第13話 回

 ソフィア・フルフォードは10歳にして、4つ上の兄であるアルヴァ・フルフォードから強制的に治験を施される。



「ソフィー……我が愛しき妹よ。僕の未来のため、君の力を貸してくれまいか?」



 これで何度目だろうか。兄が注射器を手に私の方へと歩み寄る。あたしは両腕両足を鉄枷で繋がれ身動きが取れなかった。力が入らず、薄目を開けることが精一杯。にんまりと笑う彼の口角をどうしても噛みちぎってやりたかった。

 彼の手があたしの腕へと触れる。その指先で踊るように肌を触る。ひたすらに気持ち悪い。しかし、今はもうそんな言葉を吐き捨ててやる力もなかった。ただただ、今を必死に生きながらえ続けることしか出来なかった。薄れゆく意識の中で、必死に舌を噛み、精神を保つ。そんな最中、兄を殺す計画を何度企てたことか。



「どうしてあたしが……お兄ちゃんもうやめて」

「どうして・・・・・・?ハハ!面白いことを言うね!君の細胞を憎み給え。」



 まだあたしが幼くて、真っ白な心でいっぱいの頃。母は、生まれてから1度も病気にかからないあたしを不審に思い、身内の医者の元へ連れて行った。元気いっぱいなあたしを見て日々不安に思ったのだ。兄は病弱で、あたしと同じ年齢の頃にはよく流行病にかかりそれは大変だったという。その兄の妹である私が、病気に1度もかからないことを喜ぶべきであるはずなのに、何故か母は不審に思ったのだ。身内の医者へ連れていかれる道中は厳重な警備が至る所に施されており、胸騒ぎをしたのを今でも覚えている。今思えば、あの医者は闇医者だ。正式な手続きを踏んで診断していなかったのは明らかだった。

 診断結果は、「不明」だった。『気にしすぎですよ、奥様』と医者はにこやかに言った。隣に並んで座っていた兄が表情を変えた。「不明…不明…」と、親指を齧りながら呟く兄に戦慄さえ感じた。そう、兄は「不明」という言葉に魅力を感じたのだ。彼は初めてあたしの腕を強く掴み、強制的に地下室へ連行した。そして彼はこう述べていた。



「『不明』という言葉は、はっきりと分からないことを指す。今はまだはっきりと分からないのなら、僕がすればいい話だよね……?」



 彼の笑みはまさに狂気の沙汰。その後、あたしがどうなってしまったのかだなんて、言うまでもない。

 兄は天才肌で14歳にして飛び級をし、大学へ。薬学部へ進み、毎日研究室へ訪れては教授の力を借りず、1人でオリジナルの実験を重ねていたらしい。もともとこのフルフォード家は医薬品関連の一流企業を経営していたため、時期当主である兄が医薬品の勉強をしなければならないのは、宿命とも言えた。研究熱心な彼に『不明』という言葉は魔性の言葉だったらしい。彼の研究の中で、『不明』だったことは全て解明されていった。目の前にソレがあるのであれば、解き明かしたくなるのが研究者の性だろうか。あたしは実験用マウスのように、来る日も来る日も彼の治験に殺されかけた。

 彼の度重なる実験を経て出たあたしの身体についての結論は、『人並み外れた細胞の強さ』である。例えば、風邪を引いた場合の話をしよう。風邪にかかる仕組みというのは、ウイルスが細胞を乗っ取り、そのウイルスの子種を作っていくという過程がある。やがて細胞は死ぬのだが、あたしに存在する細胞はどの人間の細胞にも似つかず、それに加え、兄が後々補足的な説明をしてきたのだが、専門的領域であたしには到底理解が追いつかなかった。何より明白なのは、あたしが持つ桁違いの細胞の強力さゆえ、兄の興味をそそってしまったのだ。これは避けようもない絶望的運命。自分の体質を、何度恨んだことか。

 兄は手始めに免疫力強化として、DWFD死を待ち望む悪魔(Devils Waiting For Death)をあたしに投与した。このウイルスは人類が初めて根絶に成功したである。それは死亡率が高く、治療してもウイルスの子種を残してしまうため、史上最悪のウイルスと呼ばれていた。あたしはそれをも自力で治してしまったのだ。DWFDもただの風邪のウイルス程度の生命力ではないので、1回目の投与の段階ではあたしの細胞も対応しきれていなかったらしく、40度の高熱・頭痛・四肢痛に苦しんだ。死にかけそうになったところでやっと実験を中止してくれた。しかし、兄はこう考えた。

 


「実験を重ねれば、現段階以上の強さを持つ細胞が作られるのではないか。」



 DWFDウイルスを用いた実験は何度も行われた。当時の記憶はない。あたしは『意識が飛んだら終わりだ』と考えていたので、今を生きることに必死だった。

 ただ、何回か行われた実験の中で、あたしが自力でDWFDウイルスを根絶やし、完治させたという実験結果を出したことだけは覚えている。ウイルスが投与された瞬間、10分ほどの高熱に襲われたがすぐに熱が下がり、1時間後には通常の健康状態に戻ったのだ。その後の検査では、DWFDウイルスは発見されなかった。

