06.ユモラルード炎上

 事はすでに始まっていたのかもしれない。ただ誰も気づいていなかったというだけ。

 友達がいなくなってから三日目、私はガレシア先生との面会を求めて今日も王宮の門を叩いていた。あのレイ様お付きの騎士長もいなくなり、門番は自身の権限が強くなったことを良いことに、一般市民の王宮への出入りを厳しく制限していた。しかし今日になって門番は心変わりしたようで、門の解放をむしろ推進していた。人相すらも柔らかくなっていると感じた。多少の違和感はあったものの、私はそれ以上にガレシア先生に会いたかったため、気にせず地下牢まで行った。

 地下牢でのガレシア先生は、暗くてよくわからないが衰弱しているようだった。罪人に食事など与える必要が無いと考えているのか、酷い有様だ。私は、壁に寄り掛かって死んだように動かないガレシア先生にある報告をした。


「先生、流刑になっちゃったわ。明日の朝一でシーサイドへ搬送されて、監獄島送りよ」


 動くことすらままならないため、王宮裁判は異例である被告人不在での判決の言い渡しとなっていた。なんとなく気づいていたから、心構えはできていた。


「酷い判決だとは思いません。だって、世界滅亡を声高々に訴えるだけ訴えて何も打開策を提示しないのは皆の不安を煽るだけだし、献体用の死体をわざわざ強盗殺人事件のものと偽装する意味もわからない。……先生は……とっても賢くて人としても尊敬してたけど、最近の先生の行動は……はっきり言ってよくわからないです。セルが出て行ってしまったのも、レイ様がいなくなってしまったのも、なんだか全てガレシア先生のせいのような気がするわ」


 私は自分でも驚くほどガレシア先生を責めていた。じきに恐ろしい島送りとなってしまう、哀れな老人を前にして。


「……その通り、じゃな」


 岩のように固定された唇が動いた。聞き慣れた声にではない。しわがれていて、でも、腹底に響くような重い声。


「全て私が招いたこと。全て計算」

「先生……何を言って……」

「私なりに世界を守りたかった。その方法の一つに過ぎん……。だが私がこのような姿になったのは、当初からの計画とは違う」

「ガレシア先生……?」

「あの日だ。全てのはじまりは。異界からの使者と異国の将軍が来国したあの日。いざこのクロウを救うため、私は立ち上がった。たとえやり方は違おうとも、同じ志を抱いてくれた少年と共に――!!」


 私は鉄格子から離れた。先生が怖かったのだ。何故なら、小さなランプに燈された先生の黒い影が、まさに主人を飲み込もうとしていたから。


「さぁ、黄金時代の復活じゃ! シャドウ・コンダクターが世を支配し、絶対なる安寧をもたらす時!!」


 あの人はだれ? 私の知っている優しい先生ではない。

まるで急に人が変わってしまったみたい。

 どこまで逃げても、王宮を飛び出しても宿舎へ戻っても、その声はいつまでも耳に残っていた。街から悲鳴が聞こえたのは、その直後だったように思う。


 *


 屋敷を飛び出した世槞は、丘の上から見渡せる長閑な港町を一望し、荒くなっていた呼吸を落ち着かせた。

 屋敷を飛び出して自分は、これから一体どうするというのだ。


「私は誰を信じればいい……?」


 動けない。どう進めば正しい道へ出ることができるのかわからない。知らない世界へ来て、右も左もわからないけれど導いてくれる存在があった。それら全てが仕組まれたことならば、もう、誰も信用することができなくなる。


《ユモラルードへ戻られてみては? そうするために屋敷から出たのでしょう。あれだけ焦って》

「そう思ったよ。影の伝染が始まったら、ユモラルード王国は全滅する。でもそれってさ……結局、思うように影人狩りができないこの世の中じゃあ、どのみち同じことなんじゃないの」

《そうですか?》

「そうだよ。ヒトが影人になって、でもそいつを始末できなくて、周りのヒトが影響を受けて同じく影人となる。これが繰り返されたら、結局は全滅する。遅いか早いかの問題だけでしょ」

