08.メガンテレオン

 アストラ軍本体がコロッセウムに進軍を始めた。それとほぼ同時に十体におよぶ数のサーベルタイガー、メガンテレオンが客席より咆哮を響かせながら乱入を果たした。この砂漠の大地に生息しているはずのない種類である。

 アストラ軍の陣形は乱れる。調教でもされているかのごとくメガンテレオンたちはアストラ騎士のみを襲う。人間の仕留め方も洗練されており、まず喉に噛みついて黙らせ、手足を引きちぎって逃げられなくさせ、最後に太い足で頭を叩き割る。


「どういうこと……」


 阿鼻叫喚の地獄絵図と成り果てた闘技場を振り返りながら、世槞は顔を青くしていた。


「レイ様、メガンテレオンって……確かグランドティアのある大陸にしか棲息してないんじゃ……」

「そのはずぞ。まったく、奇妙なことだな」


 レイは走りながら恐ろしい言葉を吐いた。全て仕組んだ上での、知らぬ損ぜぬを取り繕う。あくまで紫遠の救出は意図したものではなく、獣の乱入による偶然の結果であることを――アストラ側に押し通すつもりだ。

 おおよそ十数体に及ぶ獰猛な獣はバラトス大陸から連れてこられたのだろう。それまで狂喜乱舞しながら処刑を観覧していた人々が、耳をつんざくような悲鳴をあげながら逃げ狂っていた。闘技場は大混乱に陥った。

 ――いつ、どうやって連れてきた?

 世槞は考え、あっと答えを見つける。――グランドティアの戦艦で地下に近づくなと言われた。砂漠を横断する際に荷物を見るなと言われた。


(あの大きな荷物がメガンテレオンだったんだ……!! 紫遠救出作戦を私に全貌を明かさないまま進めてたんだわ)


 確かに救出内容に紫遠の公開処刑に関する一言があれば間違いなく私は取り乱し、作戦遂行に支障をきたしてたに違いない。だから伏せてられていた。

 それにアストラ軍の到着が早すぎる、とも世槞は考えていた。コロッセウムで起きた異変の知らせを受け、出動の命令が下され、実際に軍として動ける準備が整うまでの所用時間――およそ二十分。有り得ない速さだ。とするならば、アストラ軍はあらかじめ近くに控えていたとしか考えられない。


(アストラ軍もこうなること――紫遠救出作戦が決行される――を予見していたってことになるけど……どうして国が私と紫遠を捕らえにくるんだ)


 ヒェルカナ党と繋がっているかもしれないアストラ王国。それはきっと真実なのだろう。

 世槞は前を走るレイの背中を見つめた。レイはこの事態を全て予測していた。


(全てレイ様の計算通りなの?)


「……凄そうだね、彼は」


 悶々と考える世槞を見透かすように、紫遠は言った。まだ目覚めて間もなく、この世界のことも何も知らないであろう弟はしかし、たった少しの間の出来事だけでグランドティア総司令官の末恐ろしさに気付いたようだった。


「そうだよ、鬼だもん」

「誰が鬼ぞ。聞こえておるぞ」


 レイが少しだけ顔をこちらに向け、心外だと訴えた。世槞は紫遠と顔を見合わせ、笑った。


「氷閹! 久しぶり!」


 コロッセウムの出口はすぐそこだ。吹雪の中に見え隠れする大きな影を見上げ、声をかけた。影は挨拶をするように両手を広げ、何かを落とした。落とされた何かを目撃し、世槞は「あっ」と声をあげる。


「スピー! そんなとこで何してんの?」


 乱暴に振り落とされた少女は痛みでうずくまるも、すぐに立ち上がる。


「ヒエン様の封印を解除したらですね! ここまでお供させて下さったんすよ!!」

「封印? 聞いてない」

「当たり前っすよ! セル様には極秘の作戦だったんすからぁ!!」


 聞いていなかったが、その説明だけで大方理解をした。あの紫遠がどうしてヒェルカナ党に捕まったままでいたのか、なされるがままだったのか。――シャドウを、氷閹を剥がされていたために力の大部分を失っていたのだ。

 シャドウ・コンダクターにとってシャドウがいなくなるというのは、魂が引き裂かれるほど辛くて、苦痛を伴うものだ。そんな状態でずっと耐えてきたであろう弟の手を強く強く掴み、熱くなる目頭を押さえた。


