【☆】02.傍にいてくれ

 レイスガーナ軍を密かに追いかけ、たどり着いた先は寂れた砦跡だ。世槞が見てもわかるほど、今の時代とは造りが違った。だがそこはやはり砦であり、長年放置されていても頑丈さは群を抜いていた。砦門ではすでにヒェルカナ党員とレイスガーナ軍との攻防が始まっていた。世槞は砦の裏へ周り、小さく空いた小窓を見つけ、ジャンプしてそこに片手をかけた。人間一人が通れる大きさではなかったため、世槞は付近のレンガをポイポイと取り除き、地面に投げ捨てた。

 幸い中にヒェルカナ党員はいなかった。砦門で攻防戦が開始されているから、全員がそこへ集中しているのだろう。


「私の握力と腕力ってすごい」


 侵入に成功をし、世槞は両手の砂埃をぱんぱんと払いながら自身を褒めたたえた。


《シャドウ・コンダクターならそれくらいの力は誰でも備えております》


 ケルベロスの姿から世槞の影へと姿を戻した羅洛緋が冷静に反論をする。


「わぁーてるよ! その上で言ってんだよぉぉ理解しろ!」

《世槞様の発言は時に本気なのか冗談なのかわかりにくくなりますから、常に訂正しておかないと》

「あ、そう……ご苦労様」


 世槞は気を取り直し、侵入した部屋を見回す。印象としては、“当時のまま”といった感じだ。砦として現役だったころに打ち棄てられ、何年も経ち、ヒェルカナ党が根城として入ってきたものの、この部屋はまだ手付かずの状態だったと予測できる。中央に木の机があり、羽ペンと黄ばんだ紙が散乱している。開きっぱなしの引き出しの中には何も入っていない。赤い絨毯は黒ずみ、血溜まりに見える。飾られている国旗に見覚えはない。壁に掛けられた世界地図も、首を傾げてしまうような形をしていた。


「デルア学園の図書館で勉強した世界地図とは違う……ような」

《でも粗方は合っていますよ》

「うん。えっと……この中央の大陸がユモラルードのあったリッド大陸、東がグランドティアのあるバラトス大陸、そして西がここラジェッタ大陸。北はエル王国、南はアストラ……。大陸は大きく分けて5つある。んー……細々とした島は省かれてるなぁ……でも、もう少し大きめの島があったような……」

《北東にファウナスクレア神聖国のある島、南西に古代ルーナ王国跡のある島、ですね》


 即答する影を見下ろし、世槞は「ほほう」と高い声をあげた。


「よくご存知ね~」

《……はい。私はその時代に、生まれましたから》

「ルーナ王国……ね。ふん。最近、やけによく聞く名前だわ。そこは今はどうなってるの?」

《何もないはずです。かつての栄華は、微塵にも》

「ふーん?」


 影の声は淋しそうだった。


「あ、見て羅洛緋。地図の中に、赤い印がいくつもある」


 その印はただの印ではなく、トランプのスペードとダイヤが重なったような変なマークとなっていた。


《これは……ヒェルカナ党の印ではありませんか? ほら、あそこに》


 羅洛緋が小窓から外を覗くよう言う。石壁に沿うようにして旗が吊り下げられており、世槞は手を伸ばして旗を広げ、「あっ」と声を出す。その模様は、スペードとダイヤが重なったような――。


「ほ、本当だわ! 赤い印は簡略化されてるけど、間違いなくヒェルカナ党のマーク。ってことは、この地図上の印は……」

《ヒェルカナ党の領地、みたいなものでしょうね》


 世槞は落ち着かない様子で情報を整理する。


「だとしたら……エル王国とアストラ王国にもその赤い印があるけど、どういうこと?」


 地図を指の腹でなぞる。


「両国が我々を裏切ったか、または最初からヒェルカナ党に加担していたか――であろうな」


 自分以外、いるはずのない声を聞き、世槞は影の中から取り出した紅蓮剣を振り返りざまに素早く振り払った。だが即座に叩き落とされ、痺れた腕を掴まれ、腰に手を回され、自由を奪われた。揺れる視界で真っ先に捉えたのは黄金に輝く二つの十字架だ。


