02.白銀の剣


 手入れが施されていない草木をかきわけ、あてずっぽうに進む。自分は国外で発見されたと、あの青年は言っていた。だから持ち物が落ちているとするならここだ。あまりに広大な“外”だが、探さなくてはならない。


 月が落ち、陽が顔を覗かせる時間帯――世界は白みはじめ、薄い霧が立ち込めはじめた。世槞は何時間も同じ体勢で大地を移動していたため、立ち上がったときに貧血にも似たふらつきを感じた。そのとき右足がぬるぬるとした地面に踏みあたり、転倒をした。それが血であることがすぐにわかった。それも、自身の。


「あっ……あったあ!!」


 自らの血肉に埋もれていた白くて薄い機械。この時代に似合わない文明機器。世槞は肉片をかきわけてスマートフォンを取りだし、電源がつくことを確認するとすぐに電話帳から弟の名前を呼び出し、通話ボタンを押した。


《……繋がるわけがないことは、わかっておられるはずなのに……確かめずにはいられないのですね》


 声がした。影の声だ。


「……だって、紫遠は生きてるから。殺されてなんかいない。喰われるわけもない。私を残して……死ぬはずない!」


 呼び出し音は鳴らない。電波の具合とか、向こうの電源が切れているとか、そんな次元の問題ではない。


「あいつは生まれる前から一緒なの」

《存じております》

「いつでも私の傍にいて、小言言うの。私のやること成すこと全て気に入らないみたいで、文句ばっかり」

《そうですね》

「でも助けてくれた。いつも、私の身が危なくなったら必ず現れて……手を引っ張ってくれた……」

《…………》

「ねえ紫遠、お前どこで何してんの? 私、喰われてたんだよ? 助けに来いよ……いつもみたいに!!」


 どこへも繋がっていないスマートフォンへ向けて怒鳴り、世槞は大声をあげて泣いた。子供みたいだなと感じながらも、止められない。


「私にもっと力があったら……あんな男たちを皆殺しにできるくらいの……!!」


 泣き声に引き寄せられ、のっしりと現れたのは大型の肉食獣だ。体長は三メートルもあり、ネコ科の動物であることがわかった。朝早いこの時間帯は“狩り”のようで、無防備でまぬけなエサを求めてそれが三体、顔を出した。世槞は涙を拭い、獣と対峙する。


「こんな動物……動物園でもテレビでもネットでも見たことがない」


 百獣の王ライオンでも、ネコ科最大サイズのトラでもない。その動物は首が非常に太く、筋骨たくましく、牙と爪がやたら立派に成長しており、顎には乾いているが赤い血が付着している。しかしどの特徴よりも勝るものは、四つの手足が全て人間のそれであったことだ。


《人間と古生物のハイブリッドです》

「……つまり、影人化した人間に取り込まれた動物……ってやつ?」

《ご明察。影獣(かげのけもの)――と呼ばれていましたね》

「でも、今までそんなの聞いたことも見たこともないけど」

《ええ、そうですとも。世槞様がお生まれになられた文明世界ではすでに滅びた存在ですから》

「ということは、“この世界”は――」

《はい。“地球文明が始まる前の地球”です》


 思わず漏れたのは笑いだ。こんなめちゃくちゃな話があるか。どうやら自分は、歴史として習ったことのある地球よりも遥か以前の地球へ――いわばタイムスリップしてしまったらしい。


