第二便 ご主人様と呼ぶのを止めないでっ!
心臓がドクンと大きく動いた。
血液が体中を急激にめぐり始める。
視界がぼんやりと、そして段々鮮明になる。
「あ、エンジンがかかった」
懐かしい声。
「ライトはつくかな?」
正面が照らし出される。
何もない荒野。
建物や街灯はもちろん、山や木も見えない。
ただ、草も生えていない、もちろん未舗装の道路っぽいものが、10メートルくらい先を、視界の端から端まで続いているだけ。
でも、そんなことより。
「あ、ついた、良かった。エンジン音も異常なさそうだし」
「ご主人様!」
ご主人様?
オレが発した言葉にオレ自身が驚く。
「ご主人様?」
ご主人様も驚く。
「ご主人様、ここは?」
「ご主人様」で押し通す。オレの所有者には違いないし。
「え? 君、誰?どこで喋ってるの?」
ご主人様の慌てた声が聴こえる。
運転席に座ってるのも感じる。
でも、見えない。
いや、確かに、目が見える。
見えるけど、真正面だけ。広角だけど、真横も後ろも見えない。そもそも、見回すことができない。
ドライブレコーダーのカメラを通して見てるだけ。
もちろん、運転席も。
これじゃ、ご主人様の顔が見えないじゃん!
あの××女神! 手を抜きやがった。
「何?どうしたの?」
「あ、こっちの話です!」
オレは慌てて叫び、それから、間を置いて言う。
「あの、ご主人様は信じて下さらないかも知れませんが」
「うーん、あの」
「オレ、車です」
「車?」
「はい、赤帽車です」
「ええと」
ご主人様が押し黙る。
そりゃ、気持ち悪いよね。
だってオレ、車だもん。
それも△△や◇◇みたいなにセクシーなスポーツカーでもなく、▽▽や□□みたいに気品のあるセダンでもない。チビの軽トラだし。
そういう問題じゃないのは知ってるけど。
「てことは、君、俺の赤帽車?」
「は、はい!そうです!」
オレはご主人様の「俺の」を反芻する。
「じゃあ、俺は今、車と喋ってるの?」
「はい、そうです」
「へえ」
少しの沈黙の後、ライトの前に人が出て来た。
ご主人様!
「見た」のは初めてだけど、すぐにわかった。
オレのイメージ通り。
まるで、ずっと前、オレが納車される前から知ってたみたいに。
そのご主人様が、不思議そうにオレを見ている。
でも、どこか嬉しそう。
「何だかわからない場所に来て困ってたけど、君が喋れるようになったのは良かった」
嬉しい!
嫌がられてない。
それどころか、喜んでくれてる。
「でも、君って、女の子だったの?」
あへ?
「だって、声がどう考えても女の子だよね」
それ、内臓カーナビの音声。
オレが発声する唯一の音声。
確か、何とかっていう人気声優が収録したとか。
あの自称女神、こっちも手を抜いたらしい。
オレの目は、ドライブレコーダー。
オレの耳は、カーナビの音声認識システム。
オレの声は、カーナビの音声。
オレの装備を利用した方が安上がりかもしれないけど、セコイ。
あ、嘘ですよ?
まあ、それはともかく。
「女の子」か。
オレ自身は車だから、別に性別はないし。でも。
「あ、あの。いやですか?」
ご主人様は男だけど、もしかして。
「いや、ただ、意外だと思って。『オレ』って言ってるし」
うん、それは思う。
オレがオレを認識したのは、あの自称女神に会ってからだけど、自分が男か女かなんて思ったことは当然なかった。
でも、オレは一人称を「オレ」と言っていたし、一方で、自分が明確に「男」と思ったこともない。かといって、「女」という認識もない。
そう考えると、自分が本当に女の子だったら嬉しいかも。
「ボクっ娘」を通り越して「オレっ娘」って分野もあるし。
映画でも、車と言えば女の子だし。
「クリスチーネ」って映画もあるし。
あれ、あれだと悪役?
あ、でも、「男の娘」もあるね。
って、何でオレ、そんなこと知ってんだろ?
ともかく、確実に言えるのは、オレはご主人様が大好き、ということだけ。
「あの、オレが『オレ』って言うのが嫌なら、変えます。『ボク』とか、『あたし』とか」
「あ、別に君が良ければ何でもいいよ。それより」
ほっ。良かった、って、何?
「その、『ご主人様』はやめてよ。落ち着かない」
「あ」
「それに敬語も」
「えーっ!?」
そんなこと言われても、どんな口調で、どんなことを話せばいいの?
例えば。
「あたし、▲▲クンと、どこか素敵なガソリンスタンドに行きたい。その後はプラチナ洗車で」
は、恥ずかしい。
てか、狂ってる。
危ない人と思われる。
人じゃないけど。
そもそも。
「あの、『ご主人様』がだめなら、何て呼べば?」
「別に、君の好きでいいよ」
「で、でも」
オレは考えた。
そんなに容量のないCPUがショートするくらい。
で、出た答えが。
「お、お兄ちゃん?」
「あ、うん?」
ご主人様が言った。
「まあ、いいよ」
ご主人様、もとい、お兄ちゃんが笑ってる。
見えないけどわかる。
多分、ずっと感じてた優しい笑い声だから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます