第四便 辞書にないなんて言わないでっ!

 お兄ちゃんの声が少し低くなった。

 ほんとだ。

 オレにも聞こえる。

 あまり聞きなれない、地面をたたくような音。

 それと、あまり聞きたくない、地面を削るような音。


「馬車だ」

「馬車?」


 音が大きくなり、馬車が視界に入った。

 二頭の馬が牽引する馬車。荷台の後方には旗がなびいている。

 すれ違いざま、手綱を持つ馭者が振り返った。


 月明かりに照らし出された顔は、女性?


 いや。

 女の子?


 視線は確実に運転席から覗くお兄ちゃんを見てる。

 顔を赤くして、額から汗を垂らして。


「あ、いい男」


 って感じ?


 いやらしいメス、さっさと去れ!

 御者は又前を向いた。馬車が遠ざかる。

「大丈夫かな?」

 お兄ちゃんの心配そうな声がする。

「あの荷車、バランスがすごく悪そうだ」

 お兄ちゃんがそう言った瞬間、荷車は大きく揺れた。一度左側の車輪が大きく跳ね上がり、それから地面にたたきつけられた。車輪が外れ、荷車は左に傾き、積み荷が崩れた。

馬はかろうじて止まったが、馭者は投げ出され、地面に倒れた。


 お兄ちゃんがサイドブレーキを外してギアを入れる。

「え、お兄ちゃん、どうするの?」

「とりあえず助けないと!」

 お兄ちゃんはそう言ってアクセルを踏んだ。すぐに現場に追いつき、オレから降りて落ちた馭者を抱き起す。


 ドアを閉める間もないくらい焦って。

 ちゃんとサイドブレーキは引いてくれたけど。


「大丈夫ですか?」

 お兄ちゃんが声をかける。

「すごい汗だ」

 お兄ちゃんが額に手を当てる。

「でも、熱はないみたい。外傷も目立ったものはないけど、息が荒い。相当疲れてるみたいだ」


「フッフ?」

 

 あ、あのメス、今何か言った?

「あ、気が付いた?」

 お兄ちゃんが呟く。

 メスが薄目を開けている。

 そして、トロンと発情した目で、お兄ちゃんを見てる!


「フッフ」


 ……じゃなくて、オレを見てる?


 え?

 お兄ちゃんじゃなくて、オレ?

 は、オレ、あんたなんかに興味ないし。

 なんて言ってる場合じゃない。


 そうだ!

 あの自称女神、オレに翻訳機能をつけてくれたんだっけ。

 ここでちゃんと翻訳して活躍すれば、きっとお兄ちゃん。


「やっぱり、俺には君しかいないよ」


 って言ってくるかも。

 よし、早速翻訳機能起動だ。



「『フッフ』に該当する日本語はありません」

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