「お前はなんでも知ってるのね」

《私が生まれたのも、この時代ですから》

「へえ、初耳」

《……黙っておりまして申し訳ございません。未来を生きる世槞様には必要のない情報だと判断しておりましたので》

「確かにね。でも現にこうして過去世界へ来てしまったのだから、お前がもつ情報全てを開示してもらわないと」

《…………》


 影はわかりやすいほどに言い淀み、話を変える。


《お気づきかと思いますが、世槞様を食べていた獣はこいつらです。いえ、正しく言うと一族というか――》

「……あ、そう。それでお前は自分の主人が喰われている様をみすみす見過ごしていたわけだ」

《申し訳ございません。ですがお言葉ではありますが、私どものような存在は、“名前”を呼んで頂けませんと助けに参れません》

「そーね。私はあのとき気を失っていたから……致し方ない。でもやっぱりお前は役立たず」

《……ごもっともです》

「でも、挽回のチャンスをあげる。こいつらを始末して、紫遠を探すことに協力しなさい」

《喜んで》

「……はぁ、本当はもっと泣いていたい。失ってから弟の大切さに気付いた私の愚かさにね。でも泣いてる時間があるくらいなら、紫遠を探すことに充てることにするよ」

《信じておられるのですか》

「いるよ。紫遠もきっと、この世界のどこかに」


 そう信じたいという願望ではない。儚くはあるが、根拠がある。

 しばらく様子を伺っていた獣たちが一斉に攻撃を仕掛ける。輪をつくってその中に獲物を取り囲み、逃げ場を無くした。目は血走り、粘り気のある涎を垂らし、獲物を逃がさないよう集中している。


「……私はね、別に私を食べていた張本人であっても憎まないし殺すつもりもない。だって、食べないと生きていけないんでしょ? それが自然だもん。悪くない。でも……襲った理由が別にあるなら許さない。そう、例えば――」


 ――世界を傾かせるため、とか。


 影に乗っ取りられた哀れな人間と動物。その存在は世界に危機をもたらす。ならば始末しなくてはならない。それが自分たちの指命だから。 


「私が死ぬまで食べておけば、自らの敗北を味わう必要なかったんだよ。だって私はそう簡単には死なない――闇炎を司りしシャドウ・コンダクター、梨椎世槞様ですから!」


 獣には何を喋っているのか理解できないだろう。だが敵と対峙した際に“名乗り”をあげることは習わしであるし、なにより癖になってしまった。世槞はこの世界で“普段通り”の自分を取り戻すことを決めたのだ。


「さぁ行け、羅洛緋(ららくひ)!!」


 世槞は名前を呼んだ。自身の影の名前だ。瞬間、足元から“紫色の炎”が唸り声をあげてほとばしった。ぐるぐると渦を巻いた炎が世槞の身体を取り巻く。その背後よりむっくりと姿を現したのは――漆黒の獣。体長五メートル、頭は三つに尾が二本。地獄の門番ケルベロスだ。――これは闇炎を司るシャドウ・コンダクター、梨椎世槞の下僕である。

 太く雄雄しい足で大地を鳴らし、地底から響く低い声で唸り声をあげ、血濡れた赤い瞳で獣たちを威嚇した。

 ネコ科の獣たちは瞬時に体高を低くし、しっぽを後ろ足の間に挟む。自分たちよりも圧倒的に強い存在の出現に平伏すが遅く、羅洛緋と呼ばれたケルベロスは紫色の炎を纏いながら、獣たちを次々と噛み殺してゆく。

 狩猟側が破れ、大地に番犬の咆哮が鳴り響く。勝利の音だ。しかしすぐに別の獣の気配が現れる。


《この死肉を求めて新たな肉食獣が接近しています。世槞様、如何なされますか》

「自然界は弱肉強食ね……。影獣でないなら無駄な殺しはしたくないし、餌ならくれてやるわ。とりあえず……戻るか……あの国に」


 世槞が羅洛緋と共にその場から離れると、すぐに獣たちが死肉に群がる。同じく大型ネコ科のようだったが、種族は違うように見えた。赤い鬣が特徴的で、身体にはヒョウのような模様があった。

 朝日がまぶしい。世槞は太陽に背を向け、出てきたばかりの国を眺めた。とにかく今はあそこに頼るしかない。お金を所持していなければ、戸籍も無い。住む家も食べ物も服も何も得られない。先のことを考えると路頭に迷いそうになるが、なんとかするしかない。

 世槞は知らず知らず深い溜め息を吐いており、心配そうに見つめてくる番犬の顔に気付いて無理やり微笑んだ。


「大丈夫大丈夫。もし紫遠が私と同じ境遇に陥ってたら、きっとどんな手段を使ってでも生きて私を探し出すだろうし、私もそれを真似するだけ。……方法はこれから考える」


 前向きな姿勢を見せる主人を見て羅洛緋は納得し、姿を隠すように世槞の足元へと消える。そこにはしばらく消えていた黒い影が戻っていた。

 再び城壁を登って国内に戻ろうとしていた世槞のすぐ近くを薄汚い身なりの小男が走り抜ける。世槞はすぐに警戒をするが男はこちらに用があるわけではないらしく、ちらりと一瞥しただけですぐにどこかへ走り去っていった。