《ですが、それはあくまで自然発生する影人の場合でしょう。今回は違う。今回は、世槞様……あなたを勧誘するべくヒェルカナ党があらかじめ仕組んだことです。しかも、爆発的に感染するよう細工されている。ユモラルード王国の人々は、ヒェルカナ党の思惑のまま殺されていくのですよ》

「――――……」


 世槞はドクンと跳ねる心臓を手でおさえ、黒い影を見下ろす。


「じゃあ、ユモラルードの人たちが死ぬのは……私のせい、ってこと……?」


 影は答えない。それこそ、“イエス”の意味だった。

――迷う余裕は無かった。

 世槞は丘を飛び越えるようにして駆け降りてゆき、人垣を掻き分け、町の出入り口を一目散に目指した。


「セルさん!!」


 声がかけられたのは、港に停泊している巨大な戦艦からだ。世槞の尋常ならざる慌てぶりを見て、休息中であったその騎士は急ぎ飛び降りてきた。


「どうなさったのですか?! あの屋敷で、何かあったのですね?」


 体力を消耗したわけでもないのに、世槞は肩で荒く呼吸を繰り返し、おそるおそる騎士の顔を見上げた。


「頬に切り傷がありますよ。女性は顔を大切にしなくてはいけないでしょう」

「……あ……これは……私の弟の貞操を狙ってる変態女にやられたもので……」

「はい?」


 世槞の呼吸は加速していく一方だ。騎士は世槞の両肩に手を置いて、深呼吸をしなさい、と助言をした。幾度目かの呼吸を繰り返したあと、世槞は意を決したように口を開いた。


「すいません、あの……私、今、誰を信用したらいいかわからない精神状態なんですけど……ディーズさんは、これから私が言うことを信用してくれますか」


 自分でも支離滅裂な発言をしている自覚はあったが、今はこれで精一杯だった。

 ディーズは、屋敷へ乗り込む前の世槞と現在のあまりの違いを見て、悲しげな表情を浮かべた。


「屋敷で何があったか存じませんが……私はあなたを信じていますよ。そしてどうか、私のことも信用してください」


 とても優しく、頼もしい返事だった。世槞はかすかに笑って頷き、こう言った。


「――ユモラルード王国が炎上しています。皆を、助けに戻らなくちゃ」




 ディーズは港町の外で見た光景に言葉を失わなかった。世槞が不思議な発音で異国の名前を口にした。するとその足元にある黒い影が波打つように揺れ、ひとりでに起き上がりはじめた。最初こそ人型であったそれは次第に質量を増してゆき、最終的には頭が三つに尾が二本――黒く艶めく毛並みに緋色の瞳を持つ巨大な獣へと変貌していた。


「羅洛緋……私のね、可愛いワンちゃんです」


 一目見て危険と判断される肉食獣を愛しそうに撫でる姿を見て、ディーズはなるほどと理解した。


「わかりました。あなたがどうして獰猛な大型肉食獣に対して可愛いと発言できるのかを。あなたは、獣使いですね」

「はは、そんな良いものじゃないですけど」


 世槞は羅洛緋という名のケルベロスへ飛び乗り、ディーズにもそう合図した。躊躇するかと思われたが、ディーズはむしろ納得をしたように素直に従った。


「これで全て謎が解けました。やはり、セルさん、あなたは――……」


 しかしディーズはそれ以上は言わなかった。

 世槞は羅洛緋に合図を送り、羅洛緋は地を蹴って大空高く舞い上がった。空を飛んでいるわけではない。驚異的な跳躍力を使い、大地を駆けているのだ。その力は海すらも渡ることができる。


 港町シーサイドを出て半日、徒歩で三日かかった距離を飛び越えて羅洛緋はユモラルード王国へ到着した。夜だった。ユモラルードはスピーロトゥスの言葉通り、炎に包まれていた。――赤い海。海の中からは悲鳴と雄叫び、戦いの音が入り乱れて聞こえた。石壁は炎で熱され、とてもではないが触れることはできない。国全体が灼熱地獄となり、誰の立ち入りも許可しない。

