【☆】08.思う存分、泣くといい

 青年は遥か遠くからその黒煙を認めた。戦争にしてはその火種が見えず、内乱にしても思い浮かぶ要素が無い。だが事実、国は燃えていた。

 青年が国へ辿り着いたとき、町の大部分が焼け落ちていた。血肉の臭いに引き寄せられて野生の動物たちがヨダレを垂らして接近している。狙われているのは、国門付近に並ぶ馬車の列だった。


「ああっ!! これは……神様……感謝いたします。我が主人に帰還の便りを届けてくださったのですね」


 青年の姿に気がついた騎士の一人が、ほっとした表情でこちらへ駆け寄り、片膝をついた。


「……恐れながら申し上げます。レイ様、ユモラルード王国が何者かの手によって崩壊へと導かれております。我々が気づいた時にはすでに遅く、異形の者と化した国民たちが共に喰いあっている光景がありました。まず国王を優先として避難頂き、次に息のある者全てを馬車に乗せました」

「……。中にまだ生存者はいるのか」

「……わかりかねます。なにぶん火の手が早く、異形と化した国民たちが危険で……我々としても、これが精一杯でした。あと一時間もしないうちにユモラルードを離れ、港町シーサイドへ生存者を搬送する算段です」

「そうか……よくやった。ディーズはどこぞ」


 呼ばれ、青年の側近たる騎士が巨体を揺らしながら報告をあげる。


「大変申し訳ございません!! 私が任されておりましたのに、この失態……。どう挽回をすれば……!」

「謝罪は生存者を無事シーサイドへ届けてからにせい。セルはどこだ? おぬしが見張っていたのだから、あの娘(むすめ)は無事であろう?」


 ディーズはハッとし、顔をあげた。そういえば共に帰国して以来、あのお転婆な娘の姿を見ていない。自分自信困惑していたこともあり、娘の安否にまで頭が回らなかった。ただ単純に、国内にいるわけではないから大丈夫だろうと――まさか中へ飛び込むなど自殺行為も同然のような愚行はしないだろうと――鷹をくくっていたのかもしれない。

 青年はディーズの表情を見て悟った。そして自分でも驚くほど動揺をしていた。


「レイ様! ここは私が……!」

「――よい。我が行く。貴様は生存者でも守っておれ!」


 青年は腰にぶら下がる鞘から青白く輝く剣を引き抜き、地を蹴った。国門は倒壊し、人が通れる隙間は無い。青年は構わず瓦礫を踏み台として直進し、待ち構えていたように飛びかかるヒト型のバケモノ五体の首を――ほぼ同時に胴体から斬り離した。


 *


《世槞様、お見事ですよ》


 羅洛緋は主人の行動を褒めたたえた。拍手喝采すら浴びても十分なくらいだと思った。だが主人は怒っていた。全て自分の責任だと言い、誰も信じられないと叫んだ。

 天文台の最上階には、一つの大きな生物の亡骸があった。真っ黒く膨れ上がったのは皮膚で、原型をとどめないほど大きくなったそれは天文台からこぼれ落ちそうであった。だから殺した。この国の民を殺す権利も無ければ、殺す覚悟も無いと言っていた主人が、国が落ちる原因となった“これ”を――始末した。

 だが、始末して全てが元通りになるわけではない。外では相変わらず元国民が暴れまわっているし、町も燃え続けている。かつて学術国家と呼ばれた緑豊かな美しい都はもう戻らない。


《世槞様、これで感染は防がれました。残すは後始末のみです》


 世槞は赤黒い剣――変貌したガレシアを殺した紅蓮剣フィアンマを強く強く握りしめ、唇を奮わせる。もうとっくに限界は突破している。立っていることすら精一杯で、これ以上何も殺せそうにない。――そのとき、階段を上る足音が聞こえ、一瞬、ルゥではないかと世槞は期待を寄せた。しかしそのルゥすらもロキの手先かもしれない。世槞は期待と疑心が入り乱れた心で足音の持ち主の出現を待つ。その者は――


「ここにおったか、随分と探したぞ」


 久々に見る、青髪の総司令官だった。世槞は身体をビクつかせ、反射的に紅蓮剣を向けていた。ガレシアが言った言葉が鮮やかに蘇る。――あの美しい総司令官は、内に刺を隠している。騙されて近づくと、傷だらけにされますよ。