「もう大丈夫だから」


 世槞の心情を察知して、紫遠が優しく言った。


「ていうか! アァ!! アナタ様はっ……目覚めたシャ……シオン様だァァァァァ!! 超ッッ……イケメン――!! 美人系イケメンー!!」


 取り乱すスピーロトゥスを置き去りにし、世槞たちは再び走り出した。

 コロッセウムの外には、オメロを含むグランドティアの騎士が数名待機しており、逃走経路を案内してくれた。人気の無い場所には、ディーズ騎士長と残りの騎士が揃っており、馬の準備も万端。すぐに国を出る段取りとなった。しかし世槞には気になることがあって、遥か遠くとなったコロッセウムから目が離せない。


「レイ様。メガンテレオンたちは置いていくんですか?」

「満腹になれば戻ってくるだろう」


 唯一の白馬に乗馬し、レイはさらりと答えた。世槞は腑に落ちないまま羅洛緋を召喚し、紫遠とともに背に飛び乗った。


《ご無沙汰しております、紫遠様。本当に……よくご無事で》

「ありがとう。心配かけさせてごめんね」


 何もない場所に突如として出現した漆黒の獣と紫遠が会話をしている様子にグランドティア騎士たちは圧倒されつつ、苦笑いを浮かべた。混乱は発生していない。事情はディーズから聞いているのかもしれない。


「行くぞ! 隊列を乱さず、我についてこい!」 


 馬が声高くいななき、一斉に地を蹴りあげる。目指すは国門ではなく、崩れかかっている城壁だ。警備が手薄な場所は昨晩すでに調査済みのようだった。騎士たちは地上をゆくが、羅洛緋は長距離跳躍を利用して飛行する。そのためか、辺りの様子がよく見えた。


(あ……)


 コロッセウムを振り返っていた世槞の視界の端に少年の姿が映りこんだ気がした。ほんの一瞬だったけども、こちらに向かって手を振っていたように思う。


(ロキだ)


 笑顔だった。瞬間、嫌な気配が脳天を駆け抜けた。

 何故、ヒェルカナ党内で監禁されていた紫遠が手の内を離れた場所にいたのか。あれだけ追い求め、生きていることすら伏せて隠していたのに。


(紫遠をわざと解放したとか……?)


 解放することによる、ヒェルカナ党のメリットはなんだ。レイがこう動くことすら、ロキの考えのうちだったとしたら……?


 騎士たちは上空を飛行する巨大な死神と、そして世槞と紫遠が跨がるケルベロスの存在に気もそぞろながら馬を走らせていた。灼熱の太陽が地上を生きる者を照りつける。追ってくるものはない。容易い逃走劇だった。


 ――簡単すぎる。


「なにか、見えますねぇ」


 隊列の最後尾を走っていたスピーロトゥスが首をもたげ、一面の砂漠を見渡した。


「なにが見えるのーっ?!」


 世槞が上空から訊ねた。


「ちょっ、地獄耳っすか、アナタ。いや、なんかですねぇ、大きいような小さいような……そんな気配がずっと見え隠れしてるんすよ」


 スピーロトゥスの口調はあくまでのんびりとしている。だから誰も“悪魔”が迫っていることに警戒心を抱かなかった。

 羅洛緋にもスピーロトゥスの話は届いていた。同じく何かの気配を察知していた羅洛緋は、グランドティア軍の隊列と並走する“悪魔の影”を地中に見た。


《これはっ……大きい! 砂漠のなかです!》


 羅洛緋が警告をするとほぼ同時に、地中から伸びた“鋼鉄の尾”が騎士の一人を馬ごと弾き飛ばした。直後、レイが「散開せよ!」と命じる。間に合ったのかはわからない。砂が大きく盛り上がり、鋼鉄の尾の持ち主が姿を現した。


「うわぁお! エンペラースコーピオンっす!! アストラの大地に棲息する、砂漠の悪魔っすよ!! まさかお目にかかれるとは!!」


 だが異変を感じた。ただ巨大な蠍というわけではない。頭頂部にある五つの目が人間と同じものだった。


「いわゆる、スコーピオン型……かな」

「冷静かよ」


 固い尾を振り回し、砂を撒き散らし、グランドティア軍を逃がすまいと暴れる蠍を見下ろしながら紫遠が言った。弾き飛ばされた騎士の身体は砂に沈んでゆき、このままでは蠍の餌となる。


「なるほどの……そう簡単には逃がしてはくれぬか」


 レイは白馬を引き戻し、おおよそ四メートルの長さ、重さにして三トンの衝撃を誇る尾を剣の一太刀で弾き返し、騎士たちの退路を確保する。だがこいつを退治してしまわないと戦艦にたどり着かない。

