【☆】07.僕は、ここに

 翌朝、レイたちは慌ただしく動いていた。それぞれの持ち場につくべく、準備を入念に進めている。自分はなにをすればよいのか訊ねても、「コロッセウムで観覧でもしてろ」としか言われない。


《闘技場でなにかがあるのは確かなようですね》


 世槞は羅洛緋に諭され、おとなしく闘技場内で事が起きるのを待つことにした。客席はすでに満席のため、立ち見となっていたが、そんなことはどうでもよかった。客の会話から本日の演目は公開処刑らしいとわかった。これをレイが見に来たと言っていたものだろう。


「なんなの。公開処刑をさ、国民たちが寄ってたかって見に来るってさ……野蛮だと思わない? いくら罪人でも同じ人間が殺されるんだよ? しかも、えぐい方法で」

《娯楽が少ない時代ですから……仕方のないことですよ。それに、えぐいとは……処刑方法をご存知なのですか?》

「んー、月夜見の図書館でよんだことあるんだ。鋸引き、車裂き、八つ裂き、腰切り、串刺し、凌辱……その他諸々。昔の人間って残酷だよね! 人間の身体をいかにして痛め付け、苦しめて殺すかに尽力を注いでいる」

《詳しいですね》

「気になりすぎてその本は一晩で読破したわよ。あーあ、本日の処刑は一体どんなえぐい方法なのかしら……」


 まだ始まってもいないのに国民たちは盛り上がっている。前回の罪人はこんなやつで、どんな処刑のされ方をしたのか、死体はどうなったか――熱く語っている。うずまく興味の悪意に気分が悪くなる。見上げると上の観覧席は特別なようで、見事に着飾った者たちがずらりと並んでいた。一際大きな観覧椅子はおそらく国王のものだろう。


(国あげての一大イベントかよ……胸糞)


 夜とは打って変わって再び灼熱と化した気温に人々の熱気が加わり、体感では五十度を越えていた。フライパンの上で焦がされている気分だった。

 ダラダラと流れる汗をぬぐい、その時を待った。

 特別席にレイたち数名のグランドティア騎士が現れる。世槞はそれらを見上げ、彼らの意図がどこにあるのかを探した。


(……わからん。公開処刑と紫遠がどう関係あるんだ)


 待ち続けて数時間が経過する。公開処刑はすでに始まっていた。処刑人による華麗なる首切りをはじめ、道具を使った残虐なもの、富裕層が飼い馴らしている大型ネコ科動物による捕食刑。コロッセウムはすでに血の海と成り果てており、鉄臭いにおいで充満していた。国民たちの熱気は今や最高潮である。国王も手を叩いて喜び、近くに座るレイに耳打ちをして笑った。レイは涼やかな顔で相槌をうち、微笑すら浮かべていた。

 世槞は小さく唸り、吐き気を堪えた。


『さぁ! 盛り上がってまいりました! 次の罪人を紹介しましょう!』


 公開処刑はまさにショーであった。司会の人間がいて、テンポよく罪人を送り出す。死にゆく様をまさに実況する。


『皆様、とくとご覧くださいませ。次なる罪人は、発掘王ジャミル=アースラ=ムバラク様御自ら捕らえた悲劇の少年!!』


 トンネルを抜け、両脇を抱えられた罪人が姿を見せる。ぐったりとしていて、すでに衰弱している様子が見てとれた。世槞は何かの見間違いでは、と思い、目をこすって罪人の少年を凝視した。


『ジャミル様のコレクションを盗み目論んだ少年は、なんと儚く美しい容姿をしているのか! この薔薇が散りゆく様をとくとご覧あれ!』


 ………………。

 …………。

 ……。


 ドクン、ドクン。


 周りの音が急激に遠退いてゆく。何も聞こえない無音の世界に、心臓の鼓動だけが跳ね続ける。それは目覚ましのアラームのように次第に大きくなり、鼓膜すら打ち破るほどの大音量となった。