「やはりここにおったか、手のかかる娘よ。――もう二度とこの手を離さんぞ」


 宣言通り、握りしめられた右手がなかなか解放されない。世槞は声の主の顔を見上げ、ぱくぱくと唇を動かす。


「この我に刃を向けるのは、これで二回目となるな」

「わ、わ、わ……マジか……マジか!!」

「なんぞ、その言葉は」


 服装こそ違えど、滲み出る威圧感と古めかしい喋り方は、間違いがない。


「レイ様! どうしてここに!!」


 この人と出会うはずのない時、そして場所。世槞は頭の中に流れ込む更なる情報を整理することでいっぱいいっぱいだ。レイはそんな世槞を見下ろして鼻で笑った。


「愚問ぞ。探しにきたに決まっておるであろう――おぬしをな」


 当たり前のことを聞くでない。レイはそう追加した。世槞は顔を伏せ、しばらく黙っていた。


「……あの夜、おぬしが獣の群れの中へ飛び出していったあと――我はすぐにでも助けに降りたかった。だが残った多くの国民の命をこの身に背負っていたのでな、個人的な感情はどうしても捨てねばならんかった」

「……当然です」

「シーサイドへ民を送り届け、すぐに来た道を戻った。獣たちの死骸も、おぬしの姿も見つけられなかった。あったのは、あれだけ我が守ると豪語しておきながら守りきれなかった国の残骸のみだった」

「…………」

「我は国も、たった一人の少女すらも助けられなかった。こんなに歯痒く、辛い思いは初めて味わわせられたわ」

「すみません……」

「――ゆえに」


 もう何度目なのかわからない。その細身でありながら強い肉体に世槞は抱き寄せられた。


「もうどこへも独りでは行かせぬ。我の傍にいろ。いや、いてくれ」


 呼吸が苦しかった。胸を圧迫されていたせいもあるだろうが、感情が大きく揺らいだことが一番の要因だ。


「どうしてですか……」

「なにが?」

「どうして、そんなに、私なんかのことを助けてくださるんですか?」

「私なんか?」

「だって、得体のしれないクソガキですよ、私は。どこから来たのか、何故傷の治りが早いのか、何故強盗を殺したのか、何故エディフェメスを所持しているのか、何故ヒェルカナ党に目をつけられているのか、何故ケルベロスを従えているのか、何故……」

「そうだな、わからんな、おぬしのことは何も。だが常にSOSを出していたであろう?」

「――?? 私が、ですか?」

「左様。上手く隠しているつもりなのだろうし、自分でも気づいておらんのだろうが、あの日、あの時――空中庭園でおぬしと初めて目が合おうたときから助けを求める声が聞こえたぞ」

「え、ええー……自覚ない……ショック」

「なにがショックぞ。助けは求めろ。我なら手を差しのべられる」


 圧倒的な自信と、それに見合う実力と権力を有している。こんなに頼もしい人が今、得体のしれない小娘を探して世界を渡り歩いてきた。その事実だけで世槞は足が奮え、頭を下げたくなった。


「大変申し訳ございません~!! でも、ホンット大丈夫なんで国に帰ってください!! グランドティアにはレイ様が必要でしょー!」

「もちろん帰る。だがその時はセルとその弟も連れ帰るわ」

「……え?」


 レイの顔を見上げた。そのとき目と目の距離が近くなり、心臓が大きく跳ねた。世槞は反射的にレイの胸に顔を押しつけた。


「実はな、弟――シオンだったか。その者の居場所がわかったのだ」

「……ほんとですか」

「嘘でもないし、不確定の情報でもない。確実だ」

「…………」

「だが助け出すためには些か不便が生じる。セルにとって堪えがたいことが眼前で起きるかもしれぬ。それでも良いなら――」

「良いです!!」


 世槞はレイの腕を掴み返し、力強く同意を示す。


「私は紫遠を助けるためだけにこれまで頑張ってきたんです! 生きてきたんです! どんな事が起きても、無事に紫遠を取り戻せるなら――助力を惜しみません!!」


 生気を取り戻し、生き生きとし始めた世槞の顔をしばらく見下ろし、レイは頷いた。


「では行くぞ。こんなところで道草を食っている余裕はない」

「はい!」


 レイの腕から解放された世槞はしかし、右手だけはしっかりと掴まれている事実に有言実行の効力を身に染みて理解した。大人に連れられた子供のように世槞はレイの後ろを必死について歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る