 紫遠は背負っていた白銀の剣を握り、鞘から引き抜いた。


「調度良いから、あいつで肩慣らししよう」

「へっ?」

「姉さん、羅洛緋をスコーピオン型に近付けてくれる?」

「やめとけやめとけ。まだ起きたばかりで本調子じゃないでしょ。氷閹に頼んだら? ほら、命令を待ってる」


 基本的にシャドウは主人の命令が無いかぎりは動かない。紫遠は自身の下僕をちらりと見やり、不服そうに姉へ振り返った。


「これからどんな敵が現れるかわからないから、準備運動しておきたいなぁ。君を護るためにね」

「アー……いってらっしゃい」


 君を護る。それはお馴染みの台詞でいて、随分と久方ぶりに聞いたものだ。そう言われては否定できない。世槞は黒目をぐるりと回し、諦めたように許可を出した。


「ありがとう。必ず戻るから」


 あの日からいなくなってしまったことを悔いていた紫遠は、姉を心配させぬよう、帰ることを宣言してから羅洛緋より飛び降りた。

 紫遠は振り上げられた鋼鉄の尾を足場として着陸し、白銀の剣をくるりと回して勢いよく五等分に斬り分けた。切断面は瞬時に凍りつき、体液が飛び出さない。次に本体――鋼鉄のカラダへ軽やかに飛び移り、脳天に剣を突き刺した。スコーピオン型が痛みに狂い暴れたのはほんの一瞬で、すぐに美しい氷の像と成り果てていた。時間にして一分。

 巨大な怪物の死骸から滑り降り、紫遠は「ふうん」と感心したように剣を見る。


「この剣、属性は氷なのか……」


 紫遠のもとへレイを乗せた白馬が駆け寄る。砂に沈んだはずの騎士を同乗させ、飛ばされたはずの馬を連れていた。


「シオン……おぬしはまこと、その剣の主人なのだな……」


 白銀の剣を操る紫遠を見下ろし、レイは長い溜め息を吐いた。すぐに気を取り直し、空馬を差し出す。


「はよう乗れ。まだおるぞ」

「まだ?」

「一番厄介な“親”は死んだが」


 馬に乗る紫遠の目に、砂中からぽこぽこと顔を出す小さめの蠍が映る。小さめとはいっても人間の大人のサイズは優に越えているが。数は――五匹。スピーロトゥスが言っていた、小さめの気配とはこのことだろう。だが逃げてしまえばよいだけの話だ。

 上空から成り行きを見守っていた世槞はホッと胸を撫で下ろした。子どもくらいなら殺すまでもなく簡単に逃げ切ることができる。


「ぎゃー!! 人喰い犬歯虎(けんしこ)が戻ってきましたよー!!」


 だがスピーロトゥスの悲鳴を聞き、世槞はヒヤリとした。自分たちが逃げてきた方向、そこに十体の獰猛な肉食獣の黒い影が見えた。――メガンテレオンである。長い被毛をなびかせ、筋骨たくましい前脚で砂をかき、風よりも速く大地を駆ける。レイが言っていた通り、主食である人間を心ゆくまで食べたあと、主人の元へ帰ってきたのだ。


(あのネコたち……すごく従順だ)


 バラトス大陸でレイに餌を与えられ続けた結果の産物だ。あんなに獰猛な獣でも、自分より強い者、そして餌を与えてくれる者に懐くのだろう。だから今回のような難しい指令にも従った。船旅も砂漠の気候も慣れないだろうに、闘技場では立派に務めを果たした。

 スコーピオン型の子どもたちが誘われるようにメガンテレオンたちの前に立ちはだかり、毒針を出して待ち構える。枯れた大地に現れた、遠方からの食糧を仕留める気だ。


「セルさん! スピーさん! 今のうちに逃げますよー!」


 ディーズが遠くで急げと手招きをする。メガンテレオンたちを囮にするつもりなのだ。始めからその算段だったのかもしれない。レイならやりかねない。世槞は地上を並走しているスピーロトゥスを呼び止めた。


「スピー」

「はい?」


 世槞は羅洛緋の制止を振りきって地上へ飛び降り、赤黒い剣――紅蓮剣フィアンマを具現化して握りしめる。


「お前さ、私の家来になったのよね?」

「んん? 語弊があるようですが、私は仲間のつもりで……」

「なら私に協力して。メガンテレオン全員を助ける」

「……まじっすかぁ」


 めちゃくちゃな理論と、めちゃくちゃな命令を与えられてスピーロトゥスは苦笑いを浮かべる。しかし多くの命を助けたいという真摯なる世槞の横顔を見て――刺激と、希望を抱いたのは間違いがない。


「オッケーっすよ。全力でお供します。いよいよ私の出番ってやつですか」


 スピーロトゥスは快諾して馬から飛び降り、自分よりも大きなサイズの鋼ハンマーをよいしょ、と持ち上げた。


「我が名はスピーロトゥス=グロリア。鉱石を司るシャドウ・コンダクターです。さあ……アゲートさん、やっとアナタの姿と威厳を世に轟かせる時ですよー!!」


 アゲートと名を呼ばれたスピーロトゥスの影は、砂嵐を巻き起こしながら重量級の出現を果たした。身の丈十メートル、全身がキラキラと輝く石で形成されている――巨象のような石人間だった。


《グロリア娘でもルーナの国王でもなく、ヒェルカナ党のお偉い方でも、もはや人間でもなく……まさか人喰い犬歯虎を助けるハメとなるとはねぇ。あんたも焼きが回ったかしら?》


 スピーロトゥスのシャドウは主人に対する口調がかなり粗暴だった。だが当の本人はヘラヘラと笑っている。


「これも運命っす。私はですね、私を仲間だと受け入れてくれる方のところへなびいていくんすよ」


 石人間は奥に隠れたダイヤモンドの目をぱちくりとさせ、微かに笑った。


《……ま、楽しそうだし、なによりか》


 アゲートは両手の拳を振り上げて強く握り、二体の子へ向けて勢いよく叩きつける。同じ要領でスピーロトゥスもハンマーを振り下ろして一体を叩き潰した。メガンテレオンたちがスコーピオン型の潰れてひしゃげた死体を次々と飛び越えてゆき、帰るべき場所を一目散に目指す。世槞はその横をすりぬけ、一頭だけ逃げ遅れているメガンテレオンの元へ急いだ。

 振り下ろされた鋼鉄の尾に警戒を示し、頭身を低くするメガンテレオン。背後から大きなハサミを広げた子が迫る。世槞はその尾を掴んで引きずり、ハサミを斬り落とす。のたうち回る隙を踏み落とし、心臓部を一気に貫き、流れるように身を翻し、残り一体となったスコーピオン型の頭を狙って蹴り上げ、のけ反って露わとなった腹に紫色の火を放った。


「終わりじゃあ! 勝利じゃ!」


 ごうごうと燃え盛る死体から離れた場所で、短くて太いしっぽを後ろ足の間に隠し、困ったような顔つきでこちらの様子を窺っているメガンテレオンを見て世槞は笑い声をあげた。


「地上最強の生物サーベルタイガーですら、影獣は気味悪かった?」


 メガンテレオンが怪我をしていないか、世槞は入念に確認をする。血液が付着しているがおそらくアストラ騎士をたらふく喰ったためであろう。世槞に触れられても不思議と拒絶も攻撃もしない。


「ほら、逃げましょ。私の下僕たちが気味悪い蠍たちを皆殺ししてくれたから」

「だぁーかぁーらぁー。仲間ですってば!!」


 遠くからスピーロトゥスの訂正を求める声が届いた。


「なんだ、お前も十分地獄耳じゃん」


 クックッと笑い続ける世槞を見つめていたメガンテレオンは、おずおずとした動作で頭を世槞の身体にこすりつけた。世槞は目を大きく見開き、口元をゆるめた。


「デカい猫がスリスリしてきた……やば、超かわいい……」

「セル!! はよう来い! 説教をされたいのか!!」


 遠くからレイの怒声が響き、世槞は瞬間的にヒッと息を飲んだ。早く戻ろう、と言う世槞の言葉が理解できたのか、メガンテレオンは頭身を低くし、上目遣いで見つめた。――乗れ、という意味らしい。世槞は両頬をおさえて感激をし、胸を高鳴らせながら巨大な肉食獣に跨がった。

 世槞が乗ったことを感じとるとメガンテレオンはのっそりと立ち上がり、勢いよく風を切った。あまりの速さについていけず、アゲートとスピーロトゥス、羅洛緋の三人は慌てて後を追った。

 レイの元へ戻ると、助けたメガンテレオンたちが行儀良く座って待っていた。世槞を乗せたメガンテレオンもレイに対して頭を下げるような動作をした。囮として使うはずだった獣たちが全員無事に戻ってきたため、騎士たちは顔を青くしていた。

 レイは多少の計算違いなどどうでもいいようだったが、危険な真似をした世槞には立腹だ。


「セル」

「はっ、はい」

「艦に戻ったら説教をするからの」


 世槞は悪戯が見つかった子供のように背中を小さくし、メガンテレオンの首をギュッと抱きしめた。助けを求めるように紫遠を見るが「馬鹿」と小声で言われるだけだった。

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