「紫遠!!!!」


 間違いない。赤い髪、白い肌、自分と同じ顔。今、処刑台の上に連行されている少年は――あの日、あの時、離れたくなかったのに無理やりに引き離された――魂の片割れだ。


「えっ、えっ、えっ、どういうこと! どういうこと!! 罪?! はあ?!」


 紫遠がいる。弟がいる。ずっと探していた大切な家族がいる。生きている。なのに、彼は今や――処刑台にいる。

 国王を見る。貴族たちを見る。周りの国民たちを見る。全員が血に飢えた眼で少年の首が飛ぶところを待ち構えていた。


「紫遠――!! いやっ……なんでえええええ」


 レイは動かない。頬杖すらついて、事態を静観している。もしかして世槞の弟だということに気づいてないのかもしれない。早くしないと、紫遠が処刑されてしまう。世槞は錯乱する思考の中で、必死に打開策を考える。


「やだ、やだ、しおん! しおん! どうすれば! どうすれば!」


 あまりに取り乱していためか、周りの人間たちが世槞の言動を怪しみだした。


「おいアンタ、もしかしてあの罪人の身内か?」


 四十台くらいのおじさんが世槞の肩を掴み、問い掛けた。


「そっ、そうですよ! 助けなくちゃ!!」


 声が裏返り、悲鳴に近くなる。本当は認めてはならないのに、正常な判断ができない。おじさんの顔は瞬く間に鬼の形相へと変貌する。


「よく見れば確かに似た顔をしてやがる……」

「オイッ、罪人の身内が罪人を助けようと画策しているぞ!!」

「それは同罪だろう! 罪を犯した者には等しく罰を! 助けを求める者にも罰を!」


 世槞の存在は伝染病のごとく周囲に知れ渡ってゆき、罪人を助けようとする不届き者として囲まれる。公開処刑の熱気を保持したまま、自分たちですら悪いやつを処刑する権利があると声高々に宣言をする。誰もが同調をする。小石が投げられ、世槞の頬を掠めて赤い血を流した。

 しかし世槞の耳に、目に、暴徒と化した国民の姿は届かない。


「紫遠っ、今、助けるから……!」

「行かせるかよ!」


 一人が世槞を引きずり倒すべく、身を乗り出した。手が届く直前で骨があらぬ方向へ捩り曲がり、地に落ちた。


「な、に……? 何が起きた……?」


 声すら出せず痛みにあえぐ男の顔を踏みつけ、サファイアに輝く瞳でぎろりとこちらを睨みつける目がある。


「処刑? 誰が? 誰を? どうしてお前らみたいな野蛮人に私が殺されないといけないの? え? 私の大切な弟を殺そうとし、快楽に浸っているクソみてぇなお前らに? ……はっ、殺せるわけねぇじゃん。テメェらごときが、この私をさあ!!」


 決して嘘でもハッタリでもない“真実の宣言”に国民たちは一歩、あとずさる。


「殺してやる。全員。赦せない。魂まで燃やしてやる。紫遠は絶対、殺させない!!」

《お止めなさい! 我が主人よ――!!》


 羅洛緋の制止など耳には届かなかった。ここにいる全員が憎い。全員を殺すべきだ。世槞は持てる力全てで、この処刑ショーを中断に追い込もうと――したそのとき、目の前を白い粉が舞い散っていった。

 雪? そう判断できた頃、灼熱の青空から季節外れの吹雪が吹き荒れた。世槞はハッとし、雪の出所を探す。処刑台の少年ではない。ではどこから。


「王宮……?」


 コロッセウムの遥か彼方、黄金の王宮から吹き出した雪が遠く離れたここまで冬を運ぶ。遅れて到着したのは黒い死神だ。黒い外套を羽織り、耳まで裂けた口から鋭い歯が覗き、異様に長い手足が振るうのは巨大な三日月型の鎌。身の丈四メートルの死神が恐怖と死を引き連れて闘技場へ堂々たる参上を果たした。


 *


 自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。女の子の声だ。どこかで聞いたような、聞き慣れたような、遠い昔の記憶のような。


『いい加減、目を覚まさんか。このバカ息子が』


 次に聞こえたのは知らない声だ。男性で、おじさんだなと思った。息子と言われたが自分の両親はずっと昔に死んでいる。実は殺したのは自分だが、それは秘密だ。

 第一、聞こえた声は実父のものではない。

 応えないでいると、さきほどよりも強く大きな声で怒られる。


『いつまで休んでいるつもりだ。貴様には役目があるはずだ。俺と約束をした。そうだろう?』


 そんな約束は知らない。なのに、否定をできない自分がいる。

 暗闇の世界の中にその人は現れる。椅子に座っているようだ。ぼんやりとしていて顔はわからないが、知らない人だ。背が高くて、褐色肌に銀色の髪――どれをとってみても身に覚えのない人物。


