08.強盗犯

 男は全てが上手くいったと思っていた。動物に殺されるかもしれない、衛兵に捕まるかもしれない――あらゆる危険を犯してまで国外へ出て、財宝を発見した。それを持ち帰って兄に見せたら数日後、それを持ち逃げされた。悔しかった。兄を信じた自分、自慢をしてしまった自分が情けなかった。所詮は手癖の悪い兄弟だ。こうなる結末は見えていたのに、質屋として成功した自分ならもう大丈夫だとおごり高ぶっていた。


(また盗んぢまった)


 いや、取り返しただけだ。これは危険を犯してまで自分で見つけた宝だ。あんな得体の知れない小娘が持つことすらおこがましい。

 あの日から兄が帰らず、宝だけが娘のものとなって国へ戻った。何かがおかしかった。


(兄ィの仇でもあるしな)


 きっと兄はもう生きてはいまい。宝だけが戻ってきたのがその証拠だ。


(あんな兄ィでも血の繋がった兄弟だ。愚かだがいなくなっちまうとやっぱ寂しいもんだなァ)


 石畳の道を走りながら、男は空を見上げた。今夜は満月の夜だった。


「なぁ兄ィ、あの綺麗な剣よ、オレが取り戻したぜー」


 勝利の報告だ。今はいない兄へ向けて、今度こそ自慢をした。それが間違いだった。

 視界が反転し、男は脳の処理が追いつかないまま階段を転げ落ちる。自分で階段を踏み外したのかと思ったがそうではない。後頭部を蹴られたのだ。しかしおかしい。自分はこう見えて百八十以上の高さの身長があるのに、しかも走っていたところを蹴ることが可能な人間なんて――

 鈍痛を抱え、巡りの悪い思考で男は夜空を見上げる。月は見えない。代わりに少女の顔が見えた。


「やっぱテメーか、質屋」


 赤い髪に、蒼い瞳。とても可憐な顔をしているのに吐き出される声は低く、言葉は荒い。


「あ、ぅぉ、お……お、前……」


 少女の顔に見覚えがあった。いや、はっきりと覚えていた。だから部屋を特定して盗みに入れたのだから。だが男の記憶の中にある少女はこんな姿ではなかった。


「私が背負う剣をジロジロ見てると思ったら、盗もうと思ってたわけだ。身の程知らずが」


 白い手が伸びる。男は反射的に剣を抱きかかえ、うずくまるようにして逃れた。また衝撃が走る。次は背中だ。背骨が折れたような厭な音がして、男は唸り声をあげる。


「えぃ、衛兵を……呼ぶ、ぞ」

「は? どうやって? 携帯電話も無いくせに?」


 少女は嘲笑った。よくわからない単語を使って。


「返せ。その剣が私にとってどれだけ大切なものか知りもしないくせに、軽々しく盗んでんじゃねえぞ」


 少女は男の腕の中から剣を取り上げた。凄まじい力と速さがあった。男は悔し涙を流し、怒りをこみあげる。俺が見つけた剣を横取りしやがって。――殺してやる。殺意が芽生えた。

 よろよろと立ち上がろうとする男の顔を蹴り飛ばし、少女は容赦なく宣言する。


「言っとくけど今からお前殺すから。あん? だってさ、私の顔とか職業とかバレてるし、警察に通報されたら私が終わりじゃん」


――警察?

 男は朦朧とする意識の中で、殺意だけを胸に秘めて立ち上がる。そんな力は、とうに失われているはずなのに。

 その姿を見て少女はにやりと笑った。


「やりー! 影人の出来上がり! これで私は正当にお前を殺すことができる。あ、でもやっぱり私が殺ったってことは内密にね!」


 少女は最後まで理解のできない言葉を並べていた。

 携帯電話とはなんだ。

 警察とはなんだ。

 影人とは……なんだ。


 ぐしゃりと脳が潰れる音が耳に届いた。薄れゆく視界にうつる自分の足――その下に黒い影は、なかった。


 *


 月明かりしか届かない路地裏で、世槞は男の死体を見下ろしていた。影人化した男の頭を潰し、機能停止にまで追い込んだが死体には他にも打撲の痕があった。始末するにあたって必要のない攻撃であったが、止められなかったのだ。今になって自分がしでかした事の重大さを思い知る。

 世槞は白く輝く剣を取り戻した手を震わせ、後始末に頭を悩ませた。


「どうする……これ。燃やしちまうか。骨まで燃やせば証拠は消える」

《もう遅いですよ。こちらへ近づく何者かの足音が聞こえます》

「マジかー。これで私も一生無人島暮らし確定……」


 足音は走っているのか出現が早かった。世槞は観念したように目をつむり、早くも逃走生活について考えていた。だが。


「セルー!! 大丈夫?!」


 現れたのはルゥだった。目にいっぱい涙を溜め、世槞に抱き着く。


「盗賊の仲間割れがあったらしいわ! 向こうでも男の死体が見つかったの。世槞が無事でよかったぁぁー!!」

「……え?」


 世槞は目をぱちくりとさせ、ルゥの背中をぽんぽんと叩く。


(どういうこと……?)


