02.私はシャドウ・コンダクター

 王宮の門番が、世槞の姿を見るなり露骨に嫌な顔をした。その門番は世槞が王宮から脱走する際に制止することができず、レイから厳しい叱咤を受けていた者だった。


「あの、ここにうちの学校の先生が連れて来られたと聞いてきました」

「だからなんだ。何人たりともここを通すなと、レイ様から言い付けられている」


 門番はフンと鼻をならした。私的な感情が多分に含まれていた。


「嘘よ! ユモラルード国王様は王宮内を一般に公開しているはずよ! そしてその意思をレイ様も尊重しておられたわっ」


 すかさずルゥが世槞の援護をした。


「状況が変わったのだ。国王は、ユモラルードを危険に陥らせている極悪人の隔離を徹底せよと我々に命じられた。国民とは一切接触させてはならぬとな」

「こら、嘘をはよくないぞ」


 そのとき王宮の扉が開き、中から屈強な騎士が姿を現した。見たことがある。着用している軍服がユモラルードのものではなかった。門番は騎士を見るなり慌てて頭を下げる。


「こっ、これはディーズ騎士長」


 騎士の名前はディーズ=ハイアット。グランドティア軍の騎士長であり、レイの側近であった。

 ディーズは門番を睨んだあと、世槞とルゥへ振り返る。


「ガレシア教授には、申し訳ないですがしばらく牢屋生活をして頂くこととなったのですよ」

「先生は何をしたんですか?」


 世槞は、この騎士がレイと共に発っていないことに驚き、結果として助かったことを知る。ディーズは世槞の心中を探るように見下ろす。


「昨晩の強盗事件、覚えていますね?」


 世槞は少しギクリとなりつつ、頷く。


「セルさん、あなたの剣を奪った強盗犯はグループかと思われたのですが、違いましてね」


 ディーズは人目を避け、世槞とルゥを応接室へ案内した。


「剣を持って逃走した男と、仲間割れしたとおもわれる男の死体。これらに関係性はありませんでした」

「……そう、なんですか」

「何故関係がないことが判明したかというと、別の場所で発見された死体は聖デルア学園の医学部にて保管されていた献体だったのですよ。三日前に死んだ男性の」

「え……」

「それが何故か街に放り出され、強盗事件の犯人だと騒がれた。騒いだのは――ガレシア教授です」

「……そんな」

「更にガレシア教授は世界の滅亡を国王に訴えた前例もありますから――異端審問官によって裁かれる予定です。強盗殺人事件をでっち上げ、有りもしない世界滅亡をうたった罪は……重いかもしれませんね」

「異端審問官が出る幕ですか? ユモラルードは学術国家なんでしょ? 学問や科学を探求することをむしろすすめてるくらいなのに、どうして異端審問官なんかが存在してるんですか」

「文明開化へ繋がる研究は奨励しています。この国と、世界のためになる。でもそれとは真逆の――世界滅亡は、決して研究してはならない禁事なのです」

「愚かだわ。本来なら迫りくる危機に対処すべき方法を考案し実行するのが政府でしょ。なに逃げてんだよ」

「セルさん……あなたはとても強い人なのでしょうね。ですが国は、民の命全てを預けられているこの国は――脆い鳥籠なのです」

「その脆い鳥籠を頑丈にしようと思わないの。ガレシア先生が予言した滅亡の日を信じないままでいいの。何もしないまま後悔したって……遅いんだから」


 目前に迫る世界の滅亡が真実であると気づいている人間はいないのか。ガレシアのように研究の果てに知った者、または無意識的に感じとることができるシャドウ・コンダクターはいないのか。この世界には、世界を救おうと立ち上がる者は、本当にいないのか。


「ガレシア先生は処刑とかに……なるんですか」

「そこまではならないでしょう。軽くて禁固刑、重くて流刑ですね」

「流刑って……どこに流されるんですか」

「世界中の悪党ばかりを閉じ込めた監獄島という孤島があります。そこへ永住することを命じられます」

「充分……重い。なら、剣を奪ったほうの強盗殺人事件はどうなるんですか?」 

「あれは解決いたしました」

「はあ?!」


 世槞は座らされたソファから立ち上がり、首を振った。


「解決? そんなはずない! だって犯人はまだ捕まってないでしょう?!」

「そちらの強盗犯の死因は、階段から落下し、頭を強く打ったことによる――脳挫傷ですよ。つまり殺人事件ではなく、ただの事故です」

「違う……違う!」


 ディーズは首を強く振って否定する世槞の腕を掴み、部屋の隅にまで連れてゆく。そしてルゥに聞き取れない声でこう言った。


「レイ様があなたを守るために、そういうことにして下さったのですよ! 黙って受け入れなさい!!」

「――――……」


 世槞は信じられないと口を開け、でも何も言えずにいる。


「じゃあ……じゃあ……ガレシア先生も守ってください……先生は私を守るために……あんなでっちあげを……」


 ディーズは悲しげに首を振る。


「残念ながら、捜査に口出しを可能とする我が主は、国を離れております」


 国を相手に太刀打ちする手段も、太刀打ちしてくれる人間もいなかった。世槞はうなだれ、考え、一つだけ頼みを聞いてもらうことにした。


 王宮の地下にそこはある。場所が王宮というだけあり、ここに囚われる者の身分は王族、貴族、軍人など、格式高い者のみに限られる。例外は学者や研究者等の知識人であり、これは一般の牢屋に入れることによって余計な情報が外部に流れることを防ぐためにある。王宮地下の牢獄であれば、衛兵による二十四時間の監視体制が可能であった。

