姉弟結び*

伯灼ろこ

第一章 ハジマリ

01.古びた剣

 生まれて初めてのキスの相手は、双子の弟でした。

 弟はそのまま行方不明となる。

 私は、なんとしてでもあいつを見つけ出し、何故そんなことをしたのか問いたださなくては気が済まないのだ。


 *


 見渡せばどこまでも広がる草原と、この石造りの建物と、ここに住まう人々の服装は私が生きている時代のものではない。いや、忠実なる私の“下僕”が言うには、世界そのものが違うらしい。

 弟にキスをされたあの日から全てが変わってしまった。私が生まれ育った家も街も時代も世界も——今はどこか遠いところにあるようだ。


《ですが、ただ唯一の共通点ならばございます》


 私の忠実なる下僕が言う。足元にある黒い影が揺れる。


《世界の傾き——この世界は、今まさに崩壊しようとしています》


 忠実なる下僕は私に急げとせっつく。早く弟を見つけだして、一緒に元の世界へ帰れと。

 そもそも、弟が私と同じこの世界に飛ばされているとも限らないし、元の世界へと帰る方法なんてわからないけれど、とにかく、時間が無いことだけは確からしい。


「わかってる。あいつは——紫遠(しおん)は、私が見つけだして一発ぶん殴る」


 私は忠実なる下僕に宣言した。足元の黒い影は静かになっていた。

 私は今、この世界に溶け込むようにこの世界の服を着て、この世界の人間と会話をし、この世界の学校へと通っている。とりあえずの衣食住を確保し、弟を探すための拠点作りは目処が立った。


「まず整理をしよう。この世界はお前いわく、惑星クロウという——地球文明が生まれる前の文明で、私はその惑星クロウにあるリッド大陸の学術国家ユモラルード王国に滞在していて、聖デルア学園の生徒になっている。そして今から紫遠を連れ去ったであろうヒェルカナ党員の隠れ屋敷——港町シーサイドにあるらしい——へ切り込みに行って、居場所を聞きだす。救い出す。帰る。一見落着」

《それでいきましょう》

「ノリノリね、珍しく」

《崩壊寸前のこんな世界に長居したくないですから》

「ふーん……まあいいわ。そうと決まれば梨椎世槞(りしいせる)ちゃん、そろそろ本気出しますから」


 私は夕空へと右手を伸ばした。鮮やかなオレンジ色の空が紫色に歪み、渦を巻いたように舞い上がる炎が私の全身を包む。熱くはない。きっと、私だけは。


 *


「……ひゃっ……危ない危ない。間違えて普通の人間を殺すところだった」


 赤い髪の少女――梨椎世槞はそそっかしい。自らの使命を進んでこなす良面がある一方、考えなく直感で動くことが多いためミスが多い。まだ十五歳だから、などと言った理由は間違い殺人には該当しない。


《世槞様! だからあれほど慎重にと忠告したでしょう! この日本国において貴女は、死刑宣告を受けたいのですか!!》


 世槞の影が激しく揺れ、主人である十五歳の少女を叱咤する。その声は地響きがするほど低く、まるで地底の悪魔が産声をあげたようなものであった。

 世槞はペロッと小さく舌を出し、月に照らされた仄暗い夜道を掛けてゆく人影を目で追いながら、周囲の気配に神経を尖らせた。


「いやー、まさかさー、影人(かげびと)以外に生き物がいると思わなくてー。ていうか紛らわしいのはあの人間! どうしてこんな夜中の十二時にゴーストタウンをうろついてんの?! 影人の気配無くても殺(あや)めますって」


 そそっかしさを軽快なリズムの冗談で飛ばすのも、この少女らしい一面でもある。

 足元にある黒い影が冷ややかな視線を送ってきた気がして、世槞は軽口を閉じた。


《……さっさとそこの死体を片付けて戻りますよ》


 世槞は自分の影の声に従い、廃ビルの陰に隠していた中年男性の遺体を引きずり出す。その死体は奇妙なもので、硫酸でもかけられたのか全身の肉がどろどろに溶けており、随所にあるボコボコとした気泡が皮膚を押し上げている。他に奇妙な点をあげるとするならば、大きく開かれた口の奥に、中年の女性の顔が覗いていたところか。


