05.ロキの罠

「弟を返せ!!」


 腹の底から張り上げた声は大きな建物の中で木霊し、消えていった。それ以外の物音がせず、シンと静まり返っている。

 広い玄関フロアから左右に伸びる廊下の先は曲がり角になっている。壁には等間隔で絵画が掛けられ、間に燭台がある。世槞は警戒をしつつ侵入を試みる。


「無人とかやめようぜ。せっかくここまでたどり着いたのに」

《……いえ、人の気配がします》


 羅洛緋が指示する場所を目指す。どこから攻撃の手が飛んできても大丈夫なよう、意識を張り巡らせて。


「ここ?」


 たどり着いた先は、一際大きな両開きの扉がある部屋だ。イメージとしてはダンスホールに近い。世槞は足元の影が揺れるのを確認し、扉を勢いよく押し開いた。

 風が吹いた。中からではない。開きっぱなしの玄関から廊下を走り、このダンスホールへと突き抜けるように吹き荒れた風に押され、世槞は中へと足を踏み入れていた。中央に、白いテーブルクロスが敷かれた長テーブルが置かれ、いくつもの皿が並べられている。


「うっ」


 皿に盛られた料理は腐り、ハエがたかっていた。


「なにこれ……」

「来るのが遅いからですよ」


 ふいに声がかけられた。接近する気配はなかったはずなのに。世槞は急ぎ影の中から赤黒く揺らめく剣を取りだし、構えた。


「……紅蓮剣フィアンマですね。闇炎の使い手のパーソナルウェポン」


 気配の正体は少年だ。紫遠ではない。少年はダンスホールの奥の暗がりから徐々にその姿を現した。黒い外套は羽織っていない。


「私のこと知ってるんだ」

「そりゃあ、まぁ。ずっと探してましたから。スミロドンに食べられた傷はすっかり回復しているようですね。さすが影操師」

「! なんで知ってるの」

「さあ。何故でしょうか」

「……。紫遠は? 私の弟はどこ!」

「紫遠……? ああ、シャオ様ですね」


 構える世槞に対し、少年からは気抜けするほど戦う意思が感ぜられない。髪が黒い。その焦げ茶色の瞳に世槞の姿を写し、かすかに微笑む。――アジア系の顔立ちだな、と思った。


「やっとお会いできましたね。歓迎の意味も込めて一流シェフを雇い、その腕を振るって頂いたのは三日前です。急いで準備をしたのに、待てども待てども貴女は現れなかったので……約束を反故にされたのかと思ってましたよ」

「さっきから、どうしてお前は私の動向を把握してるの?」

「なので、こちらから出向こうか考えていたところなんです」

「質問に答えたらどう?」


 黒い髪の少年は頷く。


「お答えしますよ。俺と一緒に食事をしながらなど、どうですか」


 腐った料理にフォークを突き刺し、悪臭を鼻で感じた少年は顔をしかめる。ふざけてるのかと世槞は苛立ちを感じた。


「本来であれば、舌がとろけ落ちそうになるほど美味であったはずなのですが……こうなってしまえば、等しくゴミですね」


 少年は皿を手で次々と弾き飛ばし、散乱する元料理を見渡してはくすくすと笑った。


「……お前、サイコパスじゃん」

「俺も自分の要領の悪さに苛々してるんですよ。ついついね、忘れてしまうんです。“連絡が遅い。ああ、そうだった。この世界には電話がなかった”」

「――!!」


 脳天から電流を受けたように世槞は驚き、大きく息を吸い込んだ。


「おま、え……!」

「――セシル様。俺は貴女をずっと探していた。俺が志すものを共に目指してほしいから。でも俺が生きる惑星アースでは貴女は見つけられなかった。だからこの世界の者たちに協力をしてもらって、貴女をクロウへ招いたんです――」