「……。なんの真似だ」


 レイは世槞と、その背後にいる三頭の怪物、更にその背後の黒い怪物の骸を順に認めた。世槞がこちらへ向けている剣の切っ先は不安定に揺れている。


「セル、久しいの。我が不在の間に余程のことがあったようだ。どれ、話してみろ」

「……もう、騙されません」

「なに?」

「確かに、言われてみれば最初からおかしかった。誰が見ても助かる状態じゃない私を助け、甲斐甲斐しく世話を焼き、もっともな理由で剣を取り上げて、殺人の罪を揉み消し、ヒェルカナ党員の屋敷まで護衛をつけさせた。全て、すべて……あのロキとかいうやつの指示だったんだ! ルゥだってきっと、指示通り私と仲良くしていただけなんだ!!」


 剣を奮わせ、まくし立てるように責める世槞をレイは静かに見守っている。


「そこまでして私を連れていきたいの……? 家を壊して、弟まで殺して……」

「弟は死んだのか?」

「そう言われた。呼吸もしてないって、脈もないって! 私はっ……なんのためにここまで必死に頑張ってきたの……ぜんぶ、ガレシア先生の思惑通りなんて気付かず、レイ様も優しい人なんだって……馬鹿みたいに騙されて……ほんと……馬鹿だ……わたし……誰も助けられなかった……わたしのせいで……死んでしまった……」

「…………」

「やだよぉ……紫遠……私を置いていかないで……紫遠がいない世界でなんて、生きていたくない! 弟を返してよ!!」


 涙が流れた。止められない。信じられるものが何も無い。抱いていた希望すらも打ち砕かれた。


「……セル、おぬしは我のことが信じられぬと申すか」


 レイは一歩、世槞へと近づく。世槞は剣を振り回し、来るなと叫ぶ。


「全て卑しい思惑のもと、我が貴様を助けてきたと申すか」

「来ないで……」

「ヒェルカナ党なぞ怪しい宗教団体の言葉には耳を貸すのに、共に生きてきた者のことは信じれぬと戯れ言を申すのか!」


 一歩、また一歩と距離が縮まる。世槞は恐怖と悲しみで悲鳴をあげる。


「そっ、それ以上近づいたら、殺すから!!」

「殺してみよ! 我が貴様を騙していると、愚かにもそう信じて疑わぬのならな――!!」


 最後の一歩の速度があがった。突き出していた紅蓮剣の切っ先がレイの胸に突き刺さり、肉を斬り分け、紫色の炎が燃えあがる。――肉を焦がす臭いと共に。


「ひぃっ……ああ……レ、イさま……ごめんなさ」


 世槞が紅蓮剣から手を離した隙を狙い、レイは自身の胸に突き刺さった刃を引き抜いて部屋の隅へ投げつける。そして嗚咽を漏らして涙を流す少女の腕を掴み、優しく抱き寄せた。


「辛かったんだな。思う存分、泣くがいいわ」


 ずるずると気抜けしたように倒れ込む世槞の身体を支え、レイは囁く。どこへも飛んでいかないように、しっかりと包み込んで。

 世槞はクロウへ来てから初めて大声をあげて泣いた。畏れ多くも総司令官の胸を借り、おいおいと。






「あ、あの。もう、いいです。大丈夫です。放してください」


 暖かな温もりの中にいては、甘えてしまう。世槞は赤く腫れあがった目を恥ずかしそうに隠しながら、レイの胸を押した。そのとき、自分がこの胸を剣で刺してしまったことを思いだし、慌てて傷を確認した。


「気にするでない、大した怪我ではない」


 レイはそう言い、ごく自然な動作で傷口を隠した。


(あれ? 軍服は破れてたけど、皮膚に傷は無かったような……)


