第四章 闇炎と氷と星と
01.強国レイスガーナ
ユモラルード国王領であるリッド大陸から西へ向かうと、ラジェッタ大陸がある。レイスガーナ王国領であり、その王都はあえて山岳地帯に構えられている。これは敵に攻め込まれにくいよう、計算されたがゆえだ。国の領土も国民の数もユモラルードとは比べものにならないほど多く、なによりも目を引くのは科学が発達しているという点。城下町の至るところに工場があり、煙突からはもくもくと灰色の煙りを吐き出している。ユモラルードでは見かけなかった電気や時計、ガス、水道などの設備が整えられている。路を簡素なつくりの“自動車”が走っていることすら驚きであった。
「ふわああ……。地球文明でいうと一八○○年代くらい……? ユモラルードとの文明の開きが三○○年くらいあるんじゃない?」
《一概に比較はできませんよ。ユモラルードは代わりに学問が発達していました。その英知が灰となったのは、世界全体にとって大きな損失でしょう》
「あ……心臓が痛い。ピンポイントで攻撃しないで」
灰色の町並みの中で、少女は一人小芝居をうっていた。胸のあたりを両手でおさえ、倒れる振りをするというものだ。近くを歩く住人たちが怪訝な顔つきで道を空けたため、少女は咳ばらいをして誤魔化した。
《世槞様、元気を取り戻されたようでなによりです》
「取り戻したもなにも、ちょっと落ち込んでただけじゃん! 大袈裟にいわないでよ」
今から七日前ほどに遡る。ユモラルード王国がヒェルカナ党の罠により陥落した直後、避難をする国民たちを乗せた馬車が大型肉食古生物たちの餌食となっていた。その古生物とはリッド大陸に棲息するサーベルタイガーの一種で、スミロドンとマカイロドゥスである。大きな犬歯と太い足で大地を駆け、獲物を確実に仕留める。世槞は獣たちの注意を国民から逸らすべく、独り馬車から飛び降りた。
《あんな別れ方をしてしまっては、世槞様はすでに死んだものと思われていても致し方ないですよ》
「それでいーよ。私と一緒にいたら、またヒェルカナ党が危害を加えに来るかもしれないし。私は独りでいいのっ」
《結局獣たちも殺せず、おめおめと逃げおおせたあなたは遥か彼方の国に身を寄せていると……》
「言い方な。殺せず……ってのは語弊があるぞ! 影獣でもないあの子たちを殺すのは無理だったんだ! 私、優しいから」
《それを優しさというのは些か疑問が残りますね。何故なら、馬車から降りたあなたは一目散にユモラルードへ駆け戻り、残っていた影人たちを獣に喰わせたでしょう》
「たらふく喰えて満足そうだったよ?」
《そして絶えず繁殖を繰り返し、個体数だけ増え、餌は減り、結局飢餓で苦しんで死んでゆくのですよ、彼らは》
いつも考えなしの世槞は、目の前だけしか見ていない。今だけの行動がどんな結果を導くのか考えない。世槞は顔をおさえ、はじめて「しまった」と言った。
「しゃーない、私もレイ様を見習って鬼畜外道と化し、監獄島から餌を仕入れ……」
《馬鹿なことばかり言ってないで、レイスガーナへ来た目的を遂行しなさい》
「間違いないっす」
デルア学園で地理と世界情勢を勉強した世槞がレイスガーナへ来たことには理由がある。
「羅洛緋~知ってる? ここもグランドティアと同じく軍事国家なんだけど、国の実権を握ってるのもグランドティアと同じく総司令官様らしいよ」
《更に、お名前がシュウ=ブルーリバース様だとか》
「兄の愁と同じ名前なんだよねー。それでなんか気になっちゃって。会ってみたいんだ。これで愁と似てたら笑う」
《そんなくだらない理由だけではないでしょう?》
「勿論! 最近ヒェルカナ党が勢力を広げつつあって、レイスガーナ王国領にも侵入してきてるんだって。昔の砦跡に居を構えちゃったりして。それの掃討作戦が明日シュウ様の名の下に行われるらしいの。私は作戦に紛れてヒェルカナ党員と接触を謀り、紫遠の居場所を聞き出す算段なのです」
《上手くいくでしょうか。またシーサイドの時のように騙されるのでは》
「ハハッ、その時は騙した野郎者ども血祭りじゃ!」
《……あなた本当に大丈夫ですか……》
このとき世槞は半ば自暴自棄となっていた。老子に裏切られ、ロキに騙され、国を燃やされ、手を指し述べてくれたレイとルゥから逃げ、エディフェメス・アルマを失った。笑って冗談を吐くことができる今が奇跡に近く、弟がまだ生きてるかもしれないという希望が無ければすでに我を失っていたかもしれない。
世槞は更なる情報収集のため、夜の酒場へと向かう。ユモラルード陥落の夜から休みなく動いているのは、そうしていないと落ち着かないからだ。
現代日本において未成年である世槞は居酒屋といった場所へ行ったことがない。だが国や時代の差はあれど、酒を飲んだ者は妙に饒舌になることは共通の認識として持っていた。
「おじさん! この店で一番高いお酒あげるから、私の質問に答えてちょうだい!」
