どうやら安里さんがトイレから戻ってきたようだ。


 僕は雑誌に向けていた顔を上げ、何か言おうと口を開きかけたものの、安里さんの姿を見て固まってしまった。

 そのとき、僕の目に飛び込んできたのは――


 長い髪を後頭部でひとつに結ってまとめた、ポニーテールの安里さん。


「……え?」


 口をぽかんと開けたまま、僕は間の抜けた声を漏らした。

 一方、安里さんは少し頬を赤らめつつも、どこか澄まし顔で、


「あ、今日、暑いから、その……髪の毛うっとうしくなって……」


 そう言いつつ、僕の横に腰を下ろした。


 僕の視線は自然と彼女のあらわになった細い首に向く。

 いつもは長い髪で隠された綺麗なうなじが、いまや白日の下にさらされているのだ。


 ――もしかして、僕がポニーテールキャラを好きだと言ったから?


「ど、どうですか? おかしくないですか?」


 そっと髪の毛を撫でながらそう聞いてくる安里さん。

 けれど意気地の無い僕は、彼女をまともに見ることもできず、目を逸らして黙って首を縦に振ることしかできなかった。


 恐る恐る窺うように隣を見ると、彼女の細くて白い首の後ろは、日焼けしたわけでもないのに真っ赤になっていた。

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にじのものがたり ―安里さんは今日もあざとい― TEKTEK @tektek

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