第二章 クロウ

01.ここはどこ?

「人が血を流して倒れています!」

「死んでおるのか?」

「いえ、僅かですがまだ息があるようです」

「では早急に王宮医務室へ運ぶがよい。ただし助かるかどうかは、この娘の運次第だがの」


 遠いところでそんな会話が聞こえていた。返事はしない。する必要がないと思っていた。その会話は自分とは関係のない次元の話だと考えていたからだ。


 *


「驚きですよ」


 騎士の男が走り寄りながら言う。


「何がだ。この国の平穏ぶりがか?」


 少し皮肉を込めつつ、青年は言う。騎士はゴホンと咳ばらいをする。


「あ、まぁ確かにユモラルードは平和ですよ。ではなくて、先日、我々がユモラルード王国へ入国する直前に発見した娘のことなのですが……」

「死んだのか」

「いえいえ! むしろその逆で」

「無事なら報告なぞ必要ないわ。民は大事だが一人一人の動向までは気にかけてやる時間は無い」

「申し訳ございません。しかし、あまりの目覚ましい回復ぶりに私も医師も驚いておりまして。身体機能に問題は見つけられませんでした。数日以内に目を覚ますと思われます」


 積み重なった書類の山から顔をあげ、青年はここで初めて騎士の顔を見た。そして感嘆の息を漏らす。


「ほう。発見したときの状態ではとうに死んでいてもおかしくない姿であり、また生きながらえたとしても五体満足にはゆかないだろうと哀れみを感じていたのだが」

「まさしく、私もそう思っておりました。いやぁ、生命の神秘を垣間見た気がしますよ」


 呑気なやつだ。騎士の反応を見て青年はそう思った。

 一呼吸を置いてから再び書類の山へと目を向ける。ペンを走らせるがすぐに止まる。青年は考えこむように書類を睨みつけ、椅子から立ち上がる。


「レイ様、どこへっ?!」


 騎士は、おもむろに部屋から出てゆく青年の名を慌てて口にする。我が主人は、休憩時以外では決して仕事の手を休めないはずなのに。


「我も少し気になった。民の一人を見舞うとしよう」


 *


 少女が長く閉じていた目を開けると、そこには爽快に晴れた青空があった。手を翳すと、透けて見えてしまうほどの日差しが眩しく、少し目を細める。風が心地好い。頬を優しく撫で、微笑むようにして流れてゆく。草が思い思いに揺れる。


「ここは……」


 どこだろう。感触からして、草の上で寝ていたようだ。頭がぼんやりとする。とても長い間眠っていたような気さえする。記憶が曖昧で、眠る前のことが思い出せない。幸い、自分の名前やその他細かな情報に関しては覚えていた。

 長い時間を寝ていたためか身体がひどく重く、少しよじるだけで全身から軋むような音がする。腹に違和感を覚え、触ると包帯が巻かれていることに気づく。

 上体を起こす。そのとき目に溜まっていたものが頬を伝って腿へ落ちた。


「泣いていたのか」


 ふいに声をかけられ、少女は少し身体を奮わせた。聞き覚えのない声の持ち主へ視線をやると、そこにはやはり見たことのない青年がおり、こちらを見下ろしていた。

 青年は少女の反応を受けて口調を穏やかにする。


「ここは空中庭園ぞ。医師が風にあたると良いと言っていたのでな、ぬしを連れてきたのだ。どうやら正解だったらしいの」


 疑問に対する返答があった。今しがた起きたばかりの少女――梨椎世槞は、流れ込む多くの情報を処理しきれずそのまま無視をする。そんなことよりも大切な何かを忘れている気がするからだ。


「何故泣いておる?」


 止めどなく流れ落ちる涙に作用しているのは、悲しみの気持ちだ。世槞は考える。何故、悲しい?


「……あの……弟は、どこですか」

「弟? おぬしのか?」

「はい。私と同じ顔をした……双子なんです。一緒に……いたはずなんですけど……」

「我々がおぬしを発見したときは、他には誰もおらんかったが」

「……発見?」

「そうだ。死ぬ直前だったのだぞ。なんせ、おぬしの身体は肉食獣たちの餌となっていたのだからな」

「えっ? は……? エサ、ですか??」

「左様。偶然我々が通りかからねばおぬしは今頃すべて消化されて草木の肥料となっていただろうな」


 視界がぐるりと回る。めまいがしたのだ。青年の表現が直接的で、簡単に想像力が働いた。世槞は目をつむり、頭から手足の爪先までの感覚を確かめる。どこも欠損していない。だが頭の整理がつかない。両手で頭を抱え、左右に振る。


