【☆】09.壊れてゆく

 世槞は横たわる黒い怪物に手を合わせ、羅洛緋を呼び寄せて天文台から降りた。外へ出た瞬間を狙っていたように、世槞の喉を狙う人影があった。世槞が構え、羅洛緋が炎を吐き出すよりも早く、青白い閃光がうごめく物体を真っ二つに斬り裂いていた。地面に落ち、尚も肉を求めて這いまわる頭をブーツで踏み潰し、レイは言う。


「油断するでない。死ぬぞ」

「は、はい。ありがとうございます……」


 油断をしていたつもりはなかった。世槞や羅洛緋がくだす判断よりも何倍も早くにレイが動いただけだ。シャドウ・コンダクターではないのに、彼はただ者ではない。世槞は緊張と、圧倒的な安心感を抱きながら町を駆けた。


「しかし、天文台にいたあれがガレシアの成れの果てとは、恐ろしいものぞの」

「よくわかりましたね。もう原型なんて、とどめてないのに」

「予知していたからな。あやつがヒトからかけ離れてゆく様を。だから衛兵たちに命じて地下牢へ幽閉させた」

「ガレシア先生を逮捕したの、レイ様の指示だったんですか……!」

「左様。やつは我々が保護したおぬしの安否、行方を妙に気にしておった。デルア学園に秘密裏に編入させたことも併せて、セルについてなにか良からぬことを企んでおると睨んでいたが、その通りであったな」

「もしかして、レイ様がやたらガレシア先生に会っていたり、私のこと気にしてくれたり、デルア学園の敷地内まで来ていたのは……」

「やつを牽制するためだ。何を企んでおるかまではわからんかったからな。とにかく、貴様は監視されておるぞ――と暗にほのめかす必要があった」

「ヒエッ……怖い人だわ」

「ディーズが国外で倒れているおぬしを発見しなければ、我がセルを助けることもなかったろうし、ガレシアがこのような愚行にでることもなかったろうな。よって全てディーズの責任にしておけばよい」

「……は……ははっ……ありがとうございますディーズさん……レイ様はやっぱり鬼畜外道です……」

「なんだと? おぬし、やつに何を吹き込まれた」

「あー……レイ様は、自国の国民たちを守るために獰猛肉食獣メガンテレオンに罪人を喰わせてるって……」


 世槞はディーズに聞かされた話を思い出しては顔を青くし、レイとの距離を大きく空けて走る。


「あやつめ……余計なことを……。セル、聞け。いや、聞いてくれ」

「大丈夫です。わかってますよ、国の安寧のためですよね。理解しております」

「そう思うならこっちを向いて話さんか」

「あ! あそこにデルア学園の生徒が! ルゥかな?!」

「全くおぬしは、誤魔化すために小癪な真似を……」


 しかし世槞が指差す方向には確かにデルア学園の制服を着た女生徒がいた。王宮への門の近くだ。世槞は落ちた吊橋をジャンプの一越えで飛び移り、柱の陰に隠れている生徒へ声をかけた。


「デルア学園の子でしょ?! それともルゥ? どっちでもいいけど、助けにきたよ!」


 明るく声をかけ、手をのばした。


「動けないの……足が、震えて……」


 その顔を見ると、なんとなく見覚えがあった。学園には短期間しか滞在していないが、その間に覚えた生徒の顔は数多い。やっと一人、命を救うことができた。世槞は満足げに笑い、女生徒を背負う。


「ごめんね……重くない? 最近私、太っちゃって」

「大丈夫大丈夫。見かけによらず力持ちだから、私」

「ふふ、ありがとう。あなたは、最近編入した子よね。赤い髪が珍しいから、よく覚えてる。わざわざ助けにきてくれてありがとう」

「助けるのは当然だから。いいんだ。それより驚かないでね? なんと、女性たちのアイドル、グランドティア軍総司令官のレイ様も駆けつけてくださってるんだよ!」


 女生徒は、門からこちらへ向かって歩いてくる人影を見て黄色い悲鳴をあげた。おそらくこの女生徒もユモラルードとグランドティアの友好条約締結を祝した式典に参加した一人なのだろう。目的はもちろん、異国で評判の美形総司令官だ。こんな状況ではあるが憧れの人を間近にし、女生徒は感動の涙を流していた。

 女生徒を背負う世槞の傍まで寄り、レイは言う。


「……セル、おぬし、やはり……まだ、心が壊れておるままなのか」

「ん? どういうことですか? 早くこの子を外まで連れていってあげてください。私は引き続きルゥを――」


 レイは女生徒を見ない。悲しげな表情で首を何度も振り、世槞の腕を引く。そして強く抱き寄せた。


「えっ? レイさまっ?」

「セル、おぬしが助けた女生徒は、一体どこにおるという……!」

「えっ? えっ? 私が背負ってますけど――」


 そのとき世槞は見た。きらびやかに輝く黄金の柱に映る、レイに抱きしめられている自分、その背中にある黒い塊――……


「ひぃい?!」


 世槞は全身をビクつかせ、前のめりに倒れるが、レイがしっかりと抱き留めていた。反動で石の床に落ち、バラバラと崩れたのは炭化した人の骨だった。下半身が無かった。


「あれ……あれ……なんで……私、今、確かに話してたんですよ。この女の子と……」

「セル。もう、よい。あとは我がやる。我が全てやる。だから、おぬしは馬車でゆっくりと休め」

「ダメですよ。ルゥは私が助けなくちゃ。友達なんです。この世界へ来て、初めてできたんです」

「――休め。これは、命令ぞ」


 レイは世槞の身体をすくいあげ、傍らに寄り添っていた羅洛緋に託す。羅洛緋は緋色の瞳でレイを見つめ、頷いた。



 紅蓮の炎は一夜にして全てを飲み込んだ。その国の歴史も、文化も、命も、飲み込こめるだけ飲み込んだ。前触れが無かったわけではない。むしろとても大きな警告をしてくれていた。なのに私たちは気づかず、むしろ見ないフリをして、この参事を受け入れるかたちとなった。

