04.なにが正しいのか


「スミロドンです。セルさんを食べていた獣と同種ですよ。さあ、私の背後に隠れていてください」


 見たところ獰猛だが普通のネコ科古生物だ。影獣ではない。それでも異常に発達した大きくて長い牙に人間なんかが勝てるのか、世槞は肝を冷やした。


「ディーズさん、もし危なくなったら私が助けますね」


 ディーズはスミロドンと対峙しながら、世槞の発言に驚く。意味がわからなかった。死を目前とした無謀な提案なのか、はたまた実力のある人間の余裕からくるものなのか。


「では、そのときはよろしくお願いいたしますよ!」


 しかしディーズは世槞に頼るつもりはなかった。幾多もの戦場を、命の危機を駆け抜けた自分を形成してきた圧倒的自信が敗北を許さなかったのだ。


 数分後、草原には二頭の大型ネコ科動物の死体が転がっていた。


「かわいそう」


 ぼそりと呟かれた同情の言葉を聞き、ディーズはまた驚いていた。


「セルさん。我々はね、今まさにこいつらに命を狙われていたのですよ?!」

「わかってますって。互いにとって生きるため、避けられない戦いだった。この子たちも意味のある死を遂げた。だから納得してます。ただかわいそうってだけで」

「……全然わかってませんよ、それ」

「そうかな?」


 この世界に馴染むにはまだまだ時間はかかりそうだ。だが悠長に馴染んでいる時間なんてない。世槞はディーズの顔を見上げて苦笑いをし、先を進んだ。


「ネコ科の動物が多いんですか? このあたりは」

「このあたり……というより、大型ネコ科動物は食物連鎖の頂点にいますからね。世界中にいますよ。ただユモラルード王国領であるリッド大陸はさきほどのスミロドンとマカイロドゥスが多いですね」

「マカイロドゥスは見たことありますよ~。鬣が赤くて可愛かった」

「またそうやって……。はぁ」

「グランドティア王国領はどんなネコ科がいますか?」

「サーベルタイガーの一種で、メガンテレオンですね。グランドティア王国領では最も獰猛で、年間数十人の人間が襲われています」

「案外少ないですね?」

「ええ。レイ様がメガンテレオン専用の餌場を用意していますから、一般の被害は最小限に抑えられています」

「へー。良いアイデアですね。その餌場の餌はどうやって用意してるんですか? 想像ですけど、すごい量の家畜とか必要そうなんですけど」


 世槞が興味深そうに目を輝かせているのを見て、ディーズは少し言いにくそうにしている。


「メガンテレオンの主食は人間です。ですから、人間を与えています」

「……。……ん?」

「盗みを働いた者、人を欺いた者、人を殺めた者――罪を犯す者は毎日、少なからず出現します。我がグランドティアではそのような人間は裁判で死刑判決が下るなり餌場行きとなっています。もちろんそれだけでは足りませんから、監獄島から定期的に餌を仕入れておりますが――……」

「鬼畜外道じゃん!!!!」


 世槞は大きな声を出していた。誘われて出てきたスミロドンを撒きながら、広大な大地を逃げ回る。


「……あなた、レイ様を聖人君子とお思いですか? いえ、確かにそうですよ、少なくとも我々や罪を犯さぬ者にとっては。しかし犯罪者に対してはたいそうお厳しい……」

「厳しいのベクトル間違ってない?! いや実はその案は私も大賛成だけど、グランドティアのトップがそれを指示しちゃっていいわけ?!」

「メガンテレオンを野に放てば罪を犯していない者が次々と襲われるでしょう。ですから、これでいいんですよ。野生動物の管理、犯罪撲滅のための試行錯誤――国ごとにやり方は違いますが、グランドティアは当面この方法ですね」

