第六便 間接キスなんて言わないでっ!

 お兄ちゃんがアクセルを踏んだ。

 道は意外に平坦だ。アスファルトほどじゃないけれど、思ったよりは跳ねない。

「時速40㎞~50㎞くらいなら安定してるね。馬車の車輪で踏み固められてるのかな?」

 でも、順調な割にお兄ちゃんの歯切れが悪い。

「どうしたの?」

「うーん、例えば、ここが異世界、それもありがちなヨーロッパ中世的世界だとしたら、こんなに道路がいいもんかな、って思ってね」

「それはそうかもだけど」

「まあ、今考えてもしょうがないか。歴史のことなんか知らない俺にわかるわけもないしね。それより、3馬時ってどのくらいだろう」

「わからない。ひ、じゃなくてこの子の言った言葉がそう言う訳語になったってだけ」

「そうか」


 役に立たない。

 悲しい。


「ていうか、フッフ、通訳できるんだ、すごいね」


 褒められた!

 嬉しい!

 自称女神様、ありがとう!

『都合のいい時だけは女神〝様〟ですか?』

 って声が聴こえる気がする。

 聴こえないけど。


「そもそも、時間の単位だってわからないしね」

 そういう大事なところは、インストールされた辞書にはないみたい。

 あの、××女神!

「まあいいや。とにかく進んでみよう。何か目印になるものや、帰る手掛かりになるものが見つかるかもしれないし」

「帰るって?」

「もちろん、元の世界に」


「あ、そ、そうだよね」


 そうだ。


 お兄ちゃんは普通の人だし、こんな訳の分からないところにいるより、元の世界がいいんだ。

 もちろんオレだって、こんな未舗装道路よりアスファルトの方がいい。

 でも、元の世界に戻ったら、オレは……。


「あ、でも、元の世界に戻ったら、フッフは喋れなくなっちゃうのか。それはそれで寂しいね」

 お兄ちゃん!

「何とか、フッフが喋れるまま戻れるといいね。戻れることになったら、その女神様にお願いしよう」

「うん!」

 女神様! お願いします!

 なんて祈ってたら、お兄ちゃんが少しアクセルを緩めた。

「あ、あれ、さっきの」

 ヘッドライトに照らし出された先に、さっき解放された馬が見えた。

「馬が帰巣してるとしたら、方向は合ってるってことかな?」

 お兄ちゃんはそう言うと、もう少しアクセルを踏み込む。時速六十㎞くらいでも、それほど跳ねない。

 馬の横を通り過ぎる瞬間、馬が少しこっちを見たのが分かった。

 馬?

「馬、かな?」

 オレが思うと同時にお兄ちゃんが呟いた。

 やっぱ気が合う。

「ね?馬みたいだけど、ちょっと違うよね」

「俺もそう思う」

「うん、オレもそう思ったけど」

「まあ、全体的に馬っぽいのは確かだし」

「うう」

 お兄ちゃんじゃない声が聴こえた。

 ヒメスだ。

「苦しそうだ」

 お兄ちゃんが呟く。そして何かをガサガサと探った。ハンドル操作がふらつく。

「ゴクッ、ゴクッ」

 あれ?何かを飲み込む音がする。

 え、まさか?

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「苦しそうだから、ペットボトルの水を飲ませた」


 きゃーーーーーーっ!?

 まさかお兄ちゃんの飲みかけを!?

 間接キス!?


 お姫様抱っこの次は、間接キス!?

 ただの野良メスの分際で!

 いきなりヒロイン昇格なんて、ぜ、絶対許さない!


「大丈夫ですか?」

 通じるはずもないのに、お兄ちゃんが訊く。

 しかもまた敬語。

 必要ないよ! こんな小娘の野良メス!

 

 返事はない。

 よし死んだ!

「意識がもうろうとしているみたいだ」


 ちぇっ。

 そのまま闇に消えればいいのに。


「でも、頭がドアに当たっていたそうだね。もともと人が乗るような助手席でもないし」


 お兄ちゃんが走りながらまたガサゴソやってる。

 ま、まさか?

 まさかまさかまさかまさか?

 う、う、腕枕!?


 お兄ちゃん。

 オレのガマンも、そろそろ限界だよ?


「仮眠用の枕をあてがったから、さっきよりましか」


 ……。


 ふう。


 死ぬかと思った。

 オレが「死ぬ」って、どうなるのか知らないけど。

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