 世槞は足の震えを抑えきれず、よろよろと後ずさる。少年は口元だけで笑い、一歩、また一歩、こちらへ近づく。


「驚きました? この世界には、自分以外にアースの人間はいないものだと思い込んでいました?」

「――――」

「ならば、もっと驚くべき情報を差し上げましょう。貴女を見つけ、そしてこの屋敷へ向かうよう仕向けてくれたあの教授――ガレシア、だっけ? あいつは俺の操り人形ですよ」

「……嘘だ」

「嘘じゃないです。現にこうして、ガレシア教授から他の内通者を経て貴女がここへ来るという情報を得てお待ちしていたのですから。予定より遅くて、途中で死んだのかと思って心配してしましたが」

「…………」

「通常ならユモラルードからシーサイドへは半日足らずで到着できるでしょう――シャドウの力を使えば。なのに貴女は徒歩で来た。想定外すぎます。シャオ様が心配ではないのですか」

「……紫遠……は、この世界にいるの……?」

「ええ。数日前に死にましたけどね」


 少年はやはり口元だけで笑う。世槞の反応を見るのが楽しくて、試行錯誤して言葉を選んでいる。


「有り得ない」

「おお、そうきますか」


 すぐにではないものの、世槞は否定をした。少年はうん、うん、と頷く。


「何故そう思います?」

「……順序立てた説明は要らない。紫遠は絶対死なない。だって、私の弟だもん」

「理由になってないですが。あーあ、てっきり鬼のような形相で殺しにかかってくるかと思ったのに」


 幻滅した、とでも言うように少年は両肩をすくめる。


「まぁいいでしょう。ともかく、“ここ”にはもうシャオ様の身体はありません。ただ、シャオ様のお世話をした“彼女”ならいます」


 少年以外の存在の示唆。それを合図として頬に熱い衝撃が走る。触れると赤く血濡れている。目に止まらぬ速さで切り裂かれたようだ。世槞は次なる攻撃を赤黒い剣で弾き返し、テーブルの上へ派手に転げ落ちる“女”を見据えた。


「いっ……痛っタアアアアアア!!!! 皿の破片がケツに刺さったじゃん!!」


 尻と太股の裏を血だらけにし、髪の長い女が喚く。どこから現れたのか見えなかったが、おそらくずっとこの部屋にいたのだろう。白いエプロンに黒いワンピース、よく貴族ドラマの中で見かける“メイド”そのものの格好をしている。