《これは影人の寄生型ですね。おそらく元は夫婦の二人だったのでしょう。妻がどうして“夫の生皮を着て生活していた”のかは知りませんが……》

「人間が影人になっちゃう理由は様々なんでしょ? きっと、この夫婦にも色々事情があったのよ。とは言え、世界を崩壊させて良い理由にはならないけど」


 世槞は“夫婦の遺体”に両手を翳した。すると、両手の平から滲み出るように発生した“紫色の炎”が遺体をぐるりと包み込み、骨の欠片すら残さずに溶かし——燃やした。


《これでまた一つ、“世界の傾き”は修正されましたね。闇炎を司りし影操師(シャドウ・コンダクター)——梨椎世槞様、我が主人(あるじ)よ》


 世槞は満足そうに頷き、立ち上がる。暗闇でもわかる赤い髪は、燃え上がる炎のように夜風になびいていた。


 ここは某所にある街——月夜見市(つくよみし)だ。名の由来は、日本の中で最も月が綺麗に見える場所であるから、らしい。しかし夜中でもかまわず電気の明かりで蔓延した街は、その名に相応しくなくなったようだ。

 世槞は月夜見市の小高い丘の上に建つ実家へと戻る。館と表現すべきその建物は、明治期に建てられたものを何度も改修して使われてきた歴史あるものだ。庭も広く、使用人専用の居住スペースも未だ残されており、住まう家族が三人だけという点を除けば、誰もが一度は住みたいと憧れる理想の城であった。


「ただいま」


 家族が寝静まった真夜中にただいまもおかしいかなと考えながら、世槞は玄関扉を閉めた。広い玄関ホールの中央を走る階段を上り、真っ直ぐに自室を目指す。今日は朝に学校へ登校したきり一度も帰っていないから、服は制服のままだ。十歳離れた兄に見つかっては、また小言を言われる。世槞はなるべく音を立てぬよう、二階の廊下へと一歩、踏み込んだ。

 そのとき意識なく視線が流れたのは、自室の隣りの部屋だ。そこは双子の弟の部屋で、扉が少し、開いていた。あの几帳面な弟が閉め忘れなんて珍しい。姉である自分が閉めてあげようと、普段ならば絶対にとらない行動を起こしたのはやはり——事件の前触れだったのかもしれない。

 部屋に弟はいなかった。


(トイレかな?)


 いや、さっき手洗い場を見たが中に人がいる気配はなかった。


(まぁどっか出掛けてるのかもしれないか。珍しいけど)


 弟にも使命がある。だが世槞のように忠実ではない。相変わらず几帳面に整理整頓された部屋を一瞥し、扉を閉めようとした。その手が止まったのは、窓際に置かれた時代錯誤の代物が視界に飛び込んできたためである。


《あれは……まさか。世槞様、お待ちを》


 影の声を無視して世槞は中へ侵入し、その物を手にした。固くて、冷たいそれはずっしりとした重さがある。長さは百三十センチほど。


「わっ……これ剣じゃん?! ロングソードってやつ? レプリカとかじゃない。この現実感、影操師専用の召喚武器ってわけでもなさそう。だってあいつの武器は氷銃と氷刃だもんな……。ってことはこれガチのやつだー、すげー。でも……」


