09.失いたくない人たち

 休む間もなく砂漠を走り続けて半日、一行は砂浜へ到達する。そこにはグランドティア軍の巨大な戦艦が停泊していた。アストラ王国への正式な玄関口――港町カレントへはあえて入港していなかったのは、逃げやすくするためだったのだ。

 レイたちの到着を確認した番兵が艦尾より急ぎ橋を降ろし、軍馬ごと騎士たちを艦内へ収容する。メガンテレオンまで戻ってくるとは聞いていなかったためか、檻の用意が間にあわず、慌てふためいていた。


「急ぎ出航せよ! アストラ軍をここで撒くぞ!」


 レイは馬から飛び降りると一息つくことなく指示を飛ばし、司令塔へ消えた。

 肉食獣の背に乗ったまま戦艦へ戻った世槞と、そして今回の作戦の要となっていた瓜二つの少年はちょっとした注目の的となった。ディーズが何か言いたそうにしているが、アストラを離れることが先決であったため慌ただしく持ち場へ移動した。


「姉さん、そろそろ降りたら?」


 体高三メートルに及ぶ獣の足元で、紫遠はこちらを見上げながら言う。世槞は差し出された手を掴み、へへ、と笑いながら弟の胸へと飛び込むように降り立った。


「なんか色々あったけど――……」


 聞きたいことも、言いたいことも、たくさん溢れている。でも、まずは。


「おかえり、紫遠」

「ただいま、姉さん」


 再会を果たした二人の主人の元へ、闇炎の下僕と氷の下僕が舞い戻る。羅洛緋は紫遠を見つめ、目を細めた。


《よくぞご無事で。我が主人は、離れ離れとなったあの日からずっと必死で貴方様を探してこられました。時に泣きわめき、時に怒り狂い……それでも紫遠様が生きていると、必ず会えると信じて》

「ら、羅洛緋……恥ずかしい報告までしなくていいでしょ……」


 紫遠は「へぇ」と言うだけで多くを返事しない。その反応が余計に恥ずかしくて、世槞は顔を伏せた。

 次に氷閹が世槞に頭を下げる番だ。


《我は余計なことは言わぬ。ただ、互いが生きて再会できたこと――これ以上の喜びは、必要ないと感じている》

「……そうね」


 羅洛緋と氷閹は思いを伝えると、静かに影の中へ戻る。

 この広大な世界の中で互いに生きて再会できたのは、奇跡に近い。それも多くの人の協力があってこそだ。アストラ王国を敵に回すかもしれないのに構わず手を貸してくれたグランドティアの人々。どこの誰かも知れぬ、ただの女の子にだ。レイを信じているからこそ、疑うことなく命令に従ってきたのだろう。


(グランドティアには、一生をかけても返せないくらいの恩ができてしまった)


 だが重荷ではない。心より望んで、グランドティアのために何かしたいと思った。


「姉さんはこの世界――クロウ、だっけ? クロウでたくさんの優しい人達に助けられてきたんだね」

「うん、そう。ほんとね、皆……馬鹿みたいに優しいよ。得体の知れない私を助けて、弟まで助けてくれた。私は、恩返しをしなくちゃいけないよ」

「僕も協力するよ」

「へへ、ありがとう」


 弟と話しているとぼんわりと気持ちが温かくなる。もう二度と会えないかもしれないと、一度でも思ってしまったあの時のことを思い出すと今でも身体が震える。それでもなんとか自分を叱咤して前を向かせて、仲間を信じて突き進んできた。


