第5幕 ファーストキスだったのに……ああ、私は不幸だ!!
エリダヌス川に沿って遡るように歩き、やがて城の堀と枝分かれして大河がせばまった。
堀に架かった跳ね橋が下がり、兵隊たちが隊列を組んで渡っていく。
夕日が城を赤々と染め上げていく。兵たちの盾はそれよりも赤く塗られている。フィリアは僕の視線の先を読んで説明した。
「あの赤い盾は教皇派の兵よ。教皇派がついに本性を現したんだわ」
フィリアは一呼吸置くように僕にキスをすると、話をこう結んだ。
「急ぎましょう!」
フィリアは兵隊を怖れもせずに、かき分けかき分けリゲル城をめざす。
レンガ造りの城壁が行く手を遮る。
赤い盾の兵隊たちは城壁を登るでも破壊するでもなく、堂々と正門に向かう。キリンでも通れそうなほど巨大な門を、戦場に似つかわしくない白いドレスの女性がトトトントンとリズミカルに叩く。すると城門は内側より開かれた。
「あの白いドレスの女はポーシャ、皇帝陛下の腹心である彼女まで教皇派に寝返るなんて……」
状況はもっと最悪だ。そのポーシャを城門を開いて向かい入れた者がいる。城内はすでに教皇派の手に落ちつつあるのではないか。
最悪な状況にもかかわらず、僕はなぜフィリアとキスをしているんだろう? フィリアは自分の気を落ち着けるためなのか、僕を落ち着かせようとしているのか、しきりにキスをねだった。
兵隊たちはバカップルに構っている余裕はないらしい。僕たちの横をすり抜けて次々と城門から入城していく。しかし城の中での略奪に夢中になっていて、烏合の衆になり果てていた。
僕たちはどさくさに紛れて正門をくぐり、皇帝がいるであろう最奥の寝室へ向かった。
階段を三階までかけ上り、国務の間が見えてくる。ここを抜ければ寝室だ。
夜が闇を作り出す。階段の両脇のかがり火が闇を切り抜いて、鎖帷子をまとった武人を照らし出した。
褐色の肌に白髪、眼球は黒く瞳は白い。そこには階下を見下ろす異相の女将軍が立っていた。
「なぜこんなところにデズデモーナ将軍が? ま、まさか。あなたほどの武人が裏切るなんて」
まだ十分な距離があるうちにフィリアは猟銃を構えた。
奥の寝室へたどり着くにはデズデモーナを倒していくしかない。幸い部下も連れていない。ひとりだけならば倒せるかもしれない。
フィリアの猟銃はマッチロック式、いわゆる火縄銃である。火縄に火種を灯し、火薬に着火するまでに時間がかかる。
その前にデズデモーナは長弓を張り、矢継ぎ早にふたつの矢を放った。ひとつめの矢は外したが、もうひとつの矢は着火寸前だった火縄を断ち切った。
この間合いでは不利と判断したフィリアは、階段を二段飛ばしで駆け上がる。
「教皇派め。このデズデモーナの目が黒いうちは陛下に指一本触れさせぬ」
「ちょっと待て。何か誤解していないか?」
どうも様子がおかしい。デズデモーナという将軍は教皇派ではないんじゃないか? 僕は狙いを定めている女将軍を止めようと叫んだ。
しかしデズデモーナは弓を引き絞り、一刻の猶予もない。
フィリアはとっさに首の僕を投げた。
ボヨーン。
黒い鎖帷子の胸元にぶつかって跳ね上がり、僕は唇からデズデモーナの顔面に着地した。
「ファッ……」
「ふぁっ?」
「ファーストキスだったのに……ああ、私は不幸だ!!」
デズデモーナは僕をはねのけ、唇を押さえてうなだれている。
しかし弓で戦えない間合いには入り込んだぞ。僕は首だけしかないが、口がある。無論キスをするためでなく説得するために使われるべきだ。
「我々は皇帝陛下、皇妃様をお助けにあがったのです。あなたほどの武人ならば今争っている場合でないことがわかるでしょう」
まっとうなことを言ったつもりなのだが、得体のしれぬ生首の言うことだ。デズデモーナは未だ疑いの目を向けつつ、不承不承我々を伴って皇帝陛下に拝謁した。
皇帝ファーディナンドは背は低く痩せていて、ぜいたくな生活をしている皇族には見えなかった。ただ着ている者だけは豪華な刺繍のゆったっりとした寝間着を着ていた。
紫のイブニングドレスを着た皇妃ミランダが「フィリア。よくぞ来てくれました」とねぎらったので、ようやくデズデモーナは僕に対する警戒を解いた。
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