 もくもくと立ち上がる黒煙は雲を切り裂き、天へと昇っている。

 羅洛緋は世槞とディーズを背から下ろすとすぐに黒い影の中へと戻る。


「なんてことだ……! これら全て、ヒェルカナ党の仕業だということですか!!」


 全身を奮わせ、怒りを表すディーズ。彼は、国門の外に並んでいる馬車を目掛けて走り、騎士の一人を捕まえて事情を聴取していた。世槞も馬車へ走り寄り、中を覗く。


「……ウッ」


 中は、生死すらわからない人間たちが折り重なっていた。血と体液と蛆虫にまみれ、反応がなく、ぐったりと横たわっている。国民もいれば騎士もおり、王族すらいた。身分関係なく同じ馬車の中につめこまれていた。この中にルゥの姿はなかったように思う。


「そいつらはまだ幸せなほうだぜ」


 馬車の外で、おそらく見張りを任されているユモラルードの騎士が世槞を見つけて話しかけた。


「どんな状態であっても国外にいる。安全だ。安心して死ねる。まだ壁内にいるやつはもう……獣人間の餌だろうなぁ」

「獣人間……って……どういうこと」

「そのままの意味さ。スミロドンの頭に人間の身体をしたやつもいれば、人間の頭にスミロドンの身体をしたやつもいる。獣と人間が混ざったバケモノが突如として発生して、付近の人間たちを次々に襲いはじめたんだ」


――影獣だ。世槞は下唇を噛んだ。


「予兆なんてなかったぜ。昔のお偉い預言者の書物にも載ってなかった。“それ”は――唐突に開始した」

「無事に避難できた人々は……」

「いるさ。ほんの一握りだけだけどな。さすが大国グランドティアの騎士様たちさ。レイ様の教育が良いんだろうな。事件が発生してすぐに避難させられるだけの住民は避難させていた。他の馬車にいる連中は全員、グランドティア騎士に命を救われた野郎ばっかりだよ」

「避難できた人たちの中に、デルア学園の生徒はいましたか?」

「いたとは思うが。お嬢ちゃんが求めているやつかどうから知らねーぜ」

「ありがとう。確かめてみるよ」

「あ、おおい。間違っても国の中へは入るんじゃねーぞ! 命は大切にしろ!」



 ディーズは同じグランドティアの騎士から事情を聞き、急ぎ会議を開いていた。世槞は彼らの邪魔にならないように馬車一台一台を確認してまわった。そこにルゥの姿はなかった。


「なぁ、お前、デルア学園の生徒でしょ? ルゥ=ローズレットって子を見てない? 髪色がピンクなんだけど!」


 馬車の中で顔をうずめて泣いている女生徒へ声をかけた。すると生徒はなにかをフラッシュバックさせたのか叫び声をあげ、暴れまわった。隣にいたエプロン姿の女性がすかさず生徒の頭を抱き抱え、「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。世槞は呆気にとられていた。


「この子はね、親友と手を繋いでここまで逃げてきたんです。もう大丈夫だと安心して隣りを見たら、親友の手から先が何もなかったらしいの。だから、そっとしておいてあげて」

「……! ご、ごめんなさい……」

「あなたが謝ることではないのよ。……お友達、見つかるといいわね」


 頭の中で、脳みそがぐるりと回転した気がした。世槞は吐き気をもよおし、その場でうずくまる。


(私のせいだ……)


 ぐらりぐらりと揺れる視界の中で、こちらへ走り寄って来る衛兵の姿が見えた。


(私のことなんかより、他の人の心配をしてあげて)


 世槞は震える足を何度も叩きつけ、差し述べられた手を振り払い、燃え盛る炎の中へと飛び込んだ。それを止める声はやがて小さくなり、消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る