 私が助かったのは奇跡としか言いようがない。助かるつもりもなかったというのが正直なところだ。私は、王宮の地下牢から黒い火柱があがるのを見た。それがガレシア先生そのものだと、私はすぐに理解した。だから王宮へ行った。王宮はすでに大混乱が起きていて、グランドティアの騎士さまたちによる誘導が的確に行われていた。私はそれら全てを無視して空中庭園へ向かった。そこからなら国を一望できる。自分が生まれ、育ち、滅びてゆく場所を眺めることができる。自殺願望があったわけではない。でも自暴自棄になっていたのは本当だ。生涯の恩師に裏切られ、友は出てゆき、憧れの人も消えた。

 私が大好きな人たちは、いつも私から離れてゆく。私が両親を愛していなければ、彼らは今も生きていただろう。私のせいだ。私がこの国を愛したから――

 しかし彼らは戻ってきた。私が愛した人たちは、随分と数が減ったけども、この二人だけで――十分。でも。


「セル? 大丈夫? 私を助けるために危険な中戻ってきてくれたって聞いたよ? ありがとう」


 この声が届いているのかわからない。私が庭園で怪物に襲われそうになっているところをレイ様に助けられ、連れてこられたこの馬車の中にはセルがいた。どこも怪我はなくて笑顔すら向けてくれたのに、まるで負傷兵のように心に大きな傷を抱えていた。


「セル、聞こえるか? 約束通り、ルゥは助けたぞ。少ないが他にも生存者を確保した。馬車はこのままユモラルードを離れる。ここにこれ以上とどまっていては危険なのだ。飢えた獣がやってくるからの」


 レイ様はセルの両手を握りしめ、可能な限り優しく話しかけている。二人の間に何があったのかはわからないけど、とても痛々しく見えた。


「国王を含め、生存者は全て我がグランドティアが受け入れる手筈となっている。なに、心配をするな。未開拓の領土が余っておる。元はといえば、我の失態なのだ、これは。友好条約締結直後になんたる惨状かとな……。責任は取らなくてはならぬ」


 あんなに必死な姿をしたレイ様は初めて見る。セルだけを見つめ、セルだけに心を向けている。


「セルも来い。王宮に住め。そして治療を受けよ。完治するまで、我が全ての面倒を見る」


 セルはレイ様からの語りかけに逐一頷いている。そういう人形みたいだった。レイ様は悲しげな表情で溜め息をつき、私にセルを託して荷台から降りた。

 外でレイ様が何やら指示を出す声が聞こえた。馬車を出せと、先導師たちに命じているのだろう。


「私はね、昔からなんだけど……愛するものが必ず手から離れていくの」


 馬車が走り出し、私は隣りに座る友達に話しかけた。セルは両膝の間に顔をうずめていて、表情がわからない。


「幼なじみは他国へ引っ越して、初恋の人は外で野獣に襲われた。両親は共に商人なんだけど、一攫千金を狙って国を飛び出して以降、帰ってこない。セルは黙って出て行っちゃうし、レイ様も遠く離れて、ガレシア先生は遠い存在となった。そして最後は国が無くなった。あーなによー私の人生ぇ――って思ってたんだ」


 セルが顔をあげた。


「ねぇ、セル。戻ってきてくれてありがとう。私、すっごく嬉しかったのよ」


 セルは笑ってくれたように思う。


「私が愛したせいで国が無くなってしまったんだから、ほんと、皆に申し訳ないなー」

「……違うだろ」

「――え?」


 一段と低くなった声を聞いた。普段、周囲の空気をより良い方向へ持っていくために道化を演じている彼女の――本当の姿が、見えた。


「レイ様もディーズさんもルゥも、皆が私の責任ではないと言ってくれる。事実そうなのかもしれない。でも無理なんだ。私さえユモラルードへ来なければ、今日散っていった命は救えたはずなんだ。一度でもその考えに至ってしまうと、抜け出すのは難しい。私は、失われてしまった全ての命たちへの償いを――しなくてはならないんだよ」

「待って……なにをするの、セル……」


 セルは立ち上がった。ふらつくことなく、しっかりと。おそらくセルにはわかっていたのだ。

 直後に後方を走る馬車から悲鳴が聞こえ、急ぎ幕をめくって外を覗くと、大きな肉食獣たち――およそ五十頭――が駆ける馬車を追いかけていた。馬の速度とスミロドンの速度では、後者のほうが勝る。


「どうすれば私は、赦してもらえるのかな」


 スミロドンの群れを眺め、セルはこちらに笑顔を向けた。別れの合図だった。

 接近する肉食獣。

 馬車からの落下音。

 私の悲鳴。

 レイ様が荷台へ振り返った。

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