 考えがまとまらないうちに足音が増え、衛兵たちが続々と姿を見せる。


「デルア学園の生徒が見つかりました! ……こら、君! 無茶をしちゃいけないじゃないか!!」


 衛兵の一人が世槞を叱り、怪我は無いか心配をする。

 どうやら世槞は疑われていないらしい。それどころか心配をされる始末だ。盗賊の仲間割れという新情報もよくわからない。


(まさか同時刻に強盗事件が他にもあったってことかな。それと同一視されている? とにかく、私は運が良かったってこと……?)


 独り無人島生活を免れられる。世槞はホッと胸を撫で下ろし、死体を検分する衛兵たちを見守る。やがて宿舎へ戻るよう命じられ、世槞は釈然とせずとも安堵をし、剣を抱えたまま来た道を戻ろうとした。


「――また会(お)うたの、赤髪の娘」


 そこで再会するはめとなったのが、青髪の総司令官だ。軍事国家グランドティアの――実質的権力を握る若き将軍。


「レイ……さま」


 はしゃぐルゥの隣りで、世槞は心臓を大きく跳ねさせていた。

 まさか強盗騒ぎ程度で他国のトップが出てくるのかと思ったが、レイはユモラルードの防衛力の向上に力を注いでいる最中だ。考えてみれば、様子を見に、そして騎士たちを叱咤するために出てくるのは当然だった。

 厄介な人がお出ましだ。世槞は正直にそう思った。


「セル、おぬしはトラブルメーカーなのか? 行く先々で事件に巻き込まれてくれる。またはおぬしが招いておるのか」

「そんなつもりは、ありません」

「ふん。あってたまるか」


 レイは男の遺体を見下ろし、眉間にシワを寄せた。


「酷い有様だの。向こうの強盗の死体と比べて、私怨が感ぜられる。こやつらは一体、何が原因で仲間割れをしたのだ……」


 世槞は気付かれないように肩を震わせ、剣を強く抱きしめた。レイが世槞が抱えているものに気付いたのは、その直後である。


「セル、なにを大切そうに抱えておる」

「あっ、レイ様ぁ、強盗はこのセルの剣を盗みに入ったんですよー! で、追いかけてて」


 ルゥが余計な情報を提示する。世槞は動揺を隠しきれなくなる。


「……剣、だと?」


 レイの表情が変化した。一点に注がれる視線は、この白銀の剣に向けてだ。


「この剣を盗みに?」

「……はぃ」


 世槞は喉奥から絞り出すように声を出した。怪しまれるかと思ったが、周りの衛兵たちは強盗への恐怖ゆえのものだと誤判断していた。


「それを如何にして取り戻した?」

「……拾ったんです。その男の近くに、落ちてましたから」

「ほう。ではセルがここへ到着したときは男はすでに死んでいたと申すか」

「はい」

「犯人の姿は見ておらぬのか」

「暗かったですから……いたとしても……」

「物音などは?」

「わからないです。必死に追いかけてましたので」


 レイは質問をしつつも視線を剣から外さない。


「ところでその剣だが、一度、軍のほうで預からせてもらうが、良いか」

「どうしてですか」

「殺人事件の犯人を探しあてる証拠になるやもしれんからな。――それに」


 レイはずいっと世槞に近寄る。背が高く、威圧感もあり、世槞は胸中で悲鳴をあげた。

 

「何故、ごく普通の小娘であるおぬしがその様な剣を大切そうに抱えているのか――興味がある」

「い……嫌、です」


 この剣だけはどうしても渡せない。たとえ相手が最高権力をもつ圧倒的存在でも、反抗すれば殺される可能性があっても、それだけは譲れない。

 世槞は唇を震わせながら、後ずさる。いつもなら調子よく「レイ様に服従しなさい」くらいの軽口を叩くルゥも、世槞の尋常ならざる雰囲気を感じ取っていた。


「レイ様、失礼ながら部外者の発言をお許しください。……この剣はセルの弟くんの形見なんです。セルは危険を省みず、剣を取り戻すために身を挺してきました。あまりに綺麗だから色眼鏡で見られがちですけど、たくさんの想いの詰まった宝物なんです。だから、取り上げないでください!」


 ルゥは世槞を庇うようにレイとの間に割って入る。世槞は驚き、ルゥの横顔を見つめた。――震えていた。

 レイはしばらくルゥの顔を見下ろしていたが、溜め息を吐いて首を振る。


「なにも没収しようとしているわけではない。しばらくの間、我に託せと言うておるのだ。どうせ宿舎に置いておいては、どのみちまた盗みに入られよう」


 レイの言うことは一理あった。世槞は悩み、泣きそうになりながらルゥを見つめた。ルゥは頷く。世槞は目を閉じ、一大決心をするかのように大きく深呼吸をし、抱えていた剣をレイへ差し出した。レイは剣を受け取り、控えていた従者の騎士へ託す。

 男の死体を回収し、レイは衛兵たちと共に現場から引き上げる。固定されたようにその場から動かない世槞に、一言だけ添えた。


「良い友を持ったな」


 数秒後に世槞が頷いた時には、レイの姿は見えなくなっていた。

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