05.灼熱の王国アストラ
肌が焼け付くように熱く、乾燥のためかピリピリとして痛い。平均温度が四十度を越える灼熱の熱帯地域を馬に乗って移動する。眼前が熱のため揺らいで見える。
「大丈夫か?」
すぐ後ろから心配をする声がかかる。レイと同じ馬に跨がり、レイに背を預けるようにして揺られていた世槞はコクンと頷く。
「問題ないです。むしろ、こんな大地に紫遠がいるなら早く助けてあげなくちゃって……それだけで頭いっぱいです」
「この心意気は結構だが、きちんとケアをしてやらんと肌がボロボロになるぞ」
レイは黒い布を世槞の頭に被せ、水の入った小瓶を差し出した。
「これは?」
「オメロがアストラ王国で仕入れてきた化粧水ぞ。保湿成分が高く、乾燥地帯でも潤いが保てるよう開発されたものだ」
「えっ……なんでオメロさんがそんなもの……」
「我が頼んだからな」
「ん?!」
「取り返しのつかない肌になってしもうたらどうする」
「どうもしないですけど……」
「それでは困る。おぬしも女であることを自覚せよ」
しぶって小瓶を受けとらない世槞を見かねて、レイは自らの手に化粧水を出し、無理矢理に世槞の肌に塗りこんだ。呻き声をあげる世槞を見て周囲の騎士たちから笑いが漏れた。
艦は港町カレントではなく上陸できそうな地形のところにとまった。レイいわく考えがあってのことらしい。そこから二十余名の騎士と馬、そして十メートル四方の大きな荷物と共に上陸を果たした。荷物は四角いなにかを分厚い布で覆っており、レイに訊ねても「気にするな」としか返ってこない。事情を知っていそうなスピーロトゥスの首元を捕まえてみても、「答えられない」の一点張りだった。レイが世槞と同じ馬に乗っているのは、荷物の中身を見せないための見張りに近かった。
(なんだろう。紫遠救出作戦なのに、私だけ仲間外れにされてるみたい……)
世槞はありがたいと感じつつも、奇妙な違和感を覚えざるを得なかった。
馬に乗って半日後、王都入りとなる。国内は歓迎ムードであり、花火や花びらが空を舞い、賑やかな雰囲気だ。道行く人も互いに笑いあい、酒を飲み交わす。だが一歩裏道へ入れば道端で寝ている人や物乞いをする子供たちで溢れている。貧富の差がすぐに目についてしまい、世槞は顔をしかめた。
(ユモラルードとは大違い……)
多少の貧富の差はあれど、ここまでではなかった。金持ちはとことん金持ち、貧乏人は奈落の底まで貧乏だった。
「気づいたか、セル」
馬から降り、並んで歩いていたレイが小声で言う。
「気づきますよ……そりゃ。嫌でも」
尚且つ、アストラ王国にヒェルカナ党の印が付けられていたことが気になる。
「気を引き締めよ。ここはもう――敵の領地ぞ」
世槞は唾を飲み込み、遥か遠くにそびえ立つ黄金の王宮を見据えた。
王宮の前まで行くとアストラ国王の大臣が慌てたように出迎えにくる。
「こ、ここここれはレイ総司令官様! わざわざ当国までご足労願い、深く感謝いたします。なんでも、“公開処刑”を見に来られたとか……」
その単語を聞き、世槞は驚いたようにレイの顔を見上げた。レイは涼しい顔で頷き、大臣と明日の段取りについて話を始めた。世槞は絶対に脱いではならないと言い付けられた黒い布で顔を隠し、心穏やかでないまま待っていた。
(公開処刑を見に来たの……?)
《そういう建前、ではありませんか?》
(そ、そうよね! きっと公開処刑で王族や国民たちがコロッセウムに集まっている隙をついて紫遠を助け出すんだわ!)
では、肝心の紫遠はどこにいるのか。
本当は不安なのである。どこに行っても会えなかった紫遠に、この国で会えるのかどうか。人違いだったらどうしよう、死んでいたらどうしよう。会えない期間があまりに長く、会いたいはずなのに会えないのではないかと――希望を抱いてはいけない、と歯止めをかけている自分がいる。
もう一生紫遠に会えないのではないか――とすら考えが過ぎることがある。アストラ王国が近くなればなるほど不安に駆られた。夜はしばらく泣いてしまった。
「はぁ……」
砂に覆われた国を見下ろし、近くにいるかもしれない弟を想い、世槞は溜め息を繰り返した。
《世槞様。レイ様がいませんよ》
「ええ?!」
先程まで大臣と話していたレイの姿が消えてしまっていた。大臣もいない。世槞はキョロキョロと王宮を見渡し、門番の騎士に訊ねてみた。
「グランドティア総司令官ですか? それならば玉座の間へ向かわれましたが……」
「ありがとうございます!」
「あ、お待ちを。あなたの顔をどこかで……」
世槞はビクリとした。
「私と似た顔の人を見たんですか?」
「ええ。でも、死体でしたが。ご気分を害されましたら申し訳ございません」
世槞はスッと息を飲み込む。
「死体……? どこで、見たんですか……」
「ここですよ。商人同士で売買契約を結んでおりました。その商品が、あなたにとてもよく似た少年の死体でしたね」
「……そう、ですか……。いつのことですか?」
「もう十日以上前ですね」
世槞はレイの後を追うことを止め、王宮を出る。夕刻のため空は薄いオレンジ色に染まっている。
心臓は静かだ。呼吸も乱れない。――どこかでその覚悟をしていたから。だが力は入らない。背負っていた白銀の剣をギュッと握りしめ、ゆっくりと来た道を戻った。
《世槞様。信じるのですか?》
「わからない。もう、わからないかな……」
紫遠が生きている根拠をいくら熱弁されても、実際に死体を見たと言われてしまっては前者の効力は脆くも薄くなる。
「レイ様は実際に生きている紫遠を見たわけじゃない……。門番の人は、スピーロトゥスは……見たって言ってる。その人たちが、死体だって……呼吸してないって……」
世槞は剣を抱いたまま、その場でうずくまった。
《一度くらい、レイ様を信じてみたらどうですか》
「……なにそれ、まるで私がレイ様を信じていないような口ぶりだわね」
《信じておられないでしょう。シーサイドの館で、ロキと出会ってから一度も》
「そうかな。自覚無いや……」
《お気づきですよ、あの方は。レイ様はあなたを信じてくださっていますのに》
世槞は両膝の間に顔をうずめ、薄く長い息を吐く。
「信じたいよ……信じてるつもりだよ。でも紫遠がいなくちゃ……ダメなんだ。紫遠が……いつも、護ってくれてたから……私は安心して馬鹿な真似ができたんだ……。今は、なにをするにも安心して全力でやれない。こんな私は飽きれられて当然だろ。私も自分に嫌気がさしてる。ああ……会いたいよ……私の大好きな弟」
ふと独りになると、それまで堪えていた不安がとても大きくなる。叫びたくなる。泣きたくなる。本当に、本当に弟がもうこの世にいないのなら、生きていてもしょうがないと――考えている自分すらいた。
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