 兄は泣いて喜んでいた。あたしの細胞の活性化に成功したからだ。こんなにあたしは心はボロボロになっているというのに、どうしてあたしは喜べないのだろうと思った。

 その後、兄は安堵した様子で治験を進めた。自身が大学で開発したオリジナルの医薬品をひたすらあたしに飲ませた。何錠併用したらいけないのかという実験では、何度吐いたことか。

 あたしはいつの日か、ここを脱走しようと真剣に計画を練るようになった。兄の行う治験の中で、「筋力増強」「瞬発力増加」などの薬が投与されたのだが、あたしはそれから身体能力が格段に上がっていることを思い出す。身体能力テストでは、世界記録を大幅に超えるような結果を叩き出した。兄は口裂け女のような笑みを浮かべてはブツブツと呟いていた。しかし、兄は浮かれすぎていた。…知らないというより、気づいていないが正しいのかもしれない。これはチャンスだと思った。

 ディナーの時間になり、兄がココを去ったとき。あたしは枷を破壊し、牢屋の鉄格子を。もちろん、音を立てないように。兄はあたしが脱走の計画を練っているなんて考えていなかった。あたしが絶対的に兄に服従していると勘違いしているからだ。その勘違いを生むために、あたしは兄に対して、決して「NO」と言うことはなかった。その成果もあり、あたしを見張る者はおらず隠密行動をする必要がなかった。きっとあたしが脱走した後に、全力であたしのことを捜査するだろうけど、そのときになれば考えればいいし、何よりこの俊足…捕まる気がしない。兄に感謝しなければ。

 鉄格子のある窓から逃げるため、鉄格子に手を伸ばし、すっと息を吸い込んでふぅっ息を吐くとその鉄格子は細身のあたしが出られるような形に歪曲していた。こんな素晴らしい身体を作ってくれて兄は本当にいい働きをしてくれたと、あたしは初めてにやけた。

 窓から抜け出し屋根へよじ登ると、風があたしを優しく撫でた。久しぶりに見た満月はそれはとても素晴らしいものだった。満月の大きさに圧倒されつつも、あたしは今すべきことをもう一度確認した。

 フルフォード邸の庭には10人の警備、5匹の番犬がいる。犬は耳が良いし、鋭い嗅覚を持つ。だから、音を殺そうとしても無駄だろう。もう既に、1匹こちらに反応している。ならば、もういっそ、大暴れしてしまおう。たとえ兄らが駆け付けたとしても、もう遅い。あたしを縛る枷はないのだから。あたしは、自由なのだ。

 屋根から倒れるように落下し、着地した刹那、あたしは門に向って走った。番犬が吠える。それに反応して、次々と番犬どもがあたしを追いかける。もちろん追いつくことはないのだが。警備として常駐していた者がこちらに銃口を向けるが、あたしだと気づいてそれを降ろした。しかしその判断は間違いだ。なぜならば、あたしはお前を殺そうとしているのだから。軽くジャンプしてから空を切るように虚空に蹴りをいれ、勢いをつけて男の首に蹴りをいれる。見事弧を描くように、男の頭は飛んで行った。血しぶきがかかる。これが人間の温もりなのだろうか。こいつにも、大切で必要としている人はいたのだろうか。

 どこからか悲鳴が聞こえ、あたしに銃口を向けては発砲。銃弾がスローモーションで動かされているように見えた。数センチほど身体を動かし交わして、発砲してきた男に向かって走る。

 2人、3人、4人、5人、6人、7人の命を奪った。8人、9人、そして最後の1人。




「命だけはご勘弁を…!」

「命?」

「お嬢様には慈悲というものがないのでしょうか…!」

「慈悲?」



 あたしはマリア様でもなんでもないし、慈悲っていう言葉がそもそもわからなかった。否、言葉の意味は知っていた。だけど、そんな言葉がこの世でちゃんと機能していれば、今のあたしは人を殺めるまでに至らないのだ。すべて、あのクソ兄貴から始まったバッドエンド。



「憎悪の間違いじゃない?」



 男の顔を潰すように踏んだ。番犬はキャインと鳴きながら逃げて行った。いつからそこにいたのだろうか。数10メートル後ろにいた母が悲鳴をあげ、兄はあたしの名を呼んだような気がした。ゆっくりと振り向いて、手を振って笑ってやったのだ。



「お前ら全員、死ねよ^^」



 兄の未来のためにあたしが監禁されて治験されていたことを母に黙っていた父、あたしのことを本当に心配していたのならもっと捜索してくれてもよかったのに、そうしようとしなかった偽善者の母、あたしをネズミ扱いして人権すら奪ったクソ兄貴、そして、そのクソ兄貴に付き従う執事。全員、死ねよ^^

 私はそう吐き捨てた後に、満月に向かって走ったのだ。あの満月に向かって走ればそこに、本当の意味であたしを求めてくれる人に出会えるのではないか。直観だけど、なぜかそんな気がしたのだ。



 そうしてソフィア・フルフォードの悲劇は終幕を迎えたのだ。

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