にじのものがたり ―安里さんは今日もあざとい―

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プロローグ 「にじのものがたり ―安里さんは今日もあざとい―」

 気づけばあっという間に時は過ぎ、僕と安里あざとさんの今日の「二次会」はお開きとなった。


 時刻は午後六時前。


 九月半ばのこの時間、東京にほど近い千葉県北西部の日はまだまだ高い。


 冷房の利いた書店内――一階で書籍販売、二階で映像作品のレンタルなどを行っている全国チェーン系ストア――は涼しかったが、外に出れば残暑の猛烈な熱気が容赦なく僕らふたりに襲いかかってくるだろう。


 それでも僕らは書店ここを出て、それぞれ次の目的地へと移動する必要があった。


 僕は帰宅するために最寄りのバス停へ。


 中三の安里さんは高校進学に向けての受験勉強のため、この場所から徒歩五分の距離にあるという学習塾へ。


 けれど、今日は「この秋始まる新作アニメについて」の話題で会話が盛り上がったこともあってか、安里さんはどうにも名残惜しかったらしく、別れる時間ギリギリまで会話をやめようとしなかった。


「やっぱりわたしは『転スラ』に期待ですねー。リムル様かわいーです! あと『ジョジョ』五部。『ジョジョ』の原作は読んでませんけど、アニメは四部まで観てますのでばっちりです!」


 安里さんはれっきとした女子中学生だが、女性向けの作品よりも少年漫画などの男性向け作品を好む傾向があった。

 まぁ、ジャンプ作品の多くが女子に人気なのを考えればわからないこともないかな――と思いつつ、僕も彼女の言葉に続く。


「『ジョジョ』は僕も外せないかな。それと『からくりサーカス』に期待してるよ」

「あー、それネットでも話題になってますよね。面白いんですか?」

「泣ける。マジ泣ける! 僕、原作読んで号泣したし」

「そうなんですか? それは期待大ですねー!」

「アニメ見て興味湧いたら、原作の単行本貸すよ?」

「わー! それはぜひぜひお願いしますー!」


 頬を紅潮させ、鼻息荒く話す彼女の声は、普段の音域よりも高く弾むようで。

 そんな彼女の早口のリズムに、僕の心臓もずっと小刻みにスキップを繰り返していた。


 そして――その話題は店を出る直前。出口付近に貼られた新作ホラー映画のポスターを見た安里さんの口から、ふいに発せられたのだった。


「……そうだ、先輩。聞きたいことあるんですけど?」

「ん? 何?」

「えっと、ラブコメ漫画とかで、同居してるヒロインがホラー映画を見てひとりで寝れなくなって、主人公と一緒に寝るとかいうシチュエーションがあったりするじゃないですか?」