「うう……レイ様の見方変わっちゃうぅ……」

「ですがセルさん、考えてみてください。ユモラルードでは、自由な発言に少し制限があるでしょう? そのせいでガレシア教授は投獄されました」

「…………」

「それがユモラルードなりの国の守り方なんです。国の守り方はそれぞれ。もしご自身が国主だったら……と考えてみてください。どれも否定できないはずです。どの方法が正しくて間違っているかなんて、誰にも決める権利なんてないんですよ」


 納得できないが、するしかない。自分は、所詮は国に世話をしてもらう側だから好き勝手言えているのかもしれない。もし自分が管理する側にまわったとき、どんな手段を取るか――他者に鬼畜だと罵られても、自分が正しいと思うやり方で国を守るだろう。


「レイ様も大変なんだな……」

「飲み込みがはやくて結構」


 ディーズは満足そうに笑った。


「して、セルさん。一体どこへ向かっているのですか?」

「港町シーサイドです」

「歩いて丸三日ではありませんか。よく一人で行こうと思いましたね」

「いや……一人のつもりじゃなかったし……徒歩のつもりもなかったんだけど……お前邪魔だから……」


 世槞は聞き取られないように小声で愚痴を言う。


「シーサイドへは何用で?」

「ある組織の末端員の屋敷があると聞いたんですよ、ガレシア先生に」


 ディーズは知っているのか、表情を変えた。

 

「ある組織とは……まさか」

「ヒェルカナ党です」

「……危険です」

「ええ、そう聞きました。でも、特徴的にそいつらが弟の行方を知っているはずなんです」

「知っているとしても、素直に教えてくれるとおもいますか」

「教えてくれないなら痛めつけて吐かせるまでです、ふふ」

「そんな浅はか考えはお捨てなさい。やつらの神経を逆撫でし、逆に殺されるのが関の山です」


 ディーズは本気で心配をし、止めている。当然だ。

 世槞は歩みを止め、大きく息を吸い込み、ある一つの告白をしてみせた。


「あの夜の強盗犯……私の部屋から剣を盗んだやつ。私はあいつをどうやって殺したと思いますか?」


 世槞の口からまさか聞くこととなると思わなかった事件の真相。ディーズは言葉に詰まる。


「階段から……突き落としたのでしょう……?」

「違う。ボコボコに殴ったの。死ぬまで蹴ったの。私は、そんなやつ」


 世槞は笑う。自嘲気味にだ。


「だからこんな私の心配なんか要らないですよ。レイ様もディーズさんも良い人だから、か弱い女の子の姿に騙されてるだけだよ」

「……私はともかく、レイ様は人の本質を見抜く。そのレイ様が肩入れをされるくらいです。セルさん、あなたも良い人ですよ」


 気を使われたのかもしれない。世槞は乾いた笑い声をあげ、それ以上何も言わなかった。


 三日間、休まず歩き続けた世槞とディーズは海が見える町へたどり着いた。ここはユモラルード王国領への玄関――港町シーサイドだ。桟橋には国王船や戦艦、漁船等が停泊している。一際大きな船はグランドティア王国の軍艦であり、総司令官一行は一度シーサイドへ上陸してから陸路で王都へと向かったのだろう。


「長い階段の一番上に黒い屋敷が見えるでしょう。あれがヒェルカナ党員の隠れ家と――いわれている場所です。証拠が無いため令状が取れず、強制捜索できていないんですよ」


 丸一日くらいならば休まず敵と戦えるほどの体力と精神力をもつディーズ騎士長であるが、それが三日目となった朝、目に見えて体力の限界を突破していた。


「ガレシア教授はよくヒェルカナ党員の集まる場所をご存知でしたね」

「あの人は物知りだから。流刑となった罪人たちが監獄島へ送られるときの送迎船もここから出るって聞きましたよ」


 ディーズは驚き、溜め息をはく。


「なるほど、セルさん、あなたはヒェルカナ党員への尋問と、ガレシア教授の逃亡の手助けを兼ねてここへ来たわけですね」

「ビンゴ~! 世界滅亡をうたった思想犯ですからね、ガレシア先生は。禁固刑か流刑なら、絶対に流刑になると思いました」

「ああ、もう……逃亡の手助けだなんて、さすがのレイ様も庇いきれませんよ……」

「ごめんなさい。だから私はもう、ユモラルードへは帰れないや」


 ルゥに黙って出てきたのは、ルゥを共犯者にしたくなかったからだ。嫌われたのかもしれないと思わせてしまうかもしれない。でも犯罪の片棒を担いだと疑われるよりは、よっぽどマシだろう。