 女は怪我を気にしつつも体制を立て直し、こちらを見てニヤリと笑ってみせた。


「はじめまして、セシル様。わたくしはこのお屋敷の召使いです。ロキ様には二年前からお仕えしていますわ」


 いつの間にか女の背後へ移動していた黒髪の少年は、メイドの首を鷲掴みにして吊るし上げ、大理石の床へ叩きつけた。女の口から「グエッ」という音が漏れた。


「……クソ女が。まだ名乗ってないのに……俺の名前を勝手にバラしてんじゃねーよ」

「あっ、ごめんなさぁぁぁい! またヘマしちゃった!」


 ロキと呼ばれた少年は床に俯せる女の頭をぐりぐりと踏みつける。


「セシル様、この女から欲しい情報を聞き出したあとは殺しちゃっていいですから」

「……仲間なんじゃないの」

「馬鹿は要りませんので」


 ダンスホールの奥の扉が開く。再び風が吹き、奥へ奥へと吸い込まれてゆく。


「セシル様、今日はほんのご挨拶です。俺はまだ貴女を招きません。貴女がご自分の意思で我がヒェルカナ党へ入ってくださることを願っていますから」

「その願いは成就しないよ」

「本当に? はは、セシル様はまだこの世界での記憶を思い出してないから――そう決めつけられるんですね。俺はずっとお待ちしていますから」

「待ってる間に世界が滅ぶわよ」


 世槞は試すように言い放つ。ロキも当然わかっているようで、すんなりと頷いた。


「そう。ですから時間は無い。貴女はきっと、この世界を救いたくなるはず。俺は貴女と共にクロウを救いたいんです」

「私が救いたいのは弟だけよ」


 世槞は即答する。ロキからの返事はなかった。相変わらずの笑顔に曇りは見えない。――とても嫌な予感がした。


「ヒェルカナ党へ入ってくだされば、いつでもシャオ様とお会いできますよ。すでに墓となった後でよろしければ」

「もうそのネタ飽きた。別のを考えなさいよ、このワンパターン野郎」


 今はどんな説得も彼女は聞き入れてくれないだろう――とロキは判断し、早々に次の段階へと進むことを決めた。


「スピー、ここでセシル様に殺されなくとも、必ずどこかで死ぬんだぞ」

「了解デッス!」


 女は右腕をぴんっと高く伸ばし、心得たことを示す。ロキはもうニコリともせず、開かれた扉の奥へと消えた。


「サァサァ、わたくしめになんでも聞いてくださいよセシル様!」


 女は世槞へと振り返ると、足元に佇む黒い影の中から成人男性ほどの大きさのある鋼ハンマーを取り出して肩に抱え、質問に答える姿勢と共に攻撃の姿勢も見せた。やる気は充分だ。しかし女は首を傾けた。


「……セシル様ァ? 質問、無いんですか?」


 ロキがいなくなったあと、世槞は女に背を向け、老婆のように背中をまるめて座り込んでいた。力が抜けたようだった。赤黒い剣も床へ放り出し、まるで戦闘を放棄しているように見える。女は折れそうなほどに首を傾け、ハンマーを抱えたまま世槞の顔を覗き込む。


「顔、真っ青っすよ」

「…………」

「アッ、ロキ様の言葉を真に受けてらっしゃるんですか? 色々ショーゲキ事実ありまして、わたくしとしましても驚きの連続というか」

「お前さ」

「あ、ハイ」

「私の弟の世話、したって?」

「ええ! させて頂きましたよ!! そりゃあもう光栄で!!」

「……生きてた?」

「……アー……正直なところを申しますと、生きていらっしゃったかどうか判断ができませんでした」


 世槞は喉が痛いのか、口元を手で覆い隠す。女は構わず続ける。


「何故かと言うとですねー、肌は不自然なほど白いですし、呼吸も脈も極めて無反応、話しかけても勿論応答無し。寝ているのとは明らかに違う容態でした。これって生きてるっていうんすかね?」

「…………」

「残念ながら目を覚まされてないのでどんな方なのか存じ上げませんが、セシル様とは双子だということですので、きっとイケメンだったんでしょうねー。声とかお聞きしたかったです」

「……女みたいな声してるよ……あいつ」

「マジっすかァ! 典型的中性美少年じゃないっすか! 好み好み! 肌とか触っときゃ良かったなぁ~。あと意識無いんすからファーストキスでも奪っときゃ良かっす、わたくしへの冥途の土産に。ぐへへ」


 下品な発言だが言い返す力が湧かない。世槞は目を閉じ、まぶたの裏に浮かび上がる同じ顔の少年を思い描く。


「……あいつは潔癖症でね。私以外の女に触れられること嫌ってたよ」

「ファー!! ちょっとした空気の淀みにもすぐ体調を崩しちゃう病弱系美少年?!」

「そしてファーストキスの相手も私だったしね」

「……。おん?」


 女は伸びてきた手に衿元を掴まれ、睨みあげるような目つきで問われる。


「弟をどこに連れてった? ここにいないなら、私がいる意味がない」

「エッ。超気になる話題を提供キメといてスルーは止めてくださいよぉ。……ま、いいです。シャオ様の行方ですが、んー、まことに申し訳ございませんが、わたくしにはそれを知る権利はないんです。わたくしの役目はこの屋敷でのシャオ様のお世話、そしてセシル様の足止めです」

