第9話 惧

「メアリちゃん…大丈夫かしら…」



 静かになった部屋の中で静かに呟く。地面に尻をつき、足を抱える腕が強くなる。彼女は華奢だ。それに年齢も10代半ばといったところだろうか、まだ幼い。こんな時間に、いくらあのクローネちゃんの従者とはいえ…教育的に宜しくないのではないかと考えてしまう。彼女にとってはこんな思い、御節介でしかないのだろうけれど。Crownとは長い付き合いで、わたくしのことを大切なお客様と言ってくれる。そんな彼らが我が子のように愛おしく思えてしまうのは母性だろうか。

 彼らの無事をただひたすらに祈りつづけしばらく経ち、扉が開く音がする。『メアリちゃん』と呼ぼうとする口を急いで手で塞ぐ。もし、あの時オークション会場を襲ったモンスターたちだったら…。額から汗が落ちる。鳥肌が止まらない。震える身体を必死に抑える。振動でわたくしの居場所が伝わってしまう!ドシ、ドシ、と重そうな足音がこちらへ近寄ってくる。この足音、メアリちゃんじゃない…!これは、そう、あの時会場で見たモンスターの音に違いない!

 目の前で足音が止まる。息をのむ。このテーブルクロスをめくられてしまったら私は殺されるに違いない。悲鳴をあげたくなる気持ちを必死に抑え、目を閉じ、ただひたすらに祈る。見つけないで、わたくしを、見つけないで!

 その祈りは神様に届かなかった。ゆっくりとテーブルクロスの端が持ち上げられる。するとそこには満面の笑みでこちらを見つめる気持ち悪い顔をした男だった。




「!」



 あまりにも恐ろしく、私は声が出なかった。人間、とても驚くと声は出ないものだとよく耳にしたものだが、本当に声が出ないとは思わなかった。声帯が切られてしまったのだろうか。

 髪の毛はあらず、肌はあおぐろい。目は新円のように丸く、黒目が9割を占めているほど。横幅は広く、少し丸みがある。大きくカサカサな唇が動き出した。



「ボク ミツケタ」

「や…や…めて……!」



 逃げようとするが、足が動かない。腰が抜けて立つこともできない。私の顔に向けて迫ってくるモンスターの手に思わず目を強く瞑る。もう、終わりだ。

 …しかし、いつまで経っても私の顔に、モンスターの手が触れることはなかった。



「アアア」



 ゆっくりと目を開けてみると、モンスターは奇妙な声をあげて倒れていた。どういうことかしら?まったく状況が把握できない。



「あ、リーダーまで切っちゃった♡」

「腹を切られるのは…今日で何度目だ…?教えて…くれ…まいか…?」

「クローネ。私の知る限りでは、まだ2度目だ。」

「ああ…Mr.K、助かるよ」



 モンスターの横に倒れているクローネちゃんが見える。彼は血だらけで、身体が真っ二つになって倒れていた。それなのにどうしてメアリちゃんとMr.Kは放置しているの?!その上、彼と会話を楽しんでいるようにも見える。私は急いで机の下から飛び出て、彼のもとへ駆けつける。



「クローネちゃん!大丈夫なの!?」

「ああ…マダム…この僕を心配してくださるなんて…貴女はお優しい方だ。どうか、涙を流さないでくれ。綺麗なお顔が…台無しだ」



 彼はそう言った後、吐血する。早く治療しないと、死んでしまう!急いでクローネちゃんの肩に腕を回し、持ち上げようとする。



「ちょっと、貴方たち!手伝いなさい!クローネちゃんを運ぶわよ!」

「う…」

「マダム♡放っておいて大丈夫ですよ♡」

「何を言ってるの!」



 メアリちゃんがプププと笑う。彼女は狂ってしまったのだろうか?この状況で私だけしか危機感を感じていない。クローネちゃんが死んじゃったら私、今後どの売り子から可愛いお目目を買えばいいのかわからないじゃない!



「…全く。よりによってゲストに余計な心配をかけるんじゃない。クローネ。」

「すまないね、マダム。この通り、僕は誰かに心配されたことなどなくてね。つい、面白そうでやってしまった。」



 うつ伏せの状態の彼は笑いながらそう言った。先ほどの苦し紛れに吐き出す言葉はどこへ行ってしまったのだろうか。今はもう、彼の言葉が楽しそうに聞こえる。それどころか、彼は床に肘をついて『るんるん♪』と首を左右に動かしている。すると上半身から気持ち悪い音を立てながら下半身が生えてきた。それだけではない。下半身からは、もう一人のクローネちゃんの上半身が素早く生えてくるではないか。驚きを隠せず、悲鳴をあげてしまう。



「あー…驚かないでくれたまえ。マダム。これ、紛れもなく僕なので。とって食おうだなんて思ってませんし。」

「で、でも…!クローネちゃんが二人…!?」



 もう一人のクローネちゃんがふふっと笑った後に私の前に歩み寄り、膝をついた。そして私の手をとり、甲にキスをした。



「驚かせてしまい、申し訳ございません。マダム。僕の刹那な感情によって、貴方を悲しませてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。あの化け物の返り血によって、貴方の素敵なドレスが汚れてしまいましたね。怖い思いもさせてしまった。これはいけない。失態だ。さ、僕のジャケットを着てくれ。身体が冷え切っている。何も遠慮はいらないさ。このまま僕がマダムの屋敷まで送りましょう。今宵は僕の腕の中で眠ってください。」



「リーダー、どっからそんなセリフ出てくるの?♡」

「随分と古臭い口説き文句だな。」

「君たち、実にうるさいッ!キメてる僕をしっかり見届けている、が一番恥ずかしいさッ!」



 仮面の奥からちらりと覗く瞳に釘付けになる。ああ、なんてロマンチストなのかしら。身体の力が抜けそうになる。安心感によるものだろう。



「おっと、危ない。御怪我はありませんか?レディ。」



 彼の握る腕がほんのりと暖かくなっていくのを感じる。決して若くないわたくしのことを、『レディ』と呼んでくれるだなんて。ああ、これが恋なのかしら。…だめよ、わたくし!彼との年齢差は20もあるのよ!犯罪同然だわ。

 クローネちゃんは私を容易く抱きかかえると、3人にお辞儀をして部屋を後にした。

 それからの記憶はない。たしか、購入した人間の発送と現金をいつどこで渡すかという話を振られたような気がするけど、はっきりと覚えていない。ただ覚えているのは、彼の温もりが想像以上に心地よくて、眠ってしまったということだけ。彼に抱かれて眠るのも悪くないな、と若返った気持ちを胸に、意識が遠のいていった。

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