第一章 「にじのものがたり ―安里さんと僕の放課後―」(2)

『デートとお金と安里さん』



 九月最後の月曜。


「……先輩。デートってしたことありますか?」


 それはもう唐突に。安里さんは読んでいた文庫本から顔を上げて、僕の目をじっと見つめつつ、そう問いかけてきた。


「……え?」


 質問の内容と、僕を見つめる彼女の切れ長で整った瞳の綺麗さに、心臓が小さく跳ねた。


「あ……えーと……」

「『えーと』じゃなくて『デート』です」

「いや、ボケたつもりないんだけど?」


 僕のその言葉に、彼女はこほんと咳払いしてから、真剣な顔つきになって続けた。


「とあるデータによると、高校生のほぼ半数の人が一度はデートの経験があるそうです。ということは、中三のわたしがしたことないのは普通だとして、高一の先輩なら経験していてもおかしくないわけですよね? で、どうなんです? したことあるんですか?」

「……ハードル上げてくるのやめてください。高校生だけどしたことないよ……」


 友達すら居たためしがないというのに、デートなどできるわけがない。


「……そうですか。それはよか――こほんこほん……いえ、ちょっと聞きたいことがあったんですけど、でもそれじゃ、わからないですよねー……ふふ♪」


 安里さんは何故だか少し嬉しそうに含み笑いしつつそう言った。

 僕は逆に少し不満をあらわにして聞き返す。


「気になる言い方するなぁ……。でも、何を聞きたかったの?」

「そのですね。これ読んでてすっごく気になったことがあって――」


 安里さんは手に持っていた文庫本の表紙を僕に見せる。

 それは過去にアニメ化したこともある有名なライトノベル作品だった。


 その作品のメインストーリーは主人公とヒロインのラブコメだと思うのだが――しかし、その中身はというと、並行世界を股にかけるタイムリープをしたり、孤島の館で殺人事件に巻き込まれる推理小説っぽいことになったりと、あまりにもトリッキーな上に驚きの展開が繰り広げられ、新刊が発売されるたびにネットなどでは毎回話題となっていたものだった。


 なお、その本は僕の所有物であり、「アニメは見たことがあるが原作を読んだことはない」と言う安里さんに貸し出したという次第である。

 

 ちなみに、僕から借りた本をその場ですぐ読み出した安里さんは、ある程度読みこんでから、急に冒頭のような話題を振ってきたのだった。


「えっと、作中で主人公がデートしているシーンがあったじゃないですか?」

「うん。そういえばあったね」

「でも主人公ってバイトしてる描写とかなかったですよね? なのになのに、今回のデートですっごくお金使ってるって思いませんでした?」

「あー……そういえば、そうかも」

「それでなくても放課後にラーメン屋さんで大盛りラーメン食べてたり、ボウリングやらゲーセンやらに行ってたりして結構お金使ってる描写があったのに、しまいにはデートで遊園地に行ってるんですよ!」


 安里さんがぐぐっと僕に身を乗り出してきた。

 反射的に僕は思わず身を反らした。


「わたし、読み直してざっくり計算してみたんですが、電車に乗って移動してたんで交通費でおそらく往復千円くらい。遊園地の乗り物乗り放題の一日フリーパスを買ったとしたらだいたいひとり三千円。飲み物やチュロス買ってる描写があったのでこれでざっくり五百円。お昼にレストランでパスタを食べてたので安く見積もって千五百円として、さらにお土産を買ってるシーンでぬいぐるみを買ってあげてたんでこちらも安く見て三千円。合計して八千円くらいをわずか一日で使ってるんです。しかもおごりだから、相手の交通費は除いたとしてもそこに六千円以上プラスされるんですよ? 総額一日で一万四千円! 一万四千円ですよ! 発売当時のファミリーコンピュータの価格が一万四千八百円ですから、それと同じくらいの金額なんですよ!」


 ……ファミリーコンピュータって、ファミコンってヤツか?


 しかし、テレビの挑戦番組でプレイしているところしか見たことないくらいの骨董品のゲーム機の定価なんて、よく知ってたな、安里さん。


「アニメでも皆で映画を観に行ったりしてましたし。映画代ひとり千円として、さらにジュースとかポップコーンとか買ってざっくり五百円。映画終わりにハンバーガーショップに入ってバーガーセットを頼んでざっくり五百円。最後にゲーセン行ってキャッチャーゲームをプレイして五百円として、さらに音ゲーも何回かやってたので追加で五百円……。これで大体三千円。三千円ですよ? わたしのお小遣い一ヶ月分! それをわずか一日で使ってしまうなんて、どうかしてます!」

「あー……うん。たしかに」


 お年玉とかを貯金していて、それを使っているにしてもたしかに金遣いが荒いなーとは僕もよくよく思っていたことではあった。


 何しろ、作中で主人公たちは「遊ぶ」ことを目的とした部活を結成しており、毎週日曜に集合しては部活動と称して、ゲームセンターに行ったり、ボウリングをしたり、小旅行をしたりしていたのである。


 しかも、主人公たちは毎回集合する際、遅刻した人間に罰として喫茶店で部員全員分の飲み物を奢らせるという決まりを作っていて、遅刻癖のある主人公が毎回部員五人分の飲み物代を支払っている描写まであったりしたのだ。


 いくらフィクションとはいえ、さすがに高校生のお財布事情でそんなにお金があるものだろうか?


