09.二人、それぞれ
「ぬぬっ、抜けないですよ、この剣」
主人である青年の後ろを歩きながら、その屈強な騎士は娘から託された美しい剣を抜こうと試みていた。
「私も腕力には自信ありますが、ビクともしませんね。錆びているわけではなさそうなんですけど……剣の形を模した骨董でしょうか」
「愚かな。ディーズ、貴様になんぞその剣が抜けるわけなかろう」
「なんと! ではレイ様にならっ……」
「我でも抜けん。それは、その“凍てつく剣”は――正当な主でないと抜けぬ」
「ほほう。まさかレイ様はこの剣のことを知っておいでで?」
「よく知っておる。だからこそ驚いておるのだ。セルが所持している事実にな――」
「弟の形見であるとご友人の女の子が言ってましたね」
「死んではおらんだろう。剣が輝きを失っておらぬからな。……全く、仕事が増えた。確かシオン……だったか。セルの弟の名は。そいつをなんとしてでも探し出さねばならなくなったわ」
騎士の主人には仕事が多い。だがそれは自ら進んで抱え込んでいるように見える。なんだかんだ言って面倒見のよい主人なのだ。だから国王も国民も、みんな青年を愛しているのだ。
自分よりも遥かに年下であるが、心より尊敬している。
「ディーズ、我はしばらくユモラルードを離れる」
「はい? それは突然ですね。グランドティアへお戻りになられるのですか」
「いや。その剣が“元々あった場所”の様子を見に行こうと思ってな」
「ああ……では長旅となりますね。十日くらいかかるのでは」
「いや、四日以内には戻れる」
「そうですか。かしこまりました。ではその間、赤髪の娘のことは私ディーズ=ハイアットにお任せください」
「ふん、よくわかっておる。軍のほうへは相変わらずユモラルードの防衛力強化に励むよう支持しておけ」
「はっ」
実は主人には秘密がある。とても大きな秘密だ。それを知っているのは大国グランドティアとはいえど、側近たる自分だけ。優越感があるわけではない。その秘密は、隠しておくには非常にもったいない――それだけを強く思う。
*
白い波間を漂っていたように思う。流れに身を任せて、決して逆らわず、衝動を抱えつつも全てを諦めて。
幾度も目が覚めた。そんな気がした。すぐに眠りに落ちるから、もしかしたら夢だったのかもしれない。
「おはようございます。ご気分はいかがですか」
女の声が聞こえる。聞き覚えはない。いつも応えられないから、自分はもう死んでいるのではないだろうか。意識だけが未だ身体にとどまっていて、でも身体を動かせないから、それがもどかしくて。
会いたい人がいる。愛している人だ。近くにいないことだけはっきりとわかるから、死んでいるはずの心がとても痛む。
「もう……ふふ。まるで眠りに堕ちた王子様」
その日の女の声は妙に甘ったるい感じがした。嫌悪感があった。それ以上は思考が巡らなかった。
「起きないの? 無理もないわね。力の源が抜けている状態だもの。今のあなたには、なんの力も無い――空虚な人形」
いつも女の声だけが聞こえる。聞きたくないから耳を塞ぎたいのだが、夢と現実の狭間で揺れ動くこの手が、一体どちらの世界のものかわからない。
「ねぇ、いい加減意地を張るのはお止めなさいな。私なら、いいえ、私たちなら――あなたと共に救えるのよ。この世界を」
手が伸びてくる。しなやかで、綺麗に整えられた女の手だ。ばちん、と、本能でそれを振り払った。
「僕に触るな……汚い」
何十年ぶりに声を出した感覚だ。喋る力も動く力も無いとおもわれたが、自分に触れようとする“あの子以外の肌”が許せなかった。
怒りは、力をたぎらせる。
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