「弟……は……」

「他に喰い散らかされたような遺体はなかった。運良く逃げおおせたか、巣に運ばれたか……」


 視界がぐるぐると回り続ける。吐き気を覚える。今すぐにでも弟の安否を確認しなくてはならないのに、太い脚と爪で身体を抑えつけられ、鋭い牙が何度も突き刺さり、肉をかじり取られていく感触が今になって蘇る。


(ダメだ……意識が……遠くなる。紫遠……どこに行ったの……)


「ワケ有りのようだの。我で良ければ話を聞くが」


 青年にしては珍しくそう提案するが、世槞が再び意識を手放した事に気がつき、ヤレヤレと両肩をすくめた。



 次に目が覚めたのは同日の夜だ。陽が落ち、気温が下がっていた。世槞は月明かりしか届かない暗い室内で眠らされていた。おそらく病室のようなものだろう。白で統一された空間のため、そんなイメージが湧いた。

 自分以外には誰もおらず、ガランとしている。空中庭園とかいう場所ではなさそうだ。あの見知らぬ青年がここまで運んだのかもしれない。


「……紫遠」


 ここがどこなのかなんてことは、どうでもいい。世槞には、探さなくてはならない大切な家族がいた。

 世槞はあの日のことを思い浮かべる。家の中で吹き荒れた吹雪、黒い外套を羽織った男たち、弟との――


「初めてだったのにな……キス……ってやつ」


 今もこの唇に残る感触は、とても儚げだ。どうして弟がそんなことをしたのかわからない。よくドラマや映画などで見るのは、死を覚悟した者が別れ際、最期にする類のもの。


「あいつ、まさか、死を覚悟していたの……?」


 本来なら他にも意味はあるはずなのだが、よくある甘い恋愛系を観たことのない世槞にとってキスはイコール“死”を表していた。


「紫遠……紫遠……」


 考えれば考えるほど呼吸が荒くなり、心臓が激しく鼓動する。世槞は服をまさぐってスマートフォンを探すが着用しているものは簡素なものに変えられていた。青年が世槞は喰われていたと言っていたから、そのときに持ち物を全てバラまいてしまったのかもしれない。

 世槞はベッドから飛び降り、置かれたスリッパを無視して扉へと走る。足の裏がぞくぞくと冷たくなる。扉を開いた先の世界は、いわゆるきらびやかな宮殿のような様相で、世槞は頭を振りながら廊下を走り抜ける。


(なにここ……見たことない……日本じゃない……!)


 思い出せば青年も日本人の特徴を持っていなかった。肌が白く、目が青かったから、ここは白人が住む国なのかもしれない。


(でもっ……でもっ……なんか、なんか、古い!)


 豪華絢爛な建物から外へ飛び出す。大きな両開きの扉が開かれたままの状態だったが、寝ずの番をしている男2人に呼び止められる。世槞はその声を振り払い、冷たい石畳みの道を走り抜ける。


(あれは騎士だ……。鎧と、兜と、盾と、剣を装備している。世界史の教科書とかで見たことある。それにこの町並み……まさに城下町みたいな……)


 速度を緩めず、少しだけ背後を振り返る。息を飲んだ。先ほどまで自分が寝かされていた建物は、とんでもなく大きくて広く、豪華な装飾が施された――“王宮”だった。

 世槞は泣きたくなる心を叱咤し、町を見る。酒屋の軒先では泥酔した男性が居眠りをしているが、その服のデザインも、今自分が着ている患者着も見慣れない。石造りの建物、石造りの水路、石造りの城壁――全て、絵に描いたような古い時代の産物だ。


(私、なんでこんな“世界”にいるの)


 ここが“現代ではない”ことが――薄々感じていたことを今まさに現実として叩き付けられた瞬間であった。


 おそらくこの国の玄関と思われる門まで辿り着くが、当然ながら固く閉ざされていた。見張りの騎士もいる。突破するのは先ほどのように簡単だが、余計なトラブルを招く。世槞は方向を変え、およそ十メートルの高さのある城壁を一度のジャンプで軽々と飛び越えてみせた。これで外へ出ることができる――


「え……」


 外を覗き見て世槞は思わず声を漏らす。城壁から見渡せたのは、一面の草原だ。それ以外なにもない。地平線がどこまでも遠く伸びている。


「なに……これ……ほんとうにタイムスリップしたみたいじゃない……昔の……ヨーロッパ、とかに……」


 力が抜けそうになる。意識も吹き飛ぶかもしれない。世槞はぐっと腹に力をこめ、城壁を滑り降りて“国外”へと出た。

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