07.ガレシア先生


「ルゥ! ルゥー! どこー?!」 


 あれだけ冷たく薄暗い城下町だったそこは、一面が真っ赤に染め上げられ、それが炎のせいなのか血飛沫のせいなのか判断がつかなかった。石畳みの道は熱されたフライパンのように熱くなっている。散らばっている肉片や臓物がパチパチと音を立てて焼かれ、異臭を放つ原因となっている。世槞は鼻を腕で押さえ込み、煙りで染みる目から涙を流しながら走り回った。


《世槞様》


 羅洛緋が何かを見つけ、世槞を誘導する。そこはいつかルゥと共にきたレストランだ。中から小さな悲鳴と、ガラスの割れる音がする。


「助けを求めてるんだ!!」


 声がするのは店奥の厨房からだ。扉を開いて乗り込むと、シェフらしき男に寄ってたかって馬乗りとなり、頭蓋骨を破壊して露わとなった脳をすすり、眼球をくり抜き、腹をかき切って内蔵を咀嚼している――ヒトがいた。


「あ……」


 こちらを振り向いたヒトには異常発達した犬歯が生えており、目は大きく、ギラギラと輝いていた。


《感染者です》

「なら、感染源……探さなくちゃ。私がシーサイドへ行かなければ、ガレシア先生にそう仕向けられなければ……感染しなかった人たち……なんだよな」

《どのみち影に感染すればそれはもう――“世界の敵”です。今のこの状況では、始末しても罪には科せられませんよ。何故なら、今の彼らは誰が見ても“ヒトではない”ですから》

「好都合だな。ほんと、好都合だよ……」


 ヒトでなくなった彼らは新鮮な肉の匂いへ向けて一目散に走り出す。まるで示し合わせたような行動は、しかし本能的に動いた結果に過ぎない。


《世槞様! 始末を!》


 いつもの世槞なら嬉々として持てるその力を振るっただろう。シャドウ・コンダクターとして生まれた自分の使命に誇りを持ち、世界を崩壊へと導く存在――影人を始末してきた。だが今、目の前の影人は好きで影人となったわけではない。ヒェルカナ党に仕組まれ、駒として世槞が動かされた挙げ句の被害者なのである。


「私のせいでヒトならざる者へと変貌した彼らを裁いていい権利がさぁ……私にはあるのだろうか」

《……何をおっしゃっているのですか》

「私が来なければ……今も普通に、平穏に、生きてたかもしれないのにな」

《お言葉ですが世槞様、影人は、殺さなければ増え続けます。今ここで躊躇している間にも感染は更なる進化を遂げているのです。後悔をするなとは言いません。ですがその前に、まず出来ることを最大限やることです。後悔はそのあと存分にすればよろしいでしょう》

「……はっ、はは……ド正論じゃん……胸が痛い。でもほんとさ、この手で殺せないんだ、彼らを。質屋を殴り殺したやつのどの口が言うんだって話だよな……へへ、わかってるけど、まだ覚悟ができていない。だから……お前に頼ってもいい?」


 切実な頼み事であった。黒い影は頷くように揺れる。


「ありがとう、ごめんね。嫌な役をさせちゃって――」

《いいえ。私はあなたの下僕です。あなたのために在る存在ですから》


 影の名を呼ぶ。呼ばれた影は体長五メートルほどの巨大な獣となり、近づくヒト型の影人を大きな爪で切り裂いた。内容物を散乱させて倒れこむヒト型を見下ろし、世槞は口を手で覆うも何かに気づき、すぐに走り出す。


《世槞様っ、聞こえましたね?!》

「うん、聞こえたよ。確かに、助けてって!」


 幼い男の子の声だったように思う。世槞は燃え盛る火炎を避け、崩れ落ちる家屋から逃れ、声が聞こえたとおもわれる方向を真っ直ぐに目指す。そこは託児所だった。今にも倒壊しそうな様子だが世槞は構わず飛び込み、声の主を探した。


「あっ、いた! いたよ羅洛緋! ここの瓦礫を吹き飛ばして!」


 声は瓦礫の中から聞こえた。羅洛緋は大きな口から熱風を吐き出し、瓦礫を吹き飛ばした。中から小さな足が見えた。世槞は表情を綻ばせ、自らも両手を駆使して小さな瓦礫を取り除いた。その動作はすぐに停止する。


「お父さぁ~ん、お母さぁ~ん、助けてー」


 推定3歳くらいの男の子が、世槞の顔を見てにっこりと笑った。やっと助けが来たと、両親に会えると思ったのだろう。


「無理だよ……会えないよ。だってさ、その身体でどうやって歩いていくの?」


 男の子の身体は瓦礫に押し潰され、ちょうど腹あたりで分断されていた。なのに両の手足はジタバタと動いている。


――もう無理だ。


 羅洛緋の炎を背後に感じながら、世槞は託児所をあとにする。よく見れば他にも子供がたくさんいた。子供を守ろうとした大人もいた。だが全てヒトではなくなっていた。


「早く……早く……ガレシア先生を止めなくちゃ……」


 国を飲み込む炎の音は、少しではあったが世槞が過ごした町の記憶も焼いていた。口と手足に多量の血液を付着させたケルベロスが主人の後ろを静かに付いてゆく。


「ルゥはもう死んでるよな……こんなの、さすがに」

《まだ全てを調べたわけではないでしょう。諦めるのは早いです》

「ああ……国を守る約束……あんなに簡単にするんじゃなかった」

《レイ様とですか?》


 世槞は頷く。


「レイ様、戻ってきたら驚くだろうな。友好条約を結んだばかりの国が焼け落ちてんだから。私のせいで」


 羅洛緋は何も言わず、近づく気配を噛み殺すだけ。

 王宮までたどり着き、もぬけの殻となった廊下を抜けて地下牢への扉を開く。ガレシアが幽閉されていたはずの地下牢は瓦礫で埋まり、中が確認できない。だが直感的にこの下にガレシアはいないと世槞は判断した。


