第三便 エンジンを切らないでっ!

「で、君の呼び方だけど」

 ご主、お兄ちゃんが運転席側に回って視界から消える。

「その前に、状況もわからないし、熱くも寒くもないから、燃料を温存しよう」

 お兄ちゃんが窓から手を伸ばして、ライトを消す。視界が月明かりだけの薄闇に変わる。

「あ、はい、じゃなくて、うん。その方がいいですね、いいね」

 そしてお兄ちゃんがエンジンを切る。


 




 ……あれ?

 声が出てない?

 何も見えない。

 何も聞こえない。



 え?

 え?


 もうゴールデンタイム終了?


 そんな、せっかく喋れたのに。

 もっとお兄ちゃんと、

 ピーやピーしたかったのに!

 あの、××女神!

『私は、××ではありません』

 うわっ! 自称女神!?

『今度そのような表現をしたら』

「あ、いえ、その」

『それにさっきから、××だの手抜きだの』

「すみません!以後気を付けます!」

『それならいいですが』


 その時、また視界が戻った。

 そして音も。


「あれ?」

 あ、お兄ちゃんの声だ!

「え?お兄ちゃん?」

「ああ、そうなんだ」

 お兄ちゃんの手がハンドルを握ってる。

「エンジンを切ると、眠っちゃうのかな?」

 あ、そうか。

「あ、多分違いま、違うよ」

「そう?」

「だってオレ、意識はあったもん。ただ、何も見えなくて、何も聞こえなくて、何もしゃべれなくて」

 あの自称女神とだけは喋れたけど。

 ドライブレコーダーもナビも切れて、五感(?)が遮断されてただけ。

「そうか、エンジン切ってても、バッテリーからの電源供給があるからね。最低限のコンピュータは動いてるはずだし。とはいえ、困ったね」


 うん、困る。困り過ぎる。


「燃料は満タンで出て来たばっかりだし、一応携行缶で二十リットルは積んであるけど、ガソリンスタンドがどこにあるのか、そもそもあるのかもわからないし」

「お兄ちゃん、あんまり自称女神の悪口言うとやばいよ」

「自称女神?何それ?」

 お兄ちゃんが不思議そうな声で訊く。

「ほら、あの、ここに連れて来られる前に話しかけて来た」

「ここに来る前?事故の前ってこと?」


 え?

 お兄ちゃんは、自称女神と会ってない?

 それに、自称女神との会話は、お兄ちゃんには聞こえてない?


「ね、ねえ、お兄ちゃん」

「何?」

「お兄ちゃんは、ここに来る前のこと覚えてる?」

「うーん、いまいち記憶があいまいなんだけど」

 お兄ちゃんがゆっくりと言う。

「夜の十一時ごろ荷物を積んで、走り出してしばらくしたところで、歩行者をよけようとしたタンクローリーのトレーラーと一緒に崖に落ちた。もうだめか、って思った後、意識が途切れて。で、気が付いたらここにいた」


 やっぱ、ドラレコの記録通りだ。


「でも、車、まあ君だよね、のエンジンはうんともすんとも言わなかったから、懐中電灯を持って外に出た」


 その時はオレは意識がなかった。

 それとも、あの女神と話してたのかも。


「外傷は全くない。タイヤもパンクしていない。でも、スマホもガラケーも圏外。スマホのGPSも反応なし。空を見上げても、星座も俺の知っているものとは違う。今が時計の通り午前二時だとしたら、多分あっちが南だけど」

 お兄ちゃんがオレたちの後ろの方を指さす。

「でも、それも不確かだ。とりあえず周囲をいろいろ調べてみたけど、未舗装の道路っぽい道がまっすぐ走ってるだけで、何もない」


 多分、オレが自称女神と喋っている間、お兄ちゃんは周りをいろいろと調べてたんだ。

 さすがお兄ちゃん。


「で、戻って来て、もう一度エンジンをかけたらかかったんだけど、で、自称女神って、何?」

「あ、うん」


 オレはお兄ちゃんに、自称女神が話したことを話した。

 お兄ちゃんは聞き終わると、「じゃあ、俺たちは流行りの異世界に来ちゃった、ってわけか?」

「『異世界』?」

「うん、今、若い人の間で人気らしいよ」


 若い人って。

 まだ三十前のお兄ちゃんだって若いじゃん。

 あれ?

 三十過ぎてたっけ?

 と、とにかく若いよ!


「ほら、あの、……あれ?」

「どうしたの?」

「いや、誰かがそんなこと言ってたような気がするけど、思い出せない」

「誰かって、他の赤帽の人とか?」

「いや、もっと親しい、もっとずっと身近な人」


 お兄ちゃん、記憶が混乱してる?

 ドライブレコーダーの記録をさかのぼってみるけど、それらしき人は映っていない。

 もちろん、オレもお兄ちゃん以外はわからない。


「ちょっと信じられないけど、多分、突然のことで頭がこんがらがってるんだろうね」

「大丈夫?」

「うん。とはいえ、ここが本当に異世界かどうかは別として、今いる場所がまったくわからないとなると、朝の納期に間に合わないね」

「そんなこと言ってる場合じゃないと思うけど」

「荷物を預かっている以上、職業ドライバーが一番気にするところだよ」


 こんな時でも真面目なんだから。


「電話もGPSもだめ。方角もわからないし、目印になるものもない。夜、むやみやたらに走るより、朝になるのを待った方がいいかもね。その、『自称女神』様の話なら、多分朝も来るだろうし」

「じゃあ」

「しっ!」

 お兄ちゃんがオレの言葉を遮る。

「誰か来る」

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