第一章 「にじのものがたり ―安里さんと僕の放課後―」(1)

『ラッキースケベと安里さん』



 書店の片隅に設置された、西日差し込む休憩スペース。


 九月下旬の月曜、午後四時半過ぎ。三人座れば限界の長椅子しかないこの狭い場所にいるのは、高校の制服のブレザー姿の僕と、中学の制服のセーラー服を着た安里さんのふたりだけ。


 いくら平日とはいえ、店内には僕ら以外にほぼ客はおらず閑散としていて、店の経営状況が心配になるほどだった。


 ただし今日に限っては、店内に人がいなくて良かったとしみじみ思う。


「――先輩」


 そうして、いつものごとく唐突に、安里さんが口を開いた。


「ラッキースケベって実際にあると思います?」

「……」


 安里さんは僕が無言でいたことを肯定と受け取ったのか、勢いづいた口調で話を続けた。


「男の人はああいったトラブルなシチュエーションに遭うのが夢なのかもしれませんけど、道の曲がり角でぶつかって女の子の胸をがっちりつかむとか、スカートがめくれて下着があらわになった股間に顔を突っ込むとか、そういうのって絶対ありえないと思いません?」

「……」


 このとき、諸事情あって僕はなるべく彼女の方を見ないようにしていたのだが、安里さんはそれを「答えづらい恥ずかしい質問をされて困っている」のだと勘違いしたようだった。


 そこで彼女が取った次の行動は――


「先輩、こっち見てください! これです! このページ」


 と、見ていた今日発売の少年漫画誌のページを大きく開いて、僕に見せようとしてきた。


 言葉で説明するよりも、絵で見せた方が言いたいことを理解してもらえると思ったのだろう。

 横目でちらりと見たそこには、ヒロインの女の子がスカートがめくれあがっているのに気付かずに、お尻をさらけ出しているというベタなエロコメ漫画の一場面が描かれていた。


「いや、これさすがにありえませんよ。ここまでばっちりとスカートがめくれあがっていて、それに気づかないなんてどうかしてます」

「……」


 ……あー、安里さん。

 僕はその言葉をそっくりそのままキミにお返ししたい。

 なぜさっきから僕はキミの方を見れないのか?

 その答えは――


「先輩? 何でさっきから顔を真っ赤にして、そっぽ向いてるんです? え、と、あ――も、もしかしてわたし、あ、汗臭かったりします?」


 安里さんは白いセーラー服の胸元を摘んで、くんと匂いを嗅いだ。


「……先輩に会う前、トイレでしっかり汗対策してきたから、大丈夫だと思うんだけど……」


 安里さんは小声でぶつぶつとそんなことを呟いた。


 ……なるほど。謎は解けた。


「い、いや、違うよ、安里さん。そうじゃなくて、その……」


 事ここにいたり、僕は覚悟を決めた。

 いずれにせよ、このまま安里さんを放置しておくわけにはいかない。


「あ、あのさ、安里さん?」

「はい。何でしょう?」


 僕は安里さんにしっかり向き合って呼びかけると、彼女はきょとんとした顔で聞き返した。


「その……安里さん、ここに来る前にトイレに寄ったのかな?」

「……はい。行きましたけど?」

「それで、その、個室に入ったりした?」

「ええ……あの、それが何か?」

「……あー、あのね、えっと………………………………見えてます」

「はい?」


 安里さんはまだ気づかない。

 だから僕はなるべく見ないようにしながら、無言で安里さんの腰のあたりを指し示した。


「……………………………………あ」


 そう――


 安里さんのスカートはお尻の部分がめくれあがり、下着が丸見えだったのである。


 先に待っていた僕の前に遅れてやってきた彼女は、スカートがまくれあがった状態で現れ、何も気にした風もなく僕の隣に腰掛けたのだ。

 そのあまりにも堂々とした自然な感じに僕は何も言うことができず、その後も言うタイミングを逃してしまい、結果、ここまで放置してしまったというわけだ。


 ……いや、だって、まだ片手で数えられるくらいしか会っていない女の子に対して、「スカートめくれて、下着、見えてるよ?」なんて、正面から堂々と言えますか?


 そうやってはっきりと物申せるなら、いまの僕のように「絶対見ちゃいけない」という安い正義感に駆られて安里さんから目を逸らすなんてことはせず、自分のスケベ心に従って真正面からじっと彼女の下着を見つめていたに違いない。


 だが、さすがにこのままでいるわけにはいかなかった。


 僕が放っておいたら、安里さんはこの状態のまま塾に向かうはずだ。

 安里さんの薄いピンク色の清潔そうなシンプルな下着に包まれた形良いお尻を、衆目にさらす羽目になってしまうのだ。


 それはまずい。さすがにまずい。


 僕が何とかしなければ――


 そう思い、彼女にどう伝えたらいいのかと悩みに悩んでいたところ、彼女の方から図ったように「ラッキースケベ」の話題が出たので、それに乗っかった次第だった。


 とまれ。そのように、僕が悩みに悩み抜いて言った言葉に対し、


「…………………………………………………………ひひゃあ!?」


 安里さんは顔全体を真っ赤に染め上げることで答えとした。


「あ、あああ、あううう……あの……ちょ、ちょっと、し、失礼しますっ!」


 安里さんはその場ですっくと立ち上がると、めくれ上がったスカートの裾――どうやら下着に挟みこまれていたらしい――を慌てた様子で一気に元に戻した。


 それから、僕に恨みがましいような、それでいて恥ずかしいような、ともかくどうにも表現しようのない視線を一瞬向けたあと、ダッシュでその場から離れると、休憩スペースのすぐそばにあるトイレへと駆け込んでいった。


 そうして待つこと数分。

 おずおずと安里さんが観念したような様子でトイレから出てきた。


 彼女はちらちらと僕の方に視線を向けつつ――


「……先輩のえっち」


 一言、そう言って真っ赤な顔で俯いた。


 ――あー、もう! 可愛すぎかよ!


 やっぱり安里さんは今日も、ずるいくらいにあざと可愛い。

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