「先生が行きそうなところ……もう一つしかない」


 それは学園だ。教授として、天文学者として、生涯の大半を過ごした場所。ここで隕石の接近に気づき、陰ながら世界の滅亡を訴えてきたのだ。

 世槞は蒸し風呂状態となった宿舎を抜け、天文台へ上る。実はここへ来るのは初めてだった。星に興味はなかったし、それよりも紫遠を助けることだけで精一杯だったから、ゆっくりと夜空を見上げている余裕なんてなかったのだ。だから、最上階からの眺めがこんなに素晴らしいことなんて、知りもしなかった。


「――私は来る日も来る日も、ここで星を見ながら世界の行く末を案じていたよ」


 最上階には先客がいた。探していた相手だ。


「じきに世界は終わるというのに人々は目先の幸せや利益を求める努力しかしていない。私は絶望したよ。誰に訴えても聞き入れられず、逆に捕らえられてしまう始末。世界が、こんなに愚かであったとは」


 望遠鏡がある。それは真っ直ぐに宇宙を捉え、世界の終わりを眺めている。


「しかし光が見えた。私の訴えを聞き入れ、協力を申し出てくれた子供がいた。まだ幼いのに彼は、自分も世界を救いたいと真摯な眼差しで宣言してくれた。そして私は生涯、彼に従うことを決めた」


 赤黒い炎が揺らめく。それは形を成して一本の剣と化す。世槞は両手で柄をしっかりと握り、目標へ向けた。


「彼こそ――大地を司るシャドウ・コンダクター、ロキ=バルバトス。世界を救うために生まれてきた運命の子供なんです」

「それを言うなら、シャドウ・コンダクター全員が運命の子供ですね」


 先客はこちらを振り返る。いつも見ていた柔和な微笑みのまま、しかし肌が不自然に黒くなっている。


「でも先生、矛盾してますよ。先生は世界を救いたいんでしょ? なのに、どうして自ら破滅を早めるような事態を招くんですか?」

「それはもう、ロキ様からお聞きになられたのでは?」

「……ええ、まぁ。私を仲間にするために、多くの犠牲を払うつもりだと……言ってました」

「その通りです。異界からきたあなたにとって、このクロウなど所詮別世界。救う義務も無い。でもそれだと困るんです。どうしても救ってほしい。私はこの世界を愛しているから!!」

「……私に固執する意味がわからない。探せば、他にもいるでしょ……コンダクターなんて」

「あなたでないと意味がない。この言葉の意味がまだわからないでしょう。でも記憶を思い出せばきっと――あなたはこの世界が愛しくなる。そうでしょう、セシル様」


 その名を呼ばれ、世槞は悲しくなった。ああ、ガレシアは本当にロキの手下で、自分を騙していたのだと。


「ルゥがどこにいるか、知りませんか? この国はじきに落ちます。早く助けないと。ガレシア先生にとってもっとも可愛い教え子でしょう? ルゥは」

「おお、ルゥね。あの子も思った通りの動きをしてくれました。セシル様にユモラルードへの愛着を抱かせましたから。レイ様にしてもそうです。上手くあなたの心を操り、全幅の信頼を寄せさせ、わざとユモラルードを離れた」

「……どういうことですか」

「皆が皆、ロキ様の掌上で動いているということですよ。考えてもみなさい。あのレイ様がどこの馬の骨だか知らない小汚い娘をあれだけ手厚く保護しますか? 人殺しの罪を隠蔽しますか? それは全て、あなたがセシル様だからですよ」

「……信じない」

「では何故、レイ様はあなたから白銀の剣を取り上げたのですか? 剣の存在意義も知らないあなたから剣を守るためでしょう。いつかあなたが、セシル様として復活する時のために!」


 世槞は両耳を塞ぐ。ロキに出会った時から芽生えた疑心が今、真実だと嘲笑っている。


「レイ様お付きの騎士がセシル様に付き纏っていたのもきっと、ロキ様の元へ安全に運ぶためだったのでしょう。ほうら、考えれば考えるほど繋がってゆく! あなたはロキ様の手によってクロウへ招かれ、保護されていたのです!!」


 どれだけ耳を塞いでも、声は直接脳に語りかけられているようにはっきりと聞こえる。口ではどれだけ嘘だと、信じないと叫んでみせても内部で膨れ上がる疑心が次々と芽生えてゆく。頭が痛い。


――ガレシア先生の言うこと全てが真実なら、私は、紫遠は……。


 世槞のナカで何かが崩れはじめた。

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