第12話 揺
血溜まりが数カ所存在するこのオークション会場では、警察が溢れかえっていた。どうやら、無知蒙昧な新規の客が、動揺故に通報してしまったらしい。リン・ストークスを追っていたあの刑事を手土産にと思い回収しに行く際に、メアリがこちらへ駆けつける大衆の足音や車の音を聞き取り、我らは会場から脱出したのであった。
「やれやれ。今後の仕事に支障が出るね。困った困った。」
「とても困ったようには見えないが?」
「むしろ、リーダー楽しそうだよ♡」
「ああ、気のせいだよ君たち。僕はとても困っている。」
僕は窮地に追い込まれるほど、今を楽しく感じてしまう病気にかかってしまっている。非常に可哀想極まりない。Mr.Kからフード付きのコートを受け取ると、袖に腕を通し、フードを深くかぶった。屋根から屋根へと飛び移り、拠点へ戻る。
「リーダー」
ふと、メアリが冷静な様子で僕に声をかけた。今宵はあのお坊ちゃんがリン・ストークスを救うべく駆けつけたあの男に鎌をかけ、掌で遊んだのだ。フルフォード家が今回の件に関わっているのであれば、メアリが何も言い出さないはずがない。実際に彼女は、実の兄であるアルヴァ・フルフォードと再会したのだから。
「どうしたんだい、メアリ」
頬を滑る風がやけに痛いのは気のせいだろうか。これがメアリの気持ちを表しているのであれば、僕は胸が痛い。まさか
「異形な身体をした男の首元を見たら、刻印があった。あれはフルフォード家に仕える者が忠誠を誓った後に与えられる刻印。もしかしたら、不必要と判断した使用人に薬を打って、あんな姿に変えてしまったのかもしれない。」
こちらを見ず、ただまっすぐ前を向いて話すメアリを見て、僕は『最高だ!』と叫びたくなった。ああ、君は最高傑作だよ、メアリ。何かに対して深く考えるようになった。慎重に物事を判断するようになった。素晴らしい。君はあの日以来、過去の自分を押し殺すよう無慈悲に人を殺戮してきた。ただ人の血を浴びたい、その願望だけで動く悪魔だった。だのに、今はこうして立ちはだかる目の前の壁に対して、どう登るべきなのか考えているではないか!人間の成長というのは、ものさしで計ることはできない、未知の領域。だからこそ・・・・・・!僕が一声彼女に囁いてやれば、彼女なりに考え、動こうとする。これぞまさに、正しき道へ導かんとする輝かしき教師の鏡、僕!僕は!実にジーニアス!
「へぇ。Mr.K。それ、可能なの?」
「あの坊やの実力なら、出来ないことはないだろう。そもそも、クローネ。君が何よりの証拠だ。その身体は誰がそうしたんだ?」
「ハハ!愚問だったようだ。」
そうこうしている間に、Mr.Kの屋敷に到着した。パスワードを入力すると門が開いた。屋敷の扉まで約25メートルほど歩く。薔薇の庭園が夜の月に照らされて可憐に揺れた。きっと、彼女の心も揺れ動いている。僕はそう確信した。
扉を開けると、彼の使用人がこぞって出迎えた。綺麗にお辞儀を合わせて一斉に彼らはこう言う。
「おかえりなさいませ」
メアリは立ち止まることはなく、室内へと足を運んだ。使用人に声をかけられても彼女が応答することはなかった。
「旦那様。お連れ様を客間に通しております。」
「あぁ、そういえばそうだったな。クローネ、彼女はどうする?」
「マダムへ送るプレゼントなんだ。窓無しの客間に通して施錠してくれ。食事や風呂など必要なときに必要な処置を勝手にやってくれて構わない。マダムに引き渡す日程を後日決める。それまで彼女のお世話、頼んだよ」
「かしこまりました。」
Mr.Kの使用人は実に忠実で助かる。僕は安心して彼らに指示を出す。もうメアリは二階へと登って行ってしまった。彼女の後ろ姿を見ると不覚にも微笑んでしまう。この僕のにんまり顔を見てくれ。まるで幼い女の子の後ろ姿で興奮し始める性癖を持ったお兄さんだ。物騒な僕。でもいいんだ!それくらい僕は君の成長が間近で見られて嬉しい。興奮している。全身を駆け巡る酸素という酸素を鼻から全て、100%出し切る勢いで呼吸を楽しんでいる!さぁ、君はこれからどう咲いてくれるのかな?君の中に眠る薔薇のつぼみが今、開花し始めている、そんな気がするよ!