 確かに突き刺した感触がこの手に残っているのに。世槞は首を傾げ、再度、レイに放してくれるよう頼んだ。


「いや、まじで大丈夫です。もう子供じゃないですし、第一この光景をレイ様のファンに見られでもしたら抹殺されるんで、私」

「ファン?」

「いるでしょう。熱狂的信者が」

「知らんな。戦場においてそんなものは邪魔なだけだ」


 話が噛み合わない。世槞が困っていると、助け舟を出すように羅洛緋が口を開いた。


《世槞様、ルゥを探しに行かなくては》

「おお、そうよそうよ! ガレシア先生が死ぬ直前に教えてくれたんだった! 王宮へ入ってゆくルゥの姿をここから見たって」


 世槞はレイから逃れるように立ち上がるが、左腕を引っ張られ、バランスを崩した。


「……おい。確認だが、おぬしは我をまだ疑っておるのか」


 よろけた身体を抱き留められ、とても近い距離で脅すように問われる。


「信じてます……よ」

「目を見て言えんということは、まだ我の容疑は晴れてないということか。ふん……黙っておくつもりだったが、教えてやろう」

「なにをですか」

「あの白銀の剣についてだ」

「……! なにか、知ってるんですか?!」

「知っているもなにも、我が国は剣が納められている墓を定期的に見回っておるのだ」

「……墓?」

「そう。この剣は氷剣エディフェメス・アルマと言ってな……今から約五千年前に栄えた王国の騎士が所持していたものだ」

「氷……エディフェメス……アルマ……五千年……騎士……?」

「名をシャオ=レザードリアという」


 世槞の肩がぴくりと跳ねる。その後は無言だが、レイはなにかを感じ取っていた。


「墓はその古代ルーナ王国の初代女王と側近騎士のものだ。エディフェメスは墓標として供えられていた。その剣を何故かセルが持っていたのでな……しかも弟の持ち物だと言うではないか。だから我は急ぎルーナ王国跡へ赴き、墓を見舞った」

「…………」

「剣は無かった。荒らされたあともなく、持ち出された形跡もなく、なんとも奇妙であった」

「で、でも、あの剣は……確かに私の家に……おかしい、だって、それに、私は、未来の――……」

「未来の、なんだって?」


 世槞は言葉をつぐみ、押し黙る。レイは溜め息を吐いた。


「まだまだ我に隠していることがあるようだの。……まぁいい、いつか力づくにでも吐かせてやるわ」

「ヒッ」

「……ともかく、黒い外套の者ども――ヒェルカナ党が剣を狙っておぬしの家を襲ったということは、その持ち主にも用があるはずぞ。持ち主がセルの弟であることが確かならば、やつらは弟を殺すことはできぬ。なんとしてでも生かすであろう」

「じゃあ、弟は、紫遠は……生きてる!!」

「その可能性は極めて高い」

「あ、あ、でも、呼吸とか、脈が無いのは……」

「仮死状態という可能性がある。一時的なその瞬間を捉え、都合の良いようにセルへ伝えておるのであろう。悪質商法における常套手段ぞ」

「そっかぁ!」


 世槞は表情をパッと輝かせる。これほどまでの笑顔は今まで見たことがない。レイは怪訝な顔つきをするが、そんなことを知ってか知らずか世槞は無邪気に両腕を広げてレイに抱き着き、歓喜の悲鳴をあげた。


「やっぱ嘘つきはあいつらじゃん!! 紫遠は生きてる! 全ては私をヒェルカナ党へ勧誘するためだけの嘘! レイ様もルゥも、誰も私を騙してないわ!」

「……調子の良いやつだの。先ほどまでの疑心に満ちあふれた憎しみはどこぞ行った」

「泣いてすっきり! 紫遠の無事を確認してすっきり!」

「クソガキめ」


 レイはやれやれと首を振り、眼前に鎮座する禍々しい漆黒の獣を見上げて言う。


「見ての通り、おぬしの主人はもう大丈夫ぞ」

《! ……感謝いたします。総司令官殿》


 羅洛緋は、自身の姿を見ても驚かず、さらに世槞の下僕であることに気付いているレイに対し、うやうやしく頭を下げた。

 そのとき遠くで大きな何かが倒壊した。行ったことはないが、元老院の建物だったように思う。


「うわ、急がなくちゃ……」

「我も行こう」

「え」

「グランドティア軍総司令官が後衛では頼りないか?」

「ハハッ、ありがたいー」

「棒読みか。言ってくれるわ」

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