レイスガーナには酒場がいくつかあった。力仕事が盛んな国柄のため、仕事終わりの酒が美味いと感じる者が多い。そのため酒場はとても繁盛しており、どの店を覗いても騒がしく、喧嘩すら始まっているところもあった。世槞はいくつかの酒場を吟味し、比較的落ち着いて酒を楽しんでいる客が多数を占める店を選んで入った。その中の一人に狙いをつけ、高級な酒をジョッキで注文して客の前に突き出した。
「……気前が良いのか、何か企みでもあるのか……知らんがあんたのようなお嬢ちゃんが来るところじゃないよ」
仄かに赤くなった顔をあげ、四十代前半くらいの男性は片手をひらひらと振った。「帰れ」のジェスチャーだ。だが世槞は引かない。
「おじさんは傭兵?」
「おう、よくわかったな。この国に高給で雇われているよ」
「出身は?」
「アストラ王国っつってな……ずうっと南にある大陸の砂漠の国だ」
「どうしてレイスガーナの傭兵に志願したの?」
「高給ってのもあるが、レイスガーナ軍総司令官のシュウ様に憧れたってのが大きいなあ」
「そんなにすごい人なの?」
男性は大きく頷く。
「強い。とてつもなく強いんだよ。腕っぷしは当然、頭も切れる。レイスガーナが分裂していた頃に単独で統一を成し遂げた猛将だ」
「ふーん……。レイ様よりも強い?」
「互角って噂だな。だからグランドティアとレイスガーナは良きライバル関係なんだぜ」
「でもおじさんはシュウ様が良いんだね」
「まーな。レイってやつも凄いんだろうが、なんせ若すぎるのと、綺麗すぎるのがちょっとな……癪に障るっつうか」
「なんだ。ただの嫉妬か」
「オーイ言ってくれるなぁ!」
「真実を言っただけなんだけど」
「……。違いねぇ。……おかわり」
世槞は空になったジョッキを下げ、新しく注がれた酒を出した。
「で? 傭兵のおじさんは普段どんなお仕事をしてるの? 敵と戦うんでしょ?」
「なんてことはねぇよぅ、城の守りだ。って言っても、強国レイスガーナを恐れて誰も襲ってきやしねぇ。ただ一日中ぼーっと突っ立って、それでメシが食えるなんて、良い国じゃぁねぇか」
「城の守りは衛兵の役目でしょ? どうしておじさんが」
男性は赤ら顔を世槞に近付け、「ここだけの話しだけどよ」と耳打ちをした。
これを待っていた。
「シュウ総司令官様が二、三年ほど前から行方不明らしい。だから城のお偉いさんたちは、その穴を埋める為に必死なのよ。今回のヒェルカナ党員掃討作戦だって、国民に総司令官不在を悟らせない為の苦肉の策らしいぜぇ」
「ふぅん。シュウ様が行方不明……ね」
「少し前、ユモラルードがいとも簡単に陥落したって話じゃねぇか。総司令官不在の緊張は、高まるばかりだ」
一面が火の海となった王国の末路は、まだ記憶に新しい。世槞は笑顔を引きつらせる。
「でも、総司令官がいないなら、誰かが代わりをすれば良いだけじゃないの?」
「バッカかぁ! シュウ様の類い希なる戦の才を知らねぇな? 戦の鬼だぜ。どんな劣戦でも、最後には必ず勝つ。あのグランドティアだってレイスガーナに、いや、シュウ様に一目置いてるくらいだ。シュウ様の代わりは、この世に生きる誰にも務まらねぇのよ」
男性は金で雇われた身でありながら、シュウに対して忠誠心はあるようだった。
「そんなに凄い方なのね……」
「ま、レイ=シャインシェザーになら務まるかもしれねぇがな、がっはっは」
世槞はそのまま眠ってしまった男性の傍を離れ、酒場から出た。夜空を見上げ、ふぅと息を吐く。
「この国もなかなか大変そうだわ」
明朝、仕入れた情報通りにヒェルカナ党員の掃討作戦が開始された。騎士長を始めとし、二十余名ほどの兵が軍馬にまたがり、国門が開くと同時にけたたましい蹄音を立てて山を駆け降りていった。
「随分と派手な出陣ですこと」
国門に一番近い宿屋の窓から、世槞はその光景を見下ろしていた。騎士長の大袈裟な掛け声が芝居がかって見えて、とても滑稽に思えたのだ。
「シュウ様は先に発たれたから、我々も急ぎ後を追う――だって。シュウ様不在を隠すの必死だな。なんか痛々しい」
《シュウ様不在が世界へ知れ渡れば、この機を逃さずとして敵国が攻めてきましょう。彼らも道化を演じざるを得ないのですよ……あなたのように》
世槞は木床にうつり込む自身の影へ視線を落とし、ふっ、と笑った。
「さ、私たちも行こーぜ」
レイスガーナは国門から出るのに審査は無く、自由に出て行くことができる。ただ入国が厳しいだけだ。世槞は焼け落ちたユモラルードから命からがら逃げてきたという設定でなんとか入国を見逃してもらった経緯がある。
国門を出て岩肌の山道を見下ろすと、黒い鎧を着用した勇猛果敢な騎士たちが蹄音けたたましく走り降りている。
「……まぁ、こんな険しい山道を車で降りることはできないよな」
機械が発達しているレイスガーナだが、戦に赴くときは専ら馬と刃を利用している。鉄砲くらいありそうなものだが、それを使用していないところを見るとなにか考えがありそうだった。
世槞は木の陰に隠れ、羅洛緋を召喚してそれに飛び乗った。
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