 錆びている。弟の部屋にあった古びた長剣は、装飾こそ素晴らしいがかなりの年代物であるらしく錆びついており、鞘から抜くことができないほど固くなっていた。


「なんだよ、これ。もはや骨董品じゃん」


 舞い上がった心はすぐに落ち着き、まるで地中から発掘されたかのごとく当時の輝きを失った剣は、唐突にして邪魔な置物に見えてきた。


「……姉さん、なにしてるの」


 背後から声がかけられ、心臓がドクンと跳ねた。思わず放してしまった剣が鈍い音を立てて床に倒れる。

 世槞は慌てて振り返り、ぎこちなく笑った。


「えっと! あのー……ごめん。骨董品……落としちゃった……」


 部屋の入り口に立っていたのは、そっくりそのまま世槞の性別だけを変えたような少年だった。色素の薄い肌には血色感が無く、赤い髪だけがやけに目立つ。病的な印象を受けるがそれは世槞自身も同じことだ。


「ど、どこ行ってたの?」


 弟は答えず、世槞の足元に横たわる剣をじっと見つめている。


「怒ってる?」

「別に。そんなことはどうでもいい。ただ、それは……」

「ごめんなさい!! た、たぶん壊れてはいないはずよ! でもかなり古いモノよね。どこの骨董屋で買ったの? ていうか紫遠にそんな趣向あったの知らなかった」


 雰囲気を和ますため、世槞は身振り手振り加えて軽快な調子で言葉を紡ぐ。そそっかしい少女は、しかし場の空気を敏感に感じ取ってより良い方向へ導く方法には長けていた。それが通じない相手では意味を成さないが。


「これは僕のものじゃない」


 弟——梨椎紫遠は、素っ気なく否定をすると剣を拾い上げて部屋を出る。世槞はこのまま自室に行くことが憚られる気がして、後をついていくことにした。


「ねえ、どこ行くのっ?」


 おそらく剣を元の置き場所へ戻しにいくのだろうが、紫遠が館の外へ出て裏庭へまわったとき、さすがに世槞は声をあげた。

 紫遠は裏庭にある物置小屋に入り、様々な生活用具でごった返した場所を整理してゆく。

 奇妙な空気を感じ始めた世槞は、弟の行動を黙って見守るしかない。心なしか、足元の影が固く凍りついていた。

 道具が退けられ、木の床板が顔を出す。一カ所だけ外れるように細工された場所を、ためらいなく外す。外された床の下を覗くと、そこには鉄製の扉が地面から顔を出していた。——地下室への扉だ。

 思わぬところで生家の知らない一面を目撃することとなり、世槞はギョッとする。


「ちょっと……なに、これ」


 扉の取っ手には種々様々な鍵が取り付けられ、厳重に封印が施してある。紫遠はその一つ一つを丁寧に外してゆく。やがて重い扉が持ち上げられ、中から淀んだ空気が溢れ出る。地中奥深く続く階段は底なしの沼のようで、降りることがためらわれた。

 ——行きたくない。

 嫌な汗が流れる。本能的に身体がそれ以上の進行を停止させる。何本もの黒い手が手招きをしている感覚。どうしてかはわからないが、絶対に足を踏み入れてはならない気がしてならなかった。

 そんな世槞の気持ちをよそに、紫遠はするすると闇の中へと身体を沈めていく。弟を独りにしてはいけないと咄嗟に判断し、世槞は重い足を引きずって暗い穴へ身を投じた。

 内部は想像以上に埃っぽく、ひんやりと肌寒く、そして暗い。闇が全身に纏わり付く。


「暗くてなにも見えない……。紫遠のやつ、目ん玉に赤外線でも埋め込んでやがるのかしら」


 世槞は右手の平を広げ、ライト代わりとして紫色の炎を燈した。周辺が明るくなったと同時に、身体を支えるために手をつけていた壁が赤黒く染まっていることに気づく。


(……ううっ!!)