「なんだ、あいつ……泥棒みたいな……」

《世槞様! あの者、剣を抱き抱えていましたよ》

「そう? よく見えなかったけど」

《なにを呑気な! 忘れたのですか? あれは、あの日――紫遠様に託された古びた剣ではありませんか!!》


 世槞は聞くなり弾かれたように走り出していた。


「ちょっとー! その剣どうするつもりー?! 売る気か! どうせ拾ったんだろうけど元は私のものなのよ、返せー!!」


 叫びつけながら男のあとを追う。すぐに追いついたのは、男がネコ科の獣に襲われていたためだ。


「う、っわあぁ?! なんでここにマカイロドゥスがいるんだっ……ぁああ……こいつらの生息域はもっと……南……のはずなのに……!!」


 影獣の死肉に引き寄せられた獣に男は囲まれ、手足を喰いちぎられ、頭を噛み潰され、あっという間に肉塊へと変わっていった。


「あんたたち、マカイロドゥスっていうんだー。泥棒を退治してくれてありがとう!」


 世槞が近づくとマカイロドゥスと呼ばれた種の獣たちは男の一部をくわえたまま、しっぽを巻いて逃げてゆく。残されたのは汚い布切れと、陽の光に照らされて白銀に輝く美しい剣だ。世槞は目を見開いた。


「え? これ……本当にあの灰かぶりの剣? 綺麗すぎる。ねえ羅洛緋、見間違いじゃない?」


 スマートフォンと共に落としてしまった剣が、新品同様となって戻ってきた感覚である。そんな類の昔話を思い出していた。


《元の世界へ戻って、本来の姿を取り戻したのでしょう》


 羅洛緋は言う。世槞は半信半疑のまま剣を拾い上げる。重さや形状など、確かにあの古びた剣と似ている。抜けないところまで似ていた。


「ウッソー。抜けないんですけどー。紫遠は確かに抜いてたように見えたけど……」


 剣は骨董品のようにずっしりと重く、固い。ただ見事な装飾と散りばめられた宝石がとても綺麗で、家で発見したときほどのおどろおどろしさは感ぜられない。思わず見惚れてしまうほどの輝きが、灰かぶりだった頃と同一とは思えない根拠だ。

 世槞は鞘に付けられた革のベルトを利用して肩に背負い、その重さに辟易としながら城壁を登った。


《そんなに重いですか?》

「うん。ノートパソコンを背負ってる感覚。おかしいよな、私はシャドウ・コンダクターなんだからこれくらいコピー用紙一枚分の軽さに感じないといけないのに~」

《……まぁ、一般人向けに造られたものではありませんから》


 世槞は石造りの民家の間で立ち止まり、足下の黒い影を睨みつける。


「へえ! お前この剣のことも知ってるんだ! 家で発見したときは何も喋らなかったくせに、この世界へ来てから随分口が軽いわね!」

《……申し訳ございません。未来を生きる世槞様には、必要のない情報だと……》

「そればっかり! じゃあこの過去世界に来たから教えてくれる?! 紫遠はどこ?! あの黒い服の男たちは何者?!」

《それはわかりかねます》


 羅洛緋は申し訳なさげに、しかしぴしゃりと言い捨てる。


「セシルとシャオは?! 誰なのこの人たち?!」

《……わかりかねます》

「ハっ! わかんないこともあるんだ? この世界にきたのに……あー……」


 世槞は髪の毛をかきむしり、疲れたのかぐったりと頭を垂れる。そして最後の質問をする。


「……いい加減“この世界”っていうの面倒くさくなった。地球とは呼べないし。この世界のこと、あんたたちはなんて呼んでたの?」


 おそらくその質問への回答は懐かしく、そして同時に誇らしいものだったのだろう。影は大きさを少しだけ膨らませ――こう答えた。

 

《クロウ――です》

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