02.祭壇の謎
学校へ行った世槞は、上の空で授業に出席していた。教師に名指しされ、黒板に書かれた方程式を解けと言われても頭が回らず、怒られ、クラスメイトたちからは笑われ、それでも尚なにも考えられず、やはり上の空のまま放課後を迎えた。
昨晩の、あの錆びた剣と地下室のことが頭から離れないのだ。奇妙さと微量の恐怖が世槞の足元をふらつかせる。
「カウンセリングでも受けたらどうだ? 世槞の兄さんは精神科医も兼ねてるだろ」
放課後になっても帰る気が起きず、机に突っ伏しているとふいに声がかけられた。顔をあげるとそこには紫遠と同じクラスメイトの——相模七叉(さがみかずさ)が立ってこちらを見下ろしていた。
「世槞、今日一日ずっとぼうっとしてるだろ。そっちのクラスが校庭で体育の授業をしているとき、俺たちのクラスの窓から様子が見えたんだけど、バレーボールのボールを何度も顔面に受けてたよな」
普段のお前ならまず有り得ない。そう付け加え、七叉は笑った。
「ま、普通なら青痣ができるなり鼻血が出るなりするんだろうが——世槞は“俺たちと同じ側の人種”だから免れてるけど、さすがに女の子なんだから顔の怪我は気をつけような」
少し長めの前髪をセンターで分けた少年は、本当はなにも心配などしていないようで、クスクスと笑っている。
「今日の自分がいつもの調子じゃないことくらいわかってるよ。それにカウンセリングなんかじゃ解決しない。そもそも、愁のカウンセリングはちょっと強引というか、脅し気味というか……“この俺が貴様の壊れた心を治してやるんだから感謝しろ”っていわれてるみたいで怖い」
「ははっ、違いない。梨椎先生は敏腕だけど、怖いよな」
今、この戸無瀬高等学校二年普通科Aの教室には世槞と七叉しかいない。他の者は帰宅しているか、部活動に勤しんでいるためだ。そのためか、二人は他者に聞こえてはいけない会話を平然と交わしている。
「ねえ、七叉……実はさ、昨日——……」
「地下室にあったはずの剣が弟の部屋にあったんだろ?」
「なんで知ってるのよ……!」
「紫遠から聞いた。俺はあいつと一番仲良しだからな」
「あー、そう」
「なかなか興味深いから、ちょっと調べようと思ってな」
「……なにを、どうやって?」
「そりゃあ本でだ」
家に帰りたくなかった世槞はそのまま七叉のあとをついていく。
「まあ正直なところ、一般人——それも学校に蔵書されてる程度のものじゃあ調べられる限度もたかがしれてると思うけど、一番身近だしなぁ」
「なに言ってんの?」
七叉は歴史の本が集められている本棚で愚痴を漏らす。
「俺の見立てではあの地下室は、相当昔からお前たちの家の下にあったとおもうんだよ」
「……ぽいよね、あの古さは」
「紫遠から写真を何枚かもらってるんだけど——……」
七叉は制服の胸ポケットから取り出したスマートフォンで、紫遠から送られたという写真を確認している。いつの間に写真なんか、と驚き、世槞は七叉の指の動きを目で追う。
「んー……どの時代、国とも当てはまらないなぁ……この建築様式、というか、祭壇のような配置、装飾……建築意図もわからない。何を奉っていたのか、はたまた復活を願ったのか……」
「国が不明って……ここ、ずっと日本なんでしょ?」
「まあ、な。諸説あるけど、とりあえず縄文時代くらいからは。でも地下室の建築レベルは文明でいうとヨーロッパの中世に近いんだよ。でもここは日本だし……日本の中に西洋風の建築様式があっても不思議ではないけど、造りがどの国から影響を受けたものかわからないんだ。もしかしたら当時の日本人の独自の案なのか、それとも……」
「それとも?」
七叉は難しい表情をする。この考えを言うべきか言わないべきか、迷っているようだ。
「突飛な考えだから信じないでほしいんだけど、もしかしたらこの世界が創世される前のものかもしれない」
「——はっ??」
七叉は苦笑する。自分でも言っていることの可笑しさに気づいているらしい。
「この世界——たとえば地球文明と言おうか。地球文明が形成される前の文明の遺産が、梨椎の家の地下室に残ってたんじゃないのかって」
「……え、SF……」
「ははっ、だよな。もはや創作の世界だよな。でもさ、文明は極みまで到達すると滅び、また一から再スタートするっていうだろ? きっと、今の地球文明みたいに発達しすぎた文明が一度滅びてるんだよ——。この世界で」
気が遠くなるほど果てない昔に、確かに誰かがつくったあの地下室。目的はわからないが、それは前世界の文明が存在したという証拠になるのかもしれない。
「でも……そんな大昔の建築物が今も残ってるはずは……」