 手を離した途端に足を滑らせ、世槞は階段から転がり落ちた。落ちてわかったがここは石作りの部屋で、冷たくて固い石に全身をぶたれ、小さく唸り声をあげた。


「……なんでついてきたんだ」


 感覚にして十段以上は落ちている。全身を襲う鈍痛に堪えながら、弟からの憎たらしい口撃を受けた。

 先に地下室へたどり着いていた紫遠は、ため息を隠せないまま姉の身体を抱き起こし、怪我の有無を確認する。


「膝、擦りむいてるよ」

「うるっさいな……。どうせ一分後には治ってるわよ。私はシャドウ・コンダクターなんだから」


 世槞は弟の腕の中から逃れ、痛む膝を無視して立ち上がった。

 紫遠はヤレヤレといった調子で肩をすくめ、地下室の奥へと進む。そこにはランプが左右の壁に備えつけられており、中にあるロウソクに火をつける。ぼんわりと明るくなった地下室は、五メートル四方の狭い部屋であることがわかる。かなり古く、いつの時代のものなのか見当もつかない。

 世槞はその中央にあるものを目視した途端に口をつぐみ、両手の拳をギュッと握って胸にあてた。


「祭壇だ……」

「そう」

「なんのための?」

「わからない」


 そう、そこには祭壇があった。

 漫画の中でしか見たことがないような祭壇と、それを取り囲む魔法陣。豪華絢爛というわけではなく、暗い地下室にお似合いの簡素なものだ。それが余計におどろおどろしさを醸し出しており、何故こんなものが自分の家の地下にあるのか、一体いつから存在するのか——壁一面の赤黒い染みとあわせ、世槞は生まれて初めてといっても過言ではないほど怯えた。自分でもどうしてここまで怖いと感じるのかわからず、その得体の知れない恐怖にもまた怯えた。

 怯える姉の姿を見下ろし、紫遠はここを早く出るべきと考えた。

 紫遠は持ってきた剣を無造作に放り投げると、世槞の腕を掴んで半ば強引に地上へと這い出た。

 世槞の震えが身体ごしに伝わり、紫遠は後悔をする。こんな姉の姿を見るのは初めてであるし、見たくもない。

 紫遠は地下室の扉を再び厳重に施錠すると世槞の手を握り、家の中へ戻る。


「この剣はね、さっきの地下室にあったんだ」

「……え……?」


 世槞の声にいつもの力強さは無い。


「遥か昔――この梨椎の家が建てられる前からあの部屋にあるらしいんだ。あくまで愁から聞いた話だけど」

「遥か昔って、どれくらい?」

「気が遠くなるほど。十年前に一度、僕が地下室への扉を開いているのだけれど、それ以来は一切、足を踏み入れていない。鍵は僕が管理しているし、愁もここの存在は知っているけれど入ったことは無いらしい。――つまり」

「つまり?」

「剣が僕の部屋にあるなんてこと、あるわけがない」

「……でも、その錆びた剣は確かに……」


 紫遠は押し黙る。答えようがないのだ。

 正体不明の恐怖は形を成して足を生やし、今にもあの地下室から這い出してきそうだ。世槞は弟の手を握り返し、足早に二階への階段を駆け上がった。

 しばらく手を離せないでいた。紫遠は苦笑し、小さな子どもをあやすように世槞の頭を撫でて——


「何があっても君は僕が護ってあげるって——昔、そう約束したじゃない」


 昔からよく言っているお馴染みの台詞を吐き、姉に寝るよう促した。


「護ってなんか、要らない」

「はいはい」


 しかし別れ際、忠告のようにこれだけを言う。


「もうあの剣にも、部屋にも近寄らない方がいいよ」


 反論させぬ紫遠の気迫に負け、世槞は口を噤む。

 部屋へ戻り、一人考える。

 やけに静かな夜だ。動物の鳴き声や、風の音すらしない。思えば自分の影すらも一言も発していないことに気づく。

 今夜は皆が変だ。何かを知っている弟も、いつも口うるさい影の沈黙も、必要以上に怯えている自分も。


「落ち着かない——……」


 暗い部屋に月明かりだけが差し込む。膝の擦りむいた痕はすでに消え、綺麗な肌色が完成している。

 その日は眠ることができず、翌朝、食卓で兄の愁と顔を合わせたけど紫遠は剣の話題など微塵にも出さずに、他愛のない会話を交わしていた。


 世槞は、口を開けなかった。

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