第2幕 とにかく生きたまま焼かれることは免れた

 僕は部屋の中をあてもなくぐるぐると歩き回っていた。正確に言えば僕の体だけが。

 首のほうは深い森に転がったままで、一歩も動くことができない。どうしたものか。

 さっきみたいな鳥ならまだ良いが、肉食獣みたいなものに襲われたらひとたまりもない。早くこの森から出たいところだが、首だけではどうすることもできなかった。

 とにかく危険にすぐに対処できるように目を凝らし耳を澄ませる。裸足で玉砂利を踏む音が近づいてくる。ひょっとして人がいるんじゃないか?

 僕の哀れな境遇を話せば、安全なところまで連れて行ってくれるかもしれない。

 僕は期待して音の近づいてくる道の先を見やった。

 髪は長いが縮れあがり、もじゃもじゃと鳥の巣状に固まっている。動物の骨で作った髪飾りが突き刺さった髪が小さな頭の上にちょこんと載っている。落ちくぼんだ眼窩には目玉が爛々と怪しく輝き、カバのような大口は半開きになっている。トラ縞の毛皮を体に巻いた小男が駆け寄ってきた。

 僕は第一声、「ちょっとお尋ねします」と声をかけた。

「ハ?」

 僕のことを指さし小男は「ハ」と繰り返すばかり。

「ハ」じゃねーよ!!

 根黒正夢ねくろまさゆめという(立派かどうかわからんが)名前がある。

 僕が何を言っても小男は「ハ?」と煽って来るばかりでこちらの言うことをきいてはくれなかった。話にならん。

 僕は男が来た方向、道の先を見ようとする。この先にはもしかしたら人が住む村なり町なりがあるのかもしれない。少なくとも小男が住んでいた住居はあるはずだ。

 小さな影が一回り大きくなる。玉砂利を踏み鳴らして薄桃色の髪たなびかせて、淑女が小男の元居た方向から近づいてくる。革のチョッキに若草色のミニスカートという、猟銃を握っているのに狩人らしからぬ格好だ。終始にこにこしていて狩りをしているようには見えない。ただの散歩かなにかか? ともかく、やはりこの道の先に人が集住しているんじゃないか?

 小男のほうに目を戻すと、細い腕に不釣り合いな大きな手のひらで石斧を握っている。そうだよなあ。得体の知れない生首に話しかけられたらそうなるよ。小男には僕が新種のモンスターにでも見えているのだろう。怪物じみた風貌の小男にモンスター扱いされるとは癪にさわる。

 小男が振り上げた大きな石斧がまさに僕の脳天に叩き下ろされようとしたとき、薄桃色の髪の淑女が駆けつけてかばってくれた。

 小男は僕に興味をなくしたのか、無視して森の奥へと分け入っていった。大きな石斧を担いでいたからこいつは狩りにでも行くのだろう。

 もう、どうでもいい。言葉も知らない蛮族なんて。

 僕は悲観したが、まだ希望があると思いたい。蛮族といえど人がいたんだ。僕の言うことを理解してくれる人がかならずいるはずだ。

 例えば目の前にいる薄桃色の髪の妖艶な女性とか。

「僕の話を聞いてくれ!!」

 女性は首の僕を両手で抱えると不思議そうにのぞき込んだ。そしてゆっくりと顔を近づけて口づけした。なんで?

 僕は自分の置かれている状況を簡潔に説明し、情に訴えた。

「僕はけして怪しい者ではありません。わけあって体を失っているがれきとした人間です。お願いですから安全な場所まで連れて行ってくれませんか」

 女性はほのかにほほを赤らめてこくりとうなずいた。

 もしかして言葉が通じるのか? いや、おかしい。おかしいぞ。なんでこの女性には日本語が通じるんだ。やーめた。異世界に首だけ突っ込んでることがすでにおかしいのに、異世界で日本語が使われていることにいちいちツッコんでいたら身がもたない。僕だけ最初からハードモードなんだ。日本語で話せるぐらいの特典があってもいい。

 僕はさっそく異世界交流を開始し女性の名前がフィリアということを聞き出した。

 フィリアは僕を胸元に引き寄せてもと来た道を引き返す。

「この道の先にサイフという村があります」

 胸元の柔らかさと暖かさ、歩く振動が心地よい。疲れと安堵感からか僕はうとうととまどろみの中に落ちていった。




 


 首の無い僕の体が白木の棺の中に収められ、手向けの花によって体が埋まっていく。棺おけのフタが閉められ、むせかえる菊の香りに包まれた。

 いやな夢だ。

 僕はうとうとしたまま、上体を起こした。体は木のフタにぶつかり鈍い音をたてる。夢ではなかった。

 手触りでわかる。これは菊の花だ。僕の体は菊で埋め尽くされた棺桶の中にある。

 目を開ければ僕の首はまだフィリアの胸の間にある。しかし体のほうは火葬されそうになっていた。体を失った場合、首の僕はどうなってしまうのだろう。

 どう考えても悪い考えしか浮かんでこない。

 僕は死に物狂いで内側から棺桶のフタを叩いた。フタはびくともしないどころか、出すまいと強い力で外から押さえつけられていた。

 そして、持ち上がるような揺れが起こり、横揺れが続いた。

 棺桶が運ばれている。暴れる僕を無視して棺桶は火葬場へと運ばれていく。

このままでは生きたまま火葬されてしまう。

フタの内側に幾筋ものひっかき傷が刻み込まれたところで、ようやく棺桶のフタが開き僕は外に飛び出した。

 首のない僕にはどうなったのか見ることも聞くこともできない。ただ阿鼻叫喚の地獄絵図になったことはうたがいもないだろう。

 体のほうがどんな運命をたどるのか。今はあまり考えたくない。とにかく生きたまま焼かれることは免れた。

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