「あー、はいはい。あるねー、そういうの」

「あれって何かあざとくないですか?」

「あざとい……うん、そうだね。言われてみれば、あざとい、かな?」

「使い古されたパターンだと思いません?」

「まぁ、たしかに。そうかも」


 僕のその回答に、安里さんはちょっと言いづらそうに付け加えた。


「……それでその……男子的にはそういうのってアリなんですか?」

「んー……。まぁ、そうだなー、アリじゃないかな?」

「アリなんですか?」


 ずいっと身を寄せるようにして彼女が迫る。


「う、うん……」


 僕は少し身をそらせながら、息を漏らすようにそう答えてから、さらに続けた。


「アリだからこそ、あざとくて使い古されてるパターンだとわかってても、アニメや漫画とかで何度も使われるシチュになったんだと思うよ」


 僕がそう言うと、安里さんは何故か不満そうに口を尖らす。


「……先輩もアリなんですか? わざとらしいのも受け入れられます?」

「え? うーん……」


 言われてちょっと考え妄想してみる。


 ……そうだな。親の再婚で僕と兄妹になり、ひとつ屋根の下で一緒に暮らすことになった、普段はしっかりものでクールな感じの血の繋がりのない妹――外見は黒髪ロングに目鼻立ちのすっと通った整った顔立ち。インドア趣味オタクで出不精なため日焼けしてない白い肌。身長は一七〇センチにあと少しで届く僕よりも拳ひとつ分小さいくらいで、さらに出るところはしっかり出て、中学生らしからぬ大きさの胸元はつい目がいってしまうほどで……と、そんな感じの、いままさに目の前にいる安里さんみたいな女の子が、実は怖いの苦手なのに僕の挑発を受けて強がってふたりでホラー映画を見ることになって、ビクビクしつつも何とか最後まで見たものの、夜、ベッドに入って目を瞑ったらさっき見た映画の一場面が頭に浮かんでどうにもこうにも眠れなくなり、枕を抱えて僕の部屋のドアを叩いて「べ、別に怖くなんかないですけど、兄さんが怖がってるだろうから、こ、今夜は一緒に寝てあげます!」なんて言いつつ、泣きそうな顔で僕のベッドに潜り込んできて――


「…………………………アリだな」


 想像上の義妹の顔を安里さんで妄想してしまったこともあってか、その答えはすぐに僕の口からこぼれ出た。


「え? アリなんですか? あざといってわかってるのに?」

「うん。いいと思うよ――って、その口ぶりだと、安里さんはあざといのキライなのかな?」

「はい……。何だか制作者にバカにされてるみたいに感じません? 『お前ら、こういうの好きだろ? しょうがないからやってやったよ』って鼻で笑われてるみたいで……」

「あー……」


 彼女の気持ちもよくわかる。


 安里さんは現在中学生。おそらく、思春期ならではの潔癖さと言うか何と言うか、押しつけがましいものや、わざとらしいものを受け入れることができない時期なのだろう。

 広義の意味での「中二病」とでも言おうか。きっと誰しもが経験するであろう、熱病のようなものであるに違いない。

 僕もその時期を通り過ぎてきただけに、彼女の気持ちは痛いほどに理解できた。


 でも。


 だからこそ、僕は不服そうな顔の安里さんに、諭すようにゆっくりと言った。


「あざといってわかってても――いや、あざといからこそアリなんだと思うよ」

「そんなものなんですか?」

「そんなもんです」

「えー? なんか納得しかねます。そういう演技かもしれないんですよ?」

「ははっ! たとえ演技だとしても、それにのってしまうのが男という悲しい生き物なのだよ。あざとくたっていいじゃない、だってそれがいいんだもの!」

「むー……男の子ってよくわかんないです……」


 安里さんは納得いかないといった表情で小首を傾げた。

 そんな安里さんに僕は重要な質問を切り出す。


「……ところで安里さんはホラー映画とか大丈夫な方?」

「はい。大好きですけど、それが何か?」

「……………………いえ、別に」


 僕は安里さんから向けられた冷たい視線を意図的に無視しながら、彼女より先に足早に店の外に出た。


「……うわぁ……」


 外に出たら土砂降りだった。


 大粒の雨がアスファルトの地面を叩きつけ、激しい勢いで飛沫が店の庇の下にいる僕の足下にまで跳ね飛んできた。


 この時期、夕方頃によくあるゲリラ豪雨だ。


 車道を走る車の音すらかき消すほどの激しい雨音が耳朶を震わし、どことなく土臭さを感じる雨の匂いが、残暑のむわっとした空気と混ざって鼻腔の奥に届いた。

 その匂いに、どこか少し懐かしさを感じながら見上げた空はグレー一色。

 近くで時折ゴロゴロと嫌な音を立てて鳴いている。


「……こりゃ参ったなー。傘持ってきてないし。安里さんは傘持ってる?」


 そう言ってから振り返って安里さんを見ると、彼女は何やら引き攣った表情で固まっていた。


「安里さん?」

「ひゃ、ひゃい!」


 周囲の暗さの影響を除いたとしても、安里さんの顔色は紙のように白くなっている。


「……ん? どうかした? あ……」


 そこではたと気づく。


 ついさっきまで冷房の利いた店内にいたのに、外に出た途端、まるでサウナみたいな熱気に襲われたのだ。

 この、うだるような気温の高さとまとわりつくような湿気に、安里さんはもしかしたら気分を悪くしたのかもしれなかった。


「具合でも悪くなった? なら――」


 と、心配になった僕が続けて「お店の中で少し休んでいった方がいいかも」と言おうとした、まさにそのときだった。


 カメラのフラッシュを焚いたような閃光が目の前を走り――


 ビシャーン! と耳を劈き、胸に突き刺さるような爆音が周囲に鳴り響いた。


 落雷だ。


 それもかなり近い場所に落ちたようだ。


 自分の人生でここまで大きな雷鳴を聞いた経験は無かっただけに、衝撃を受けた驚きショックで僕の息は一瞬止まり、それから心臓がドクドクと大きく波打った。


「……びっ……っくりしたー……」


 ふうと大きく息をつく。

 次いで、額を伝う汗――暑さからではなく冷や汗だと思われた――を拭おうと右手を持ち上げようとして、


「……ん?」


 動かない?


 ……いや、どうして動かないのかなんて一目瞭然。


「……ぅぅぅ……」


 安里さんが僕の右腕をがっしりと抱え込んで放そうとしないからだ。


 中学の制服に包まれた彼女の豊満な胸が、僕の右腕にぎゅうぎゅうと圧しつけられ、形を変えているのがよく見える。

 僕の右の二の腕に、彼女の身体の熱や柔らかさや湿り気――さらには目を落とすとすぐ近くにある彼女の口から吐き出された呼気いきが当たって、表現しようのない心地よい感触が伝わってくる。


 思わず、喉がごくりと鳴った。


 安里さんの消え入りそうな声が、雨音の隙間を縫ってかろうじて僕の耳に届いた。


「わ、わたし、雷だけはダメなん……」


 と、彼女が言い終えるよりも前に、またも空が光る。


 そして轟音。


「きゃーっ!」


 大きな雷鳴を聞いて、硬く目を瞑り、身体を小刻みに震わせている安里さん。


「……」


 僕は思う。


 本気で雷を怖がっている安里さんには甚だ申し訳ないのだが、普段クールで大人びたイメージのある彼女が、怯えた様子で僕にしがみついている姿は何だかとっても――


「………………可愛いなー、もう」


「え? せ、先輩? い、いきなり何――」


 思っていたことがつい口からぽろっと出てしまったその瞬間。


 ズビシャーン! と、三度、雷鳴が轟いた。


「きゃうっ――!」


 安里さんが言いかけた言葉を引っ込めて悲鳴に変えた。


 そうして、さらに力強く僕の腕を抱え込んだ安里さんは、いまにも泣き出しそうな顔で僕を見上げた。


「す、すみません……も、もう少し、このままで……」


 そんなことを掠れ気味の声で言われたら、僕としては何も言えずに頷くだけで精いっぱいで。


「……」


 ああ、もう本当に――


 安里さんは今日もあざとい。


 あざとくて可愛くて、そう――まさに「あざと安里可愛い」。



 ――それからどれくらい経っただろうか。


 体感では永遠に続くとも思われた時間は、おそらく十分と経過していなかったに違いない。


 気づけば周囲を圧倒していた雨音は消え、辺りはいつも通りの生活音に戻っていた。


 道路を通る車の音。機械音。人の声。

 雨で煙っていた視界も元通り。

 空を覆うグレーのカーテンを振り払い、隠れていた太陽が姿を現し――青空が広がる。


 その青一面の天井に――


 大きく掛かる虹の橋。


 さまざまな色の積み重なった美しいアーチが、僕の目に飛び込んできて。

 雷が収まり、雨が止んだことに気づいた安里さんも、僕の腕につかまったまま涙目で空を見上げて茫然としていた。



 ――だからこれは「虹の物語にじのものがたり」。



 僕と安里さんが雨上がりの空に虹を見た、ただそれだけの話だ。

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