「メアリ」
薔薇の赤子は黙って振り向いた。
「リーダー。ちょっと考えてもいいかな?」
僕は発狂寸前だ。
「君の自由を縛る気はないよ。ゆっくり羽を伸ばしたまえ。」
「ありがと♡」
彼女は微笑んで行ってしまった。Mr.Kは使用人とずっと話していた。おそらく、夕食の話でもしているのだろう。そんなこと僕には関係がないので、コートを脱いで顔に装着させていた仮面も外し、くずれた前髪を少し直しつつ使用人に預けた。そして僕は一階奥の書斎へと向かった。
書斎の扉を開け、ゆっくりと後ろ手で扉を閉める。掛け時計が一定のリズムを刻んでいる。おそらくこの上がメアリのいる部屋だ。彼女が今、何を考えているのか、正直なところ僕には分からない。だが、君が必死に何か遂げようとしているのなら、僕はその手助けをするべきである。これは君を大切に思っている僕の宿命だ。書斎の奥にある一際大きな棚へと歩む。上から二番目、一番右から19列目の本を奥へ押すと、棚が回転する仕組みになっている。
「お前がそこへ入ろうとするとはな」
「やぁ、Mr.K。貴方も入る?」
「興味があるな」
彼の興味の矛先は常に僕だ。何年ぶりにこの部屋に入ろうとするのだろうか。ここに頼らなくても、僕やMr.Kの力さえあれば敵をねじ伏せることなんて簡単だろう。だけど、メアリがここを必要とするかもしれない。だから僕はここへ訪れた。
「まさかとは思うけど、ここの武器、錆びてたりしないよね?」
「こちとら専門家を雇い、きちんと手入れしている。いつでも使える。お前こそ、目が錆びているように思えるがね。」
「ハハッ。当たり強いねぇ。」
僕は隠し部屋を背に、また、前髪を整えて彼にこう言った。
「メアリはきっとこう考えてる。――――――とね。」
Mr.Kがどんな表情をしたのか。その仮面の裏に潜んでいる感情は何なのか。僕は彼と付き合いが長いからすぐに分かった。だからこそ、楽しくなってきたのだ。ここは盛大に笑うべきシチュエーションである。
「さぁ、どう出るかな。メアリは。」
そう呟き、僕は書斎の奥の部屋。武器庫へ歩みを進めた。
・
・
・
今後、自分がどうするべきか。あたしはKさんの屋敷に着く前からずっと考えていた。まさかフルフォード家が、あたしとリーダーが人間オークションを開催していることを突き止め、奇襲を仕掛けてくるなんて想像もしていなかった。リーダーはこういう非常事態に対して柔軟に対応する能力があるからこそ、今回は生き延びることができたものの、Kさんの力やリーダーがいなくて、あたしだけの状態だったらきっと今頃クソ兄貴と今夜共に過ごしていただろうし、お別れしたはずのあの過去に逆戻りしていただろう。それこそ、あたしにとっての絶望的死のエンディング。考えたくもない。あんな過去に戻らなきゃいけないのなら、自分の喉を今すぐにでも掻き切って死んでやる。
一人で寝るには寂しいくらいの広いダブルベットに身を投げる。久しぶりの優しい弾力感に眠気が襲う。お風呂も入らないといけないのに。不思議と今夜はお腹が空いていなかった。いつもならKさんに、ディナーの時間を早めるよう急かしている頃だろうに。あたしにしては珍しい。Kさんに『病気にでもかかったんじゃないか』と心配されそうだ。・・・・・・それはないか。
窓から真ん丸のお月様が見える。月をまともに眺めるのは産まれて初めてかもしれない。でも、なんだか懐かしい気分。不思議な気分。月に自分の手を重ねる。・・・・・・なんて小さな手なんだろう。こんな小さな手で、本当にリーダーを守ることが出来ているのだろうか。リーダーはいつもあたしのことを一番に考えてくれて、大切にしてくれている。それならあたしもリーダーを大切にしなければいけない。そんな当たり前なことを考えたときにふと、リーダーの言葉が蘇った。
『メアリ。君は過去の自分を捨てたと言い切った。しかし、何も全て捨てきることはないよ。過去の君は、君が一番悩んで辛いときにきっと助けてくれる。僕は、それほど価値のある時間を過ごしてきたと思うけどね。』
リーダーは、ソフィア・フルフォードだったときのあたしも受け入れてくれて、大切にしてくれている。心の中で、アルヴァのことを忘れてられていない自分がいるのは、恥ずかしながら自覚している。だからこそ、あたしはこう思った。
半分ソフィア、半分メアリ。過去も今も全部背負って、フルフォード家をあたしの手で殲滅する。
リーダーの手は汚させない。全てあたしの手で片付ける。弱虫だった頃のあたしで戦うことで、ある種の復讐を。リーダーから貰った名前で、ある種の進化を。それが、今、あたしに出来る最適解。そして、リーダーへの恩返し。
誰かに撫でられているような気持ちの良い感覚を覚えた。あたしはいつの間にか眠ってしまっていた。それはきっと、自分の中で何かダムのようなものでせき止められていたものが緩やかに再び流れ始めたからだと思う。今夜はどんな夢を見るのかな。どんな夢でも、今のあたしなら、大丈夫。怖いものは、何もないと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます