第11話 敗

 執事であるブロワールに抱えられ、屋敷に無事到着する。正確に言えば無事なのは僕だけであり、ブロワールは何もなかったかのように平然を装ってこそいるが、ソフィーにやられた深い傷が無事ではないことを物語っている。応急処置として止血はしたものの、血が滲んでいることが目視で分かる。(死なれたら困るから止血しただけであって、本当であれば僕がこんな手間をかける必要はどこにもなかった。傷つけられたブロワールが悪い。)



「おかえりなさいませ。」



 屋敷の扉を開くと、何人もの使用人が僕らを迎えた。ブロワールに僕を降ろせと指示を出し、自分の足で屋敷の中へ踏み入る。



「ブロワールの治療を最優先でしてくれ。」

「旦那様。ご入浴の時間ですが、いかがなさいますか」

「あぁ、少し書斎でやらなければならないことがある。入浴はそのあとだ。ディナーはいらない。」

「かしこまりました。ご入浴の際には、使用人にお声かけくださいませ。」



 今後の簡単なスケジュールを伝えると、僕は螺旋階段に足を運んだ。正直、企業に関する案件書類が山積みで、ソフィーそっちのけでやらなければ間に合わないくらいだ。だが、今夜は少し考えたいことがあった。クローネ・フォン・ケーニヒス、メアリ・フォン・エルフィと名乗るソフィー。彼らに襲撃したのちに僕が感じたのは、事前に入手していた情報と異なる点だらけという事だ。彼らが人間オークションで人を売りさばいていることは知っていた。そのため、そこへ参加する貴婦人どもから金で情報を買った。しかしなんだ。正しかった情報は指で数えられる程度。クローネに仕組まれ、嘘を吐いたのか?いや、嘘をついているような心理的言動は皆無と言えた。瞬きの回数も、息をのむ様子も、視線を逸らすような素振りさえなかった。90%の確率で彼らは真実を言っていた。

 書斎の扉をゆっくりと押す。扉が開き、幾重にも積み重なる本の山々。これらはどれも本棚に入りきらなかったものだ。椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろす。思わず深いため息をついてしまう。今夜確実にソフィーを捕えたかった。はっきり言って、今のフルフォード社は伸び悩んでいる。一刻も早く治験を行い、新薬を開発したい。そのためにも、ソフィーが必要だった…!

 あの探偵に性能の高い武器を持たせ、人体改造を施した男共バリアントを連れて襲撃をし、ソフィーの動けない時間帯を狙ってブロワールに戦わせたのにもかかわらず、彼らには致命傷すら与えていない。クローネの腹にぶち空けた穴はいつの間にか回復していたし、彼においては体質に関する情報が皆無だ。次はどう立ち回ればいい?着弾すると破裂する銃弾を用いたのだぞ?それで死なないのはもはや不死身としか言いようがないだろう。更にもう一人、見覚えのないシルクハットの男が居たな。彼はなんだ?クローネの護衛か?不明な点が多すぎる。情報が全てだとは思っていないが、それにしても謎が多い。柄にもなく、頭を抱えてしまう。

 刹那、扉をノックする音が聞こえた。『入れ』と声をかけてやると、ブロワールが入室してきた。腕には包帯が巻かれていた。



「旦那様。ナイトキャップティーをお持ち致しました。」



 応答はせず、こちらに歩み寄るブロワール。僕は温かい飲み物が嫌い故、口にするものはすべて常温だ。しかし、今夜は何故か温めてあるものが運ばれてきた。湯気が幽かに見える。ゆらりゆらりと揺れる湯気の中に、ソフィーの後ろ姿が浮かんだ。あぁ、本当に今夜、いつもの場所で二人きりになりたかった……!

 僕は机に置かれたティーカップを持ち、ブロワールに思い切り中身をぶちまけた。表情一つ変えず、彼はただそこに立っているだけだった。ポタポタと滴が滴り落ちる音だけがこの部屋に響く。僕は息を荒げていた。拳に入る力が強まる。しばらく顔を下げ、心を落ち着かせるように試みる。

 すっと顔を上げ、ブロワールに向かって言葉を吐いた。



「次はないぞ。」



 彼の表情から何を思ったか読み取れなかった。ただ、いつも通りの表情。僕に付き従うだけの表情。悲しみも怒りもない。そこにあるのは、



「申し訳ございません。」



 ブロワールは膝をつき、頭を下げた。そして、部屋を去った。ブロワールに続いて部屋を掃除しに来た使用人が入室する。それと同じタイミングで僕は退室。



 今夜は珍しく眠れない気がする。

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