「そう! それなんだよ問題はー。これは西洋かぶれの日本人が西洋風の祭壇を趣味で作っちゃいました程度の答えで終わらせておくほうが平和だとおもうんだが、まだ剣という難題も残されている」
「それが一番ヤバい気がするんだけど。だって、空間移動しちゃってるんだよ、あの剣。亡霊じゃん。恐すぎ」
「生前、あの剣を誰が所持していたか、だ。相当な念が込められているとみた。これは調べ甲斐がある」
目に見えてわかるほど、七叉は興奮していた。紫遠から相談されたからだけではなく、自らも謎の解明に意気込んでいる。だが。
「もうお手上げなんでしょ? 地球文明ができる前の記録なんて、あるわけが」
「というわけで俺は本部——シャドウ・システムへ戻る」
「諦めるんだ?」
「違う違う。組織のデータベースならなにかわかるかもってな」
「ええ~。さすがに組織も地球文明ができてから結成された軍隊でしょー」
「いや、確かに人間の寿命にも記憶にも限りはある。けど、シャドウには無い」
「……。あ」
な? ——と七叉は笑ってみせた。
「そう。俺たちシャドウ・コンダクターが従えている下僕シャドウは——……不滅の存在だ。たとえ俺が死んでも次の主人のもとに宿る。記憶とともに」
シャドウ・システムは、シャドウ・コンダクターだけでない、シャドウの記憶をもってつくられている組織なのだ。
「審判を司る俺の下僕、白輝(はっき)が言うには、白輝自身は地球文明生まれらしい。だからそれ以前の世界の歴史は知らない。が、シャドウ・システムの総帥アブソリュート様のシャドウはかなり昔から存在していそうなんだよ。雰囲気が」
「あ——……さすがというか、なんというか」
「世槞も来るか? 本部。総帥がお喜びになるぞ」
「絶対イヤ。だって、あそこ新興宗教かってごとく強引に勧誘してくるんだもん」
「はは。まあ許してくれ。本部だって、世界の均等を保つために必死なんだよ」
「知ってるけど、私も紫遠も、自由に影人狩りしたいのよ。命令されてから影人を殺しに行くのはイヤ。第一、愁が許さないから。ほら、前に私と紫遠が強制的に本部に収監されたことえるでしょ? そのときの愁ったら……本部ごと潰す勢いで乗り込んできたんだから」
「あの時は死を覚悟した。梨椎先生はシャドウ・コンダクターじゃないのに、何故だかすごく——頭を下げなくちゃならない相手だと強迫観念にかられてしまう気迫を放ってて、恐ろしかった」
「私たちの親代わりですから」
七叉はずっと笑っている。シャドウ・システムに属していながらも中立の立場を保ってくれている、良い友達だ。
「じゃあ、なにかわかったら報告する。そっちは地下室へはあまり近づかないようにな」
「死んでも近づかないわ」
七叉と話したことにより、世槞はいくばくか不安にかられていた気持ちをすっきりとさせ、自分の足元にある黒い影へと視線を落とした。
「ねぇ、お前はいつから存在してるの? 地球文明から? その前から?」
当然抱く疑問は、少しばかりの興味本位からだ。聞いたところで地下室の謎は解けないだろうが、本当に地球文明が始まる前の時代があるならば知っておきたい。
《さぁ……。なにぶん遠い昔のことですから、憶えておりません》
世槞の影は記憶が遠くなるほど長く存在しているようで、返答は曖昧としていた。
帰宅するために保健室へ向かう。学校を出る前に保健室へ寄るのは日課だ。何故なら、そこの保健医は世槞の兄であり、下校する前に顔を見せることをきつく言い付けられているのである。
「愁ー。もう帰るね」
扉を開くとふわりと薬品の香りが鼻につく。白を基調とした内装はとても落ち着く雰囲気がある。
部屋の中央にある机は一つで、回転椅子に腰掛けている男性がこちらを振り返る。
白衣と、そしてこの真っ白い部屋に似つかわしくない赤い髪は世槞と同じ。——梨椎愁(りしいしゅう)、世槞と紫遠の兄だ。
愁は眼鏡をかけ直し、妹の姿を見定めるなり目を細める。
「担任の飛鳥先生に聞いたぞ。世槞、お前、今日は授業態度が悪かったらしいな」
開口一番、鋭く突き刺さる言葉を投げつけられ、世槞は「うぅ」と唸る。
「ごめんなさい……」
どんな言い分もしょせん兄の前では幼稚な言い訳に終わる。わかっているから、世槞は謝ることしかできない。
「なにか悩みがあるなら聞くが、もし甘えからくる態度なら保護者としてお前に罰を与えねばならないな」
「あっ、是非とも罰でお願いします」
兄のカウンセリングは苦手だ。心を直せと命令を受けている気分になる。だから世槞は即座に罰を選んだ。愁は眉間にシワを寄せる。
「……もういい。帰ってゆっくり休め。今日は許すが、明日からも同じ態度ならばこちらも対応を考えなくてはならなくなるからな」