 世槞はディーズに頼み、鉄格子ごしにガレシアと対面することを叶えてもらった。見張りの衛兵もディーズが代わりをすることによって立ち退いてもらい、ルゥにも立ち入らせなかった。狭くて暗く、冷たい部屋で世槞はまず謝罪をした。


「頭をあげなさい。私は謝ってもらいたくて捕らえられたわけではないですよ」


 初老の人間にこんな光りの射さない部屋は辛いだろうに、ガレシアは普段の調子を崩さない。まるでこうなることを予期していたようでもある。


「ガレシア先生は、どうしてそこまでして私を助けてくださるんですか」

「どうして……ね。やはり運命を感じるからでしょうなぁ。世界滅亡を目前として、この世界へ舞い降りた可憐な少女に。しかし私が無茶をせずとも、レイ様が守ってくださったようで……ほっほ、老人は大人しく世界の滅亡を憂いておれという神からの御達示であった」

「レイ様がいらっしゃれば……減刑してもらえたのに」

「ダメですよ、あの方に頼ってばかりでは。最近の国王はレイ様、レイ様、レイ様……甘えすぎています。レイ様は互いに対等な関係を築きにいらっしゃっているのに、国王はレイ様がこの国を助けに来ていると勘違いしている」


 そこにはなんとなく気づいていた。王宮内で、そんなつもりはないだろうにレイの発言力が高まっていた。友好国とはいえ、他国の意見ばかり取り入れてどうするのだろうと、世槞は少しだけ疑問に思っていた。だが世槞は、その力の恩恵に知らず知らずのうちに授かっていた。


「先生は、良くて禁固刑、悪くて流刑なんですって」

「そうなるでしょうなぁ」

「もう一生、学園へ戻れなくなりますよ」

「知っています」

「研究、続けられなくなりますよ」

「続けたくとも、どのみち世界は滅亡しますから」

「もし流刑だった場合、監獄島にはきっと常識の通じないやつがゴロゴロといる。先生なんか、すぐに殺されちゃうよ」

「それもまた運命です」


 刑を目前としてどうしてこの人はこんなに穏やかなのだろう。いや、きっと世界の滅亡を知った日から抗うことを止めているのだ。――それは悲しい。それは生きる人間の姿ではない。


「……先生、私なら、この牢獄からあなたを救い出すことができる」

「ほほう、どのように?」

「この鉄格子も壁も天井も、全てぶち壊すことができる。燃やし尽くしてもいい。または王宮に獰猛な獣を放って騎士たちを混乱させ、それに乗じて逃げることもできる」

「ほっほっほ。それは頼もしい。その力は是非とも、私ではなく世界を救うことに使って頂きたい」

「救えと言われたら救いますよ。でも、ガレシア先生――この世界は、私が生きる世界とは違う。力をもつ者が力を使えない世界、世界滅亡の事実を受け入れない世界、世界滅亡に対して最期まで抗うことができない世界なんです」


 ガレシアは静かに、穏やかに訴えを聞いている。


「昔……と言っても、五千年以上前の大昔の話となりますが……その時代のクロウは、神の力を持った人間たちが統べていたといわれいます」

「神の力?」

「偉大な力です。もう一人の自分を生みだし、姿を変え、形を変え、火や水を、風を大地を操る力。世界中に跋扈する闇を駆逐し光に変え、完璧なる世界の平和が築かれた黄金期です」

「まるで神話だわ」

「そうです。もはや神代の話です。が、私はれっきとしたこのクロウの歴史であると考えております」

「根拠はあるんですか?」

「根拠は目の前に」


 ガレシアは右手の平を世槞へ差し出す。


「クロウの黄金期を再来させるべく、現れたのでしょう――セル=リシイ。あなたは、シャドウ・コンダクターですね。それも、遠い未来の」


 いつから気づいていたのだろう。おそらく最初からだ。世槞は真っ直ぐに淀みのない瞳でこちらを見据えてくる老人に、失礼のないよう、名乗りをあげた。


「その通りです、ガレシア教授。私の名は梨椎世槞。闇炎を司りしシャドウ・コンダクターです。三十億年以上先の未来から、やってきました」


 嘘偽りのない、真実の姿だ。ガレシアは目の端に涙を浮かべ、何度も頷いた。


「闇炎……そうじゃ……やはり、あなたは世界を救いにこられた神の遣い……」

「でも救えなくて困ってますよ」


 世槞は苦笑する。


「それに元々救うつもりもないし。ある事故に巻き込まれて、この世界に飛ばされただけだから」

「それもクロウへ来るための運命の筋書きであるとお考えにはなれませんか?」

「筋書きなんて、冗談じゃない。知りもしない男たちに人違いされて、弟とも引き離されて」

「人違いとは?」


 世槞は困ったように言う。全ての始まりは、有り得ない人違いからだと――


「セシルとシャオを探してる……って言われたんです。だから私と紫遠を連行するって。ほんと、誰? って感じ」


 笑えもしない笑い話のつもりだった。かわいそうに、大変だったね、と、適当に同情してくれれば、それでよかった。


「嗚呼……神よ……世界は、救われたかもしれない……!!」

「ガレシア先生?」


 ガレシアはおいおいと泣いた。嬉し泣きであったように思う。そんなに感動するような話をしたつもりがなかった世槞は困り果てた。


「セルさん……お願いがあります」

「なんでも!! 脱獄なら任せっ……」

「聞かせて頂きたいのです。あなたの世界の話を。このクロウが――滅んだあとの話を」



 世槞は平穏無事のまま王宮をあとにした。すっきりと晴れやかな表情に変わっているのはきっと、満足のいく結果が得られたためだろう。世槞はずっと待ってくれていたルゥと手を繋ぎ、人が減って寂しくなった宿舎へと戻った。

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