第6幕 死んでしまったら、もう治せない
「この方は、陛下の命の恩人となる者です」
フィリアは僕のことをそう紹介した後、ファーディナンドの前に進み出て言った。
「恐れながら申し上げます。皇帝陛下。私は皇女ペルディータ殿下より密命を受けて参りました」
「ほう?」
「プロスペロー大公からの手紙もお持ちしております」
「見せてみよ」
「こちらでございます」
フィリアの差し出した手紙を開いて読んだファーディナンドは、「なるほど……」とつぶやき、寝室の本棚から緑色の表紙の詩集を引き出す。
すると本棚が動いて、隠し通路が現れた。「こっちだ」
ファーディナンドは我々を招き入れ、隠し扉の向こうへと進む。そこは石造りの螺旋階段だった。
「ここはどこなのでしょう?」
「ここは地下への入り口じゃ。城下の外にある馬の首塚に繋がっている」
ファーディナンドは、この城の地下について説明してくれた。城の地下には大きな空洞があり、そこには幾つもの石棺があるという。かつてここには古代王国の都があったのだが、ある夜突然、空から降ってきた星々によって滅びたのだという。
ファーディナンドが語ったのはこんな話だが、どう考えても眉唾物の話だ。しかし彼の語り口には真実味があって、僕は思わず聞き入ってしまった。
「そして、その星々こそ我が祖先であるのだ。我々は、その星の民の末裔なのだ」
「それは皇帝の権力を正当化するためのおとぎ話……」
「む。何者だ!」
ファーディナンドは大仰に振り返り、後ろから話に水を差した女に誰何する。女はフードのついた黒いローブを着ていて顔を隠していた。
「お前は何者だ? なぜここにいる?」
「ふっ……。我の名はシコラスク。魔女にして、転生術使いなり。城の隠し通路を見つけるなど、我にとって造作もないこと」
「なんじゃとお!?」
ファーディナンドは腰に差した剣を抜き放ち、シコラスクと名乗る怪しい老婆に斬りかかった。だが老婆はすっと後ろに下がり、ファーディナンドの攻撃を避ける。
「おっと。危ないではないか」
「黙れ! 貴様のような者が城内にいるとはどういうことか!」
「まあ待て。慌てるでない。ここはちょうど、城の堀の真下。ひらめいた!」
悪党シコラスクは隠し通路の天井を爪で切り刻む。すると堰を切ったように濁流が降り注いだ。
通路はあっという間に腰丈まで浸水し、皇帝夫妻と僕らを押し流した。
大変だ。僕は首だけなんだ。確実に溺れる。
通路に頭の高さまで濁流が満ちた時、救いの手が差し伸べられた。誰かの手が僕の首をつかんで高く掲げている。
フィリアだ。これで息が吸えるけど、それじゃあフィリアは。水流に流されるまま、やがて大きな部屋に出る。そこは、古代の神殿を思わせる巨大な石室だった。
「フィリアどこだ!」
皇妃ミランダと女将軍デズデモーナは無事だったが、皇帝ファーディナンドとフィリアは息をしていなかった。
本来であればトリアージして治療する順番を決めるべきであったが、僕は私情を優先する。どうしてもフィリアだけは助けたい。
「デズデモーナさん、フィリアを祭壇の上に寝かせて、僕を胸の上へ」
デズデモーナはそう言われて、僕を持ち上げてフィリアの胸に置いた。
「あなたたち二人には借りがある。なんなりと命じてくれ」
「それなら鳩尾から拳ひとつ分のところをかけ声に合わせて何度も押して。いくよ、1、2、3、4、5、6、7、8、1、2、3、4、5、6、7、8」
せめてAEDでもあれば。しかし異世界にそんな気の利いたものはない。僕はオフィーリアの呼吸を確認しながら、デズデモーナに心肺蘇生法を教え込んだ。
それから数分後、ようやくフィリアの心臓は動き始めた。しかしまだ予断を許さない状況だ。
「デズデモーナ。次は人工呼吸だ」
「どうやるんだ?」
「まずフィリアの口を自分の口で覆うんだ」
「ふざけているのか? 女同士でキスなど出来るか」
「なら僕がやる」
僕の指示に従ってデズデモーナがフィリアの唇に僕の首を重ねると、今度はフィリアの口に空気を流し込んだ。
「いいぞ。また10回繰り返すんだ」
「分かった」
その後、なんとかフィリアは意識を取り戻したが、水を飲んでしまったのか、しばらく嘔吐を繰り返した。
「もう大丈夫ですわ」
「あなたは死者を復活させる魔法が使えるのですね。助けてください」
ミランダはすがるような目ですでにこときれていたファーディナンドの蘇生を頼んだ。
「無理だ。心肺蘇生法は復活の魔法じゃない。死んでしまったら、もう治せない」
「なんてことを。フィリアがあなたのことを陛下の命の恩人になると言ったのに?」
肩を震わせて泣くミランダを見て、フィリアは怒りを露わにした。
「あなたは私を助けず、皇帝陛下を助けるべきだったのです!」
「そんなこと言うなよ! 僕は君を助けたかったんだよ。僕には君を見捨てることなんて出来なかったから……」
「嘘! あの人はそんなこと言わない。やはりあなたはあの人ではない」
「やめろフィリア。お前も。彼女は命をかけてお前を救ったじゃないか」
フィリアと僕の口論を止めたのは、意外にもデズデモーナだった。
「あの人って誰だ? そろそろ本当のところを言ったらどうだ」
僕はデズデモーナに止められようがフィリアに詰め寄った。
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