『息子よ』


 知らない男性は続ける。


『姉を護れ、姉だけを見ろ、姉を愛せ、そのためならば世界など捨ててしまえ』


 まるで洗脳をするように声は繰り返される。


『二度と過ちは繰り返すな。互いのことだけを考えろ。悲しい思いをするのは――……――……だけで充分だろう?』


 怒っているくせに声は時々遠くなる。


 ――うるっさいな……どうして誰かの指示で僕は姉さんをどうにかしないといけないんだよ。


 苛立ちを覚えた。声は揺れる。笑うように。


『ならお前の意思とはなんだ?』


 そんなのは決まっている。


 ――――


 僅かだが目覚める余力だけは手に入れた。周りがとても煩い。ここは外だ。自分は今、人が多く集まっている場所にいるようだ。一番近くにいる人間に訊ねてみた。


「……きみ、誰?」


 その人間は答える。憐れみを含み、しかし厳しい声で。


「俺はシャルル=イスハーク。……処刑人だ」

「……そう」


 そうか、自分は処刑されるのか。――どうでもよかった。

 少年は頭を持ち上げることが億劫で、まさに首を落としやすい態勢でうなだれていた。


「……おん……しおん!!」


 再び声が聞こえた。今度ははっきりとしていた。間違いない。自分の名前が呼ばれている。


(誰……だっけ……。知ってるんだけど……とっても、大好きだった気が……)


 頬に冷たいものがあたる。指でなぞると熱ですぐに溶けてしまった。だがすぐに次々と降りかかる。これは――雪だ。


(雪……心地好い……冷たくて、優しい)


 降り積もる雪が身体に吸い込まれてゆく。そのたびに身体は軽くなってゆき、立ち上がる力が漲ってくる。意識がはっきりとする。


「ああ……」


 流れるように記憶の波が押し寄せてくる。自分は誰で、どうしてここにいるのか、ここに来る前はどうしていたのか。

 しんしんと降り注いでいた雪がもはや吹雪となった頃、地響きと共に巨大な影が飛び降りてきた。少年は青碧色の瞳でそれを見上げ、笑いかけた。


《到着が遅れ、申し訳ござらぬ。紫遠様》

「いや……なんだか生まれ変わった気分でさ……心地好いんだ。――氷閹」


 誇張ではなく、本当にそうかもしれない。これまでの自分は死んだも同然だった。

 少年――梨椎紫遠は背後で後ずさる気配を感じ、振り向いた。さきほどの処刑人が逃げ出そうとしていたのだ。


「いいよ、逃がしてやろう。だってきみは、ただ命じられて僕を殺そうとしただけだもんね」


 ――さぁて

 力を取り戻して、どうする? そんなものは決まっている。


「僕の大切な……ううん、愛する人を助けにいかなくちゃ」

《お供しよう》


 ピュゥ、とどこかで笛の音が鳴る。待機していたと思われるこの国の軍隊たちがなだれ込むように処刑会場へと押し寄せる。まだ事態は把握できないが、斬り捨てるべき虫ケラたちであることは理解した。


「まっ、待ちなさい……待ってくれ!」


 処刑台から降りようとした時、足首を掴まれた。大きくて毛深い手であったため、紫遠は無意識に眉間に深いシワを寄せた。手の持ち主を見下ろすと、処刑台の上へ向けて必死に背伸びをしている中年の男性がいた。処刑人でも剣闘士でも、アストラ兵でもない。身なりだけがやたらめったら豪華に感じた。


(観客か……?)