「なんの足止め? ロキを逃がすための?」

「イエイエ」


 女はにっこりと微笑む。大きな鋼ハンマーを抱きかかえ、無邪気に。


「ユモラルードへ戻らせないため、デスヨ」

「は?」

「ロキ様がおっしゃられたと思います。素晴らしい企業理念を! そう! 滅びに向かうこのクロウを――救いたいと!!」


 女の影が揺れる。秒を追うごとに激しくなり、ナカからなにかが飛びだそうとしていた。


「デルア学園の老いぼれジジィが言うにはァ、なんでも巨大な隕石がこちらへ向かっていて、約一年後に衝突するって話ではありませんか! それらは全て、我らシャドウ・コンダクターが満足な働きをできないこの世界に原因があります……!」


 ロキの話も、この女の話も、短期間ではあるが世槞が恩師かもしれないと慕ってきた老子から聞いたものと同等の内容だ。どうしてなのだろう――どうしてガレシアはヒェルカナ党なんかと繋がっているのだろう。正体を隠して世槞に近付いたことから全て仕組まれており、ロキの元へと導かれるよう筋書きが完成していたというのか。

 ではルゥは?

 レイは?

 ディーズは?

 彼らの存在も全て仕組まれたものなのか? ――考えは最悪の方向へと流れてゆく。


「そのためにはセシル様のご協力が必要です。頑固なセシル様を仲間に引き入れるためには、言葉の説得ではダメです。そう、もっとも効果的なのは、無力な第三者たちを助けなくちゃ、守らなくちゃと――強く思わせ、しかし所詮自分一人にできることなどたかがしれてると絶望を叩きつけることです」

「いや……わからない。もっと具体的に……三行くらいの簡潔さで頼む」

「ワガママっすね! それとも甘やかされて育った現代日本人の弊害っすか! ……って、これロキ様の受け売りなんすけどね、へへ」


 女は鋼ハンマーを振り上げる。世槞の脳天を狙う準備は万端だ。


「つまり――ガレシアせんせーを影人化させ、ユモラルード王国を大パンデミックの炎に包むってことっす!!」


 振り下ろされたハンマーが大理石の床を破壊し、軽い地割れが発生する。世槞に避けられた女は、舌打ちをしつつもニヤニヤと笑い、すぐに体勢を立て直した。


「そういえば申し遅れてました。……我が名はスピーロトゥス=グロリア、鉱石を司りしシャドウ・コンダクター。……くぅぅ~!! やっぱ痺れるっすね! 影操師の名乗りは――」


 スピーロトゥスと名乗った女は自身の名乗りに酔いしれ、両足で何度も床を踏みつけている。その隙に世槞はダンスホールを抜け出していた。スピーロトゥスは目を剥いてあとを追いかけ、走る世槞の肩を鷲掴みにした。


「エェー?! ちょ、ちょっとチョットチョット! これから影操師同士の華麗なる死闘が――」


 そう言いかけて、スピーロトゥスの視界は反転した。何が起きたのか一秒後に理解はしたが、これ以上世槞を追いかけることは叶わなかった。


「スピロー……なんだっけ。変だし、長い名前。とにかく、弟のこと世話してくれてありがとう。でもね、名前、ずっと間違ってんの。世槞と紫遠……それが私たちの本当の名前だから」


 廊下を走り去り、見えなくなる世槞の姿。スピーロトゥスは、両足のアキレス腱を焼き切られた状態で仰向けに倒れていた。熱くて痛い。一歩も動けない。いつの間に焼かれたのかなんてわからない。


《馬鹿ね。いつもそうやって調子に乗ってヘマして……他人に利用されるだけなのよ》


 声が聞こえる。スピーロトゥス自身の影から漏れるものだ。


「く……くくっ」


 笑いが漏れた。自身がこれまで培ってきた力を軽々と足蹴りにされた気分は、とてつもなく最高であったのだ。


「自分を騙し続けてきた人間がどれだけ紛れ込んでるのかわからない国へ、脇目も振らずにお戻りっすか」

《正義感が強い子なんだわ、きっと。だからすぐに騙されちゃう》

「ロキ様と同じ未来からきた双子……セル……シオン……。いやいや、そっちのが断然良い名前じゃないっすか」


 笑うスピーロトゥスの声に呼応するように、黒い影からも笑い声が漏れた。

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