「ディーズさん、ここまでついてきてくれてありがとうございます。もう一人で大丈夫です。ルゥに会ったら、私はルゥに感謝していると伝えてください。この世界……いや、国へきて出来た、初めての友達なんで。そしてレイ様にも……迷惑いっぱいかけて、申し訳ございませんと」

「……ご自分で伝えなさい」

「意地悪しないでくださいよー」


 世槞はヘラヘラと笑う。なるべく寂しくなるような別れ方はしたくなかったからだ。だがディーズはすぐにはユモラルードへ戻らないという。


「私はしばらく艦の中で休んでいます。が、セルさん、この三日間休んでいないのはあなたも同じですのに、さらに屋敷へ乗り込むおつもりなのですか」

「でもディーズさんに守られてばかりで、私は何もしてないですよ」

「それを差し引いても、あなたの身体能力は驚異的だ。スミロドンに喰われた傷も、普通の人間であれば死ぬか、回復は見込めない不満足状態に――……」

「“普通は”そうですよね。でも、もう気づいてるんじゃないですか?」


 世槞はにんまりと笑い、軽く手を振った。ディーズはついてこない。ただ「何かあればすぐに助けを求めるように」とだけ言って別れた。


《彼は強かったですね》


 海産物が並べられた露店商の間をすり抜け、真っすぐに屋敷を目指す主人に影が話しかける。ディーズと共にいたときはずっと気配を消していた存在だ。


「うん。たった一人でさ、大型ネコ科古生物たちを十頭以上倒してる。三日間、睡眠も無し。怪我も擦り傷程度。でも彼はシャドウ・コンダクターじゃないとおもう」

《ですね。シャドウ・コンダクターであれば息一つ乱しません。しかし普通の人間――第三者――であることを考慮すれば素晴らしい強さです。グランドティア総司令官が傍に置くのも納得です》

「ベタ褒めじゃん。ディーズさんのこと、気に入ったの?」

《気に入った入らないではなく、彼は信用に足る方だと判断いたしました》

「ん……だね。だからこそ、危険なことに付き合わせられないんだ」


 これから自分が向かうところは、ガレシアからもらった情報を元にしている。あの地下牢で、世槞はこの世界へ来た本当の理由を話した。黒いマントを羽織った男たちに人違いをされた挙げ句、未来から飛ばされてきたこと。するとガレシアはその男たちに心当たりがあると言った。――ヒェルカナ党という謎の団体が数年前より誕生している。そいつらは全員黒い外套を羽織り、世界中から人をさらってきては仲間に引き入れ、従わぬ者は殺している。目的は不明だが、セシルとシャオという名の双子を探している……それだけは知っている、と。

 黒い外套、セシルとシャオ。この二つのワードだけで十分であった。間違いない。――自分たちを襲ったのは、ヒェルカナ党だ。


「あの屋敷へ入ったら、どうなるんだろう。すぐにヒェルカナ党員とエンカウントして戦いモード? それとも普通に受付嬢がいて、「当社長とのアポは取られていますか?」とか聞かれる?」


 屋敷はとても大きい。吸血鬼の館だと言われても納得してしまうくらい、不思議な威圧感がある。


「どんなやつが出てきても、どんな戦いになってもどんな要求をされても、私の目的はただ一つ……」


 迷いはなかった。階段を上りきり、前庭を走り抜け、玄関扉を開けて世槞は叫んだ。


「弟を返せ!!」

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