「私……クロウで、失いたくない人達を得てしまったかも……」


 滅亡が間近に迫る世界でそれは、とても残酷なことだった。紫遠も世界の異変に気づいているのか、震える姉に両腕を伸ばしたい衝動を堪えていた。


「あっ、アノー、その失いたくない人達って……当然、私も含まれてますヨネ?」


 スピーロトゥスがおずおずと片手をあげた。声をかけにくい雰囲気を無理やりにこじ開けにきたようだ。盗み聞きをしていた件に関しては見逃されている。


「さっきからこの子、誰?」


 姉に問う紫遠の姿が信じられなかったようで、スピーロトゥスは大声を張り上げた。


「エェ?! ガチで言ってます? ソレ! シーサイドの館でシオン様の世話係として私、奮闘していましたのに!!」

「そんなこと言われてもうちの弟、ずっと死んでたんでしょ? 感覚も記憶も無いに決まってんじゃん」

「デモでも、私がシオン様に触れようとしましたら、「汚い」って言われて手を払われましたよ!!」


 必死の訴えを聞き、しかし笑いそうになりながら世槞は紫遠に「本当なの?」と確認をする。


「それなら間違いないんじゃない? 僕は姉さん以外の女性に触れることも、触れられることも気持ち悪くて無理だから。その前に、世話係が誰であるかの認識すらないけどね」

「――だってさ。残念だったね、スピー」


 世槞は笑った。久しぶりに、心の底から笑ったように思う。昔から当たり前のように隣りにいる家族の存在は、心をこんなにも晴れ晴れしくしてくれるものだ。


「でもスピー。お前も大切な仲間だよ。氷閹を解放してくれて、メガンテレオンを助けてくれて、ありがと」

「ああっ……セル様ぁ……」


 スピーロトゥスは目にいっぱいの涙を溜め、人目も憚らずに泣いた。世槞は驚き、紫遠と顔を見合わせ、こんなところで大声を張り上げるなと慌てて説得をした。


「でさ、姉さん。このサーベルタイガー、どうすんの?」


 怒られて静かに泣いているスピーロトゥスの隣りには、メガンテレオンが鎮座している。残りの獣たちが皆地下貨物室へ移動させられたというのに、世槞に懐いた一頭だけが動かないでいた。


「よし、お前は今から私のペットです!」

「ちょっと……」

「名前をつけてあげなくちゃねー。えーと……イーヴォ!」

「なにそれ」

「わかんない。イイ感じの響きが降りてきた」

「あ……そう」


 呆れつつも紫遠は安心したように姉の顔を見つめた。世界と時代こそ違えど、姉は姉のままだったから。

 戦艦がサルベリア大陸から離れて数十分が経過する。追っ手は見えない。まだまだ安心できるわけではないが、一息はつけそうだ。

 司令塔の扉が開き、レイが姿を見せる。紫遠と世槞をゆっくりと見比べ、なるほどと頷いた。


「慌ただしかったからな……シャオ、自己紹介が遅れて申し訳ない」

「紫遠です! し お ん !」


 世槞は弟の前に立ちはだかり、その名前を全否定した。


「ではシオン、よくぞ無事でいてくれた。我はレイ=シャインシェザー。軍事国家グランドティア王国の総司令官を務めておる」

「総……司令官」


 普通に生きていれば出会うことのない役職の人間を前にして、紫遠は世槞に言う。


「姉さん、すごい人と友達になったんだね」

「ハハッ……マジお世話になってます」


 紫遠は考える。正直なところ、国家を動かす力のある人が姉に協力している事実に未だ腑に落ちない部分がある。事実助けられたし、恩を感じているが疑問が拭い去れず、紫遠は素直に喜べないでいた。――この人たちもセシルとシャオを狙っているのではないか。姉は騙されているのではないか。


「このたびはご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。感謝しております。僕は――……紫遠梨椎、です。この世界の人間じゃない」


 そう続けて自己紹介をした紫遠を、世槞はギョッとした顔で見つめた。


「とっくにわかってると思うよ」


 紫遠に言われ、世槞はレイの顔を見上げた。レイは目を細め、頷いた。


「信じ……るんですか」

「信じるもなにも、事実なのだろう?」

「……はい。隠してたつもりはないんです。言っても信じてもらえないだろうし、第一、必要がなかった」

「結果論になるやもしれぬが、我は信じたぞ。それぐらいの根拠が、浮世離れしたおぬしにはあったからの」


 そうかな? 世槞は紫遠と顔を見合わせ、クスクスと笑った。レイはその姿をじっと見つめていた。


「さて挨拶はこのくらいにしておくとして、シオン、おぬしには聞きたいことが山ほどある。こちらへ来てくれんか」


 レイは紫遠を連れて司令塔へ戻る。世槞は自分の顔を指差して、用無しかと訊ねた。


「セルはシャワーでも浴びておれ。砂だらけぞ」


 言われて全身が砂だらけであることに気づき、世槞は急ぎシャワー室へ飛び込んだ。部屋の前では、まるで番犬のようにイーヴォが鎮座していた。

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