03.式典にて
門の番を任されているユモラルード王国の衛兵たちの表情が固くなっている。いや門番だけではなく、今ここにいる全員に緊張が走っている。
昨晩、遅くに怪我人の少女が王宮を抜け出したのだ。ただの少女だ。それも獰猛な肉食獣スミロドンに寄ってたかって貪り喰われていた重体人である。奇跡的な回復を成し遂げたとはいえ、国と、国王を守るべき騎士が脱走を許したとなっては国の防衛力に疑いが生じる大問題とまで発展している。
更に運の悪いことに、学術国家であるユモラルードに数日前から軍事国家グランドティアの総司令官が滞在しているの。理由は友好条約締結のためだが、友好国となる相手が防衛力にずさんとあっては何かとまずい。この脱走問題は軍事会議にまで取り上げられ、しばらくは騎士全員が防衛力強化のための事業に狩り出される始末となりそうだ。
「いくら中立国の学術国家とはいえ、防衛力に乏しいと他国から見れば恰好の餌食となり、速やかに侵略されるであろう。それどころか獣の侵入すら許してしまう可能性があるというのに……随分と平和ボケしておるの、この国の者たちは」
城下町を見下ろせるテラスにて、この国の行く末を案じている青年がいる。この者は軍事国家グランドティアよりユモラルード王国との友好条約締結のために派遣された総司令官――レイ=シャインシェザーである。グランドティア軍の総指揮を任された重役であり、また、国外で倒れていた世槞を王宮医務室まで運ばせた張本人である。
「国王をはじめとし、兵たち全員に事の重大さを説いてはみたものの、皆、心ここにあらずといった様子か」
「そうですかね? 軍事会議でレイ様が具体的な防衛策を提示なされたとき、満場一致で施行することが決定なされたではありませんか」
レイの傍らに常時控えている騎士が返事をする。
「まぁ――……この国の皆さま、ただ単にレイ様が怖いだけなのでしょうがね。なんてったって、戦では負け知らずの軍神ですから!」
「それでは困る。我は恐怖政治を敷きにきたわけではない。ユモラルードが大切に育んでいる知識とその技術――そして国民たちを護りたいのみぞ」
「深く承知しておりますよ。我々は、ね」
数時間後に開かれる友好条約締結の式典を目前にし、レイは早々に肩を落としていた。日夜戦いに明け暮れている自国と、海を隔てた大陸にあるこの国の平穏ぶりに目眩を覚えていた。
「しかし、本当にどこへ行ってしまわれたのでしょうねぇ、あの赤髪のお嬢さん――」
騎士が呟く。今回、頭を痛める問題となった少女のことだ。
「おそらく弟を探しに行ったのだろうな」
「弟、ですか」
「双子らしい。行方がわからぬようでな」
「残念ですが無事ではないでしょうね。お嬢さんがすでに死ぬ直前まで喰い散らかされていたのですから、弟さんが傍にいたのであれば、すでに」
「わからぬぞ? 驚異的な回復力をもったあの娘の家族だ。同じくどこかで死に損なっておるやもしれん」
「驚異的な回復力……まさしく。門番の話では、鍛え抜いた大人の男が追いつけないほどの脚力で門を走り抜けたということですから」
「まったく……嵐のような娘であったわ。しかし平和ボケしたユモラルードに身を引締める機会を与えてくれたことは称賛に値する」
行く末が気にならないわけでない。だが引き止めてもどうせすぐにいなくなっていたであろうことは容易に想像ができた。名前は、故郷はどこなのか、これからどうするのか――世話を焼いておくべきだったのか今ではわからない。大勢いる国民の中で、一人を特別扱いするわけにもいかない。結局はこれでよかったのかもしれないと、思い直すことにした。
「ささ、レイ様。式典の時間が迫ってきました。従者が着替えを手伝いますので、衣装室へご移動願います」
ユモラルードへ入国したその日より王宮から遣わされた召使いがグランドティア総司令官期間限定の従者となっていた。従者の男は深々と頭を垂れる。レイと目を合わせることすら恐れ多いというように、一向にこちらを見ようとしないまま黙々と作業をする。レイは溜め息を吐きそうになりながらも、それを耐えた。
式典はユモラルード王宮の空中庭園にて行われた。王宮の中でありながら草木が生い茂り、川が流れ、小型動物が走り回り、小さな大地を表現している。更に国を一望できる高さにあり、ここは国王自慢の庭であった。
式典には一般の国民も参加が許された。王室はむしろそれを奨励していた。かの大国グランドティアとの友好条約は国民の人気取りに都合が良く、また他国への牽制にもなる。ユモラルード王はこれを良い機会として自国の更なる発展を国民とグランドティア総司令官に宣言した。
「心を震わすほどの歓声……もとい、黄色い声、かな」
しかし式典は国王の想像を遥かに凌ぐ盛り上がりを見せていた。空中庭園は収容可能人数を超えて国民が押し寄せてごった返っており、王宮の外にまで人々が群がる始末となっていた。一目見て女性が多く、頬を赤く染めながらきゃあきゃあと口々に騒いでいる。友好条約締結という堅い式典に似つかわしくない雰囲気である。
国王はその原因となっている青年を一瞥する。自分の隣に、同等の身分としてそこに立つ青髪の青年――グランドティア軍総司令官レイ=シャインシェザーである。額と両耳に金色の十字架のアクセサリーをつけており、同性から見てもその麗しい顔立ちと鍛え抜かれた身体には目を見張るものがある。弱冠二十三歳――若くして軍の最高幹部にまで上り詰めた男の強さと美しさに誰もが酔いしれる。女たちが騒ぐのも当然のことかと、国王は苦笑した。
「……慣れておりますので、ご心配なく」
レイは表情一つ変えることなく、国民からの熱い視線を受け流している。だがその涼しげな視線がある場所で停止する。
「なんと、まさか」
国王はここで初めて青年が驚く様子を見た。青年の視線の先を追うが、国王の瞳には特に特徴のない国民たちしか映らない。
「ディーズ」
レイが名を呼ぶ。呼ばれたのは、いつも傍らに控えている大柄の騎士の名だ。
「はい」
「庭園の出入り口であの娘を足止めせい」
「娘……ですか?」
空中庭園の出入り口では、まだ式典が終わっていないというのに帰ろうとしている者がいた。ディーズにとってそれは有り得ない光景であり、すぐさまレイの意図を汲み取った。レイは類い稀なる風貌のせいで特に女性からの人気が高い。そのレイを前にして途中で席を立つ女性は今までの経験上から言っても数少ない。その場合、必ずと言っていいほどレイの存在が女性にとって不利益である時のみ、いなくなるのだ。
ディーズは人ごみを掻き分け、目的の娘を探す。目印は、“赤い髪”だ。
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