 紫遠は片足を振り、虫でも払うように男性の手を払い退ける。だが男性は嬉しげに笑い、顔を紅潮させる。


「やっとキミの瞳を見ることができた! やっと声を聞くことができた! 私は感無量だよ! さぁ、怖がらずに私のもとへ戻っておいで」

「……なんだって?」

「忘れているのは無理もない。キミは私が大切に扱っていたコレクションだからね!!」


 野太い声が耳障りだ。軽蔑するような見下した紫遠の眼に、男性は更なる興奮を見せた。処刑台へとあがり、小麦色の両腕を広げ、鼻息荒く接近する。


「目覚めたキミはなんて美しいんだ……。神話に登場する女神そのものではないか! 髪はまさにルビーの輝き。瞳はサファイアだ。声は澄み渡った水のよう。陶器の如くその肌は冷たいのか温かいのか、どうか、どうかしなやかな指先で私に触れてくれ……!!」

「――私の弟に触れるなっ、変態エロおやじ!!」


 紫遠の右手があがるより早く、少女の細くて白い足が強烈な一撃を男性の顔面に叩きこんだ。男性はのけ反り、そのまま仰向けに倒れて処刑台から落ちる。頭から落ちたため意識を失ったようだ。だが紫遠に男性の行く末など眼中にない。思わず緩む口元で「ハハッ」と声を漏らした。滲んだ笑い声だ。

 その感情は心の奥深くに封印していたはずだった。決して開けてはならないと、自分を律して。これまで幸せだった記憶だけを胸に死んでゆくのだ。未来のことは、望んではいけないと。だが封印は解かれた。解いたのは自分ではない。無鉄砲で、粗暴な性格のあの子がこじ開けにきたのだ。


「まったく……いつでも無茶苦茶じゃない……僕の姉さんは」


 頭上から落下するように処刑台へと現れたのは赤髪の女の子だった。紫遠と同じだ。顔も似ている。紫遠は手を伸ばす。女の子の存在を確かなものだと、絶対のものだと確認するように――優しく、強く、抱き寄せた。

 温もりを感る。存在を感じる。魂を感じる。――歯を噛み締めて涙を落とした。止められるものではなかった。

 あの日、あの時、もう二度と会えないと覚悟をして別れた。覚悟したはずなのにたまらなく辛くて、辛くて、胸が張り裂けそうなほど痛くて、死んだほうがマシだと思った。どれほど彼女のことを愛していたのかと、いなくなって初めて知った。

 少年の嗚咽は、少女の大きな泣き声が掻き消していた。


「紫遠、紫遠、紫遠、しおん、うわぁぁあんん……しおん――!!」

「うん、うん、うん……いるよ、僕は、ここに」


 涙が熱かった。煮えたぎるようだ。


「探したよ。いっぱい、いっぱい……死んでるんじゃないかって、いつもいつも不安でっ」

「ありがとう……ごめんね、ありがとう……」


 たくさん伝えたい言葉はあるのに、何も出てこない。胸いっぱいに膨れあがったものが破裂しないように、強く強く抱きしめる。

 自分はここにいる。生きることを、少女の弟に戻ることを、赦された。



「感動の再会はよくわかるが、はよう逃げよ。アストラ軍の本体がおぬしらを捕まえにくるぞ」


 新たな声が聞こえた。紫遠は視線だけを滑らせて声の主を見た。そこには、気配なく処刑台に足をつける青年がいた。青髪に、額と両耳に輝く金色(こんじき)の十字架。すらりと背が高く、美形。この状況においてひどく落ち着いており、逃げ惑う他の人間たちとは違う明らかな異質さを感じとった。


「誰……」

「自己紹介をしている余裕はない。ほれ、行くぞ――シオン」

「どうして僕の名前を」


 敵ではないようだった。質問をしても、今は答えてくれそうにない。少女は涙で濡れた目をにっこりと細めて、背中に背負っていたあるものを紫遠に手渡した。それは白銀に輝く剣だった。


「……武器は要らないよ。専用のはすでにあるし」

「違う違う。これ、あの古びた剣だから!」

「こんなに綺麗だったっけ」

「ビックリでしょ! 積もり積もったネタはたくさんあるのよ! あとでたくさん話そう!!」


 差し出された手。その指一本一本を確かめるように絡め合わせ、紫遠は頷く。

 二人は青年のあとを追うように処刑台から飛び降りる。そのとき、紫遠は倒れている男性の脇にキラリと輝く鉄製のキーホルダーのようなものを見つけて拾いあげ、ポケットに仕舞った。


「行こうか、姉さん。一緒に」

「うん!!」


 もう独りにはさせない。愛する人とともに生きていく。

 死んでも構わないと諦めていた過去の自分に置き去りにし、紫遠は前を向くことを決めた。

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