「……はい。ごめんなさい」
世槞は兄の顔を直視することができず、逃げるように扉を閉めた。閉める直前に「話をするときは人の目を見て話せ」とも怒られたが、構わなかった。
なまじ美形なだけに兄が怒っているときの顔は凄みが強い。直視するともう奮えが止まらなくなる。幼い頃に両親を亡くし、親代わりとして自分たちを育ててくれたから恩が強いぶん、絶対的服従を強いられている気分にもなる。感謝はしているが。
「且つ、勉強面でもシャドウ・コンダクターとしての能力面でも紫遠が優秀だから余計に私が劣って見えるんだろうなー……」
つい声に出た不満を誰にも聞かれていないだろうかと世槞は周囲に気を配る。劣等感を抱いているわけではないが、他者に聞かれるとみっともない愚痴であることはわかっていた。世槞はほっと安堵し、とぼとぼと歩きだした。
夕暮れ時の下校道は静かな住宅街で、幸い、世槞以外に人の気配はしない——はずだった。その気配は、“急に”姿を現した。
最初は夕日がぐにゃりと歪んだのだとおもった。オレンジ色の空に溶け込んでいたそいつが己の存在を主張し、真っ赤な服を陽気に振り乱して踊り狂う。今にもタンバリンの音と拍手喝采が聞こえてきそうだ。
世槞の眼前には——金色の巻き毛、顔に笑顔の仮面を貼りつけ、真っ赤でボリュームのあるつなぎを着用したピエロが器用なポーズで立っている。
世槞はまたか、とため息を吐き、この神出鬼没のピエロに対して驚きの態度を取らなかった。
「道化師……いや、アブソリュートだっけ。今度はなんの用?」
アブソリュートと呼ばれたピエロは、自分だけにしかわからないメロディラインに乗せてステップを踏みながらこう言う。
「俺の宝が盗まれた。可哀相だと思わねェか、ケケケッ」
ピエロは口先だけで笑うような独特な笑い声をあげる。訴えの内容とは対照的に、特に困ってはいないようだ。
「被害届なら警察へどうぞ」
「ケケケ!! 警察に言ってどうにかなるなら大した盗難物じゃねェーよ!」
「はぁ、で、どんなご大層なものを盗られたの? 興味ないけど一応聞いてあげる」
「答えるぜ。そりゃあもう真っすぐお日様に向かって真実をよォ。そして少しばかしテメェにアドバイスをしてやろうと思い立ってよォ、わざわざ待ち伏せしてやったんだよぉこのオレサマが!! ケケケッ」
世槞はピエロを見ない。ピエロはいつも本題をなかなか話そうとせず、無駄な話が多いため、聞き流すことが得策であると少しの経験でわかったためだ。
ピエロもそんなことはわかっている。だがあえて、このキャラクターを突き通すために無駄を演じている。本音を、真実を——ひた隠しにするために。
「——“ラ・メルの鍵輪”」
聞いたことのない発音と単語に、世槞は更に口を大きく開けた。
「はあ……それが何」
「大昔な、時を司るシャドウ・コンダクターが制作した貴重な道具でよぉ、時を操ることができる素晴らし~い宝なんだぜ。シャドウ・システム総本部——ヴェル・ド・シャトーにあるオレサマの部屋に大切に保管してたんだよ。 それが!! ある日!! 姿が透明となってオレサマの元を離れやがったァァァ!!!! もうレプリカしか残ってねぇエエエエ!!」
「……警察へどうぞ」
どう聞いても、やはり自分とは関係のない話だ。世槞はこれ以上付き合うことを拒否し、ピエロの横をすり抜ける。
「世槞よぉ、オレサマは宣言するぜ。ケケケッ」
尚もピエロは悪あがきのようなしつこさを見せた。世槞は構わず歩き続ける。
「テメェはこれから大事件に巻き込まれる。長い歴史の中で見れば些細な出来事かもしれねェがお前にとっては人生を左右するレベルのものだ」
——……あー……はいはい。それで?
声に出すことすら億劫で、世槞は心の中で返事をした。
「決して負けるな、とか、恐れるな、とか、そんな陳腐な台詞は存在しねェ。オレが伝えたいのはただ一つ」
世槞は立ち止まり、腕を組み、首をもたげる。時間の無駄に付き合わされていることに気怠さを隠しきれないのだ。
「これからお前が向かう先でオレに出会うだろう」
「……??」
「ま、仲良くしてやってくれ」
「あ、ついに狂ってしまわれました?」
「そして戻ってくるんだ。必ず、な」
「おいおい」
無駄な時間——ピエロは相も変わらず理解の範疇を越えたアドバイスを残し、塵のように消えてゆく。そのたびに残されるのはモヤモヤとした気持ちと、ピエロが消えたあとの小さな星屑だけ。
気にする必要はない。いつものことだから。世槞は長い息を吐いて痛む頭を抱え、再び帰路についた。
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