 少なくても月五千円の小遣いで、いまもこうして年下の安里さんと雑誌やコミック本の貸し借りなどをしていろいろとやりくりしている僕には、この作品の主人公ほどの金銭的な余裕はなかった。


「これまた、とあるデータによると、高校生のお小遣いの平均は月五千円。わたしも高校に入学したらそのくらいもらえるってお母さんが約束してくれてますので、たぶんこの作品でも登場人物のお小遣いってそのくらいだとは思うんですが……。先輩もそのぐらいでしたよね?」

「うん。実際、もうちょっと欲しいところだけど、スマホ代も出してもらってるし、文句は言えないよ」

「先輩スマホ持ってるんですよね、いーなー。わたし、高校に合格したら買ってもらう約束してるんで、まだまだ先ですよー」


 中学生の安里さんはまだスマホを持っていない。

 そのため、僕は彼女の連絡先を一切知らなかったりする。


 つまり、僕らは連絡を取り合ってこの場所で待ち合わせているのではなく、お互い示し合わせたようにここで会うかたちとなっていたのである。


 安里さんは「はー」とため息をついた。


「以前も女子高生がラーメンを食べまくるアニメがありましたけど、フィクションってわかっててもお金の話がまったく出てこないので何だか引いて見てましたし……」


 女子高生が全国各地のラーメンを食べに食べまくるアニメに関しては、放送当時、僕も「ありえないくらい金持ちだなー」とか思っていたものだった。


「一杯千円以上するラーメンを一日三杯も食べたり、その数日後にラーメンを食べにわざわざ全国旅行したり、それって女子高生の金銭感覚じゃないと思いますよ」


 さらに、主人公を取り巻く女子高生の友人たちも、放課後に必ずどこかに寄って「お茶」していくのである。バイトをしている描写もないのに、小遣いや臨時収入的なお金で対処しているなら、本当に家が金持ちなんだろうな、と思うほかない。


 庶民な家の生まれの僕には到底考えられない金銭感覚なのだから。


 その点、僕と漫画などのシェアをしている、同じ庶民感覚を有する安里さんも同様だったようだ。


「でも、もしかしたら、わたしの金銭感覚の方がおかしいのかもしれないって思い始めまして……。実際、高校生同士のデートでも、それくらいお金使うのは当たり前なのかなぁって――」


 基本的にお小遣いのほとんどを漫画やラノベ、アニメやゲームにつぎ込んでいることもあってか、一般的な金銭感覚とはかけ離れているのかもしれない、と安里さんは続ける。


「友達と遊んだりもしませんから、その……二次元につぎ込む以外のお金の使い方がよくわからなくて。で、実際のデートってどのくらいお金かかるのか、先輩ならご存知なのかなあって思いまして――」


 それで、僕にデートをしたことがあるかと尋ねたのか。


「でもデート未経験ならわかりませんよね。すみません、変なこと聞いて」


 その安里さんの言い方に、どことなく挑発的なものを感じた僕は、悔しくなって思わず言い返した。


「まぁ、二次元キャラの金銭感覚は、話の都合上仕方ないと割り切っておくべきだと思うよ」


 そうしないと話を展開させられなかったりするのだから、フィクションと割り切って楽しむべきだろう。


「それに、お金を使うだけがデートじゃないと思うしね」

「え?」


 僕の言った言葉に、安里さんがきょとんとした顔で聞き返した。


「たとえば公園でふたりで会話したり、駅前でウインドウショッピングしたり――それなら、お金は一切掛からないでしょ? それだってデートには違いないと思うんだけど」

「……そうですね。たしかに。デートです、それ」


 安里さんは納得したのか、顎に手を置いて「ふむ」と頷き、


「だとすると、わたしと先輩がいま『こうして』いるのも、周りから見ればデートに見えなくも――」


 続けて言おうとして、途中で言葉を呑みこんだ。


「あ……うあ、で、ででで、デート? これ、デート……?」


 次いで、一瞬で頬を赤らめると、そのまま俯いて黙り込んだ。


「……」


 そんな反応をするのは反則だ。

 僕は顔を下に向けつつも、耳まで真っ赤に染まった安里さんを見て思う。


 安里さんはやっぱりあざとい。


 ……そして、たぶん、